「在日台僑」と「在日華僑」の間で——在日中華民国国籍保持者/台湾出身者をどう位置づけるか

政治・外交

在日「台湾人」の国籍の現状

1945年以前、日本は台湾を統治していた経緯もあり、今なお日本には、その時代に来日した台湾人やその子孫が多く居住している。45年に中華民国が台湾を接収してからも台湾から来日する人は存在し、さらに台湾が民主化を成し遂げてからも来日する人は存在する。

ただ同じ在日「台湾人」とは言っても、来日した時期や彼らが青春時代に受けた教育やその当時の国内・国際情勢によって、彼ら自身のアイデンティティーや台湾認識は異なってくる。そのため今の台湾に生き今の台湾を知る者が、重層的な歴史をくぐり抜けてきた在日「台湾人」/団体に目をやると一種の違和感を抱いてしまうだろう。

王貞治氏、ジュディ・オング氏、王育徳氏。彼らは、日本と台湾の両国でよく知られる在日「台湾人」であろう。ところが、彼らの「国籍」に目をやると、想像以上に複雑な状況が浮かんでくる。

王貞治氏は台湾人ではなく、祖籍を浙江省に持つ在日華僑の二世であり、台湾とは地縁・血縁関係で結ばれてはいない。王貞治氏のように49年の中華人民共和国の建国と中華民国の台湾移転以前から日本に居住する華僑の子孫で、72年に日本が中華人民共和国を承認しても、中華人民共和国国籍に切替えず、中華民国国籍を所持したままの華僑も一定数存在している。当然ながら、彼らは中国の改革開放後ようやく中華人民共和国旅券を所持して海外へ出られるようになった中国人(新華僑)とは異なる。

歌手のジュディ・オング氏は1950年に台湾に生まれ、52年に来日した本省人である。72年、日本と中華民国の国交断絶を機に、日本国籍を取得した。この時期に中華民国国籍を放棄して、日本国籍を取得した在日「中華民国国民」は多い。また、一部には日本国籍ではなく、「中華人民共和国国籍」を取得した在日台湾人もいる。

王育徳氏は1924年台南に生まれ、43年に東京大学へ進学した。戦後、台湾へと戻り、47年の二二八事件以降、身の危険を感じた王は49年に再来日する。1960年には台湾青年社を結成し、機関紙『台湾青年』を発行して(中華民国政府からの)台湾独立の必要性を訴え続けてきた。そのため、国民党専制下にある中華民国政府ににらまれ、彼の中華民国旅券は剥奪され、85年に61才の若さでこの世を去った。

このように、在日「台湾人」には「中華民国国籍」でない者も存在する。そして、海外において中華民国国籍を持つ者は台湾人だけとは限らない。そのため、単に「台僑」といってもそれが「中華民国国籍」の視点で述べていることなのか、それとも台湾の島から出た人のみを指しているのか、用語を使う人も、聞く人も注意を払う必要がある。

「台僑」議論の死角

台湾社会の「台僑」「華僑」認識を考える上で、時代力量の林昶佐議員が2016年3月に僑務委員会陳士魁委員長に対して行った質疑は注目に値する。

このとき林委員は、台湾が対象としている「僑胞」(在外同胞)が一体誰なのかについて詰問した。質問を受けた陳士魁委員長は「僑委会のサポート対象の僑胞は4000万人いる」、「僑委会は『台裔』と『華裔』の区分はせず、藍緑の支持も問わない。中華民国を支持し、台湾を愛している人々全てをサポートする」と説明した。すると林委員は「台湾2000万人の納税者が4000万人をサポートすることは税金の無駄遣いだ」「台湾から移民した台僑と限定すべき」と反論した。そのため「華僑は台湾の財産か、それとも負担か」との声が、台湾の新聞紙上を賑わした。

こうした議論の中で「中華民国国籍」ないし「中華民国国民」の定義に関心が及ばなかったことは残念である。万が一、林委員の主張通り「台湾から移民した台僑と限定すべき」とした場合、中華人民共和国国籍を取得している台僑も含まれるのであろうか。あるいは、王貞治氏のように台湾とは地縁・血縁関係のない中華民国国籍保持者の国籍を剥奪するのだろうか。

このように台湾社会における「台僑」や「華僑」認識と、現実の台湾と結び付いている「台僑」や「華僑」とは齟齬(そご)が生じており、海外における中華民国国民の範囲はどういった人びとが含まれているのかといった視点が死角となっている。

在日「台湾人」/「中華民国国民」組織の現状

さらに日本では、長らく台湾出身者は「中国人」として『在留外国人統計』に集計されてきた。中国の改革開放により新華僑が急増する1980年代まで「在日中国人」(在日華僑)の約半分は台湾人が占めていた。それまで、在日台湾人は総じて旧来の在日華僑をけん引する存在であった。こうした在日華僑を取りまとめる代表的組織に、45年頃より日本各地で成立した「華僑総会」がある。ところが、49年以降の中台関係が、華僑総会の組織系統に影響を与え、組織は親中華民国の総会と親中華人民共和国の総会に分かれた。むろん、それは中国人と台湾人で分かれているのではない。

例えば、東京には「中華民国留日東京華僑総会」と「東京華僑総会」が存在し、前者は親中華民国の組織で後者が親中華人民共和国の組織となる。ところが両者とも長らく台湾出身者がけん引してきた。ではなぜ在日台湾人が親中華人民共和国の組織をけん引してきたのだろうか。それは、台湾共産党のような日本統治下の台湾における左翼運動家とも深い関わりを持っている。彼らは台湾独立運動家と同様、国民党からにらまれ長らく台湾へ帰れずにいた。たとえ今日、台湾社会が戒厳令下を脱し自由になったとはいえ、国民党一党体制下で長い間伏せられていた存在である彼ら在外台湾人の側は、今の台湾社会から投げ掛けられる「不自然な存在」というレッテルからは免れられないだろう。

では親中華民国華僑総会にはどういう人びとが存在するだろうか。ここの規約では、「中華民国国籍保持者やその帰化者」が会員の対象となっている。日本各地には約30の親中華民国「華僑総会」が存在し、地域によっては「中華総会」、「台湾総会」といった呼称を使用している。いずれも中華民国旅券の申請代行業務や会員間の親睦、東京・横浜・大阪にある中華民国系華僑学校への支援、双十国慶節祝賀会の開催、現地の県市会議員との交流などを行っている。しかし、台湾の本土化を追求する在日台湾人の中には、同組織に対して「中華としての利益(ナショナリズム)」を重視しているとの見方を示す者も存在する。

在外台湾人と在外中華民国国民の対話へ向けて

親中華民国組織が「中華としての利益」を重視しているとの見方は、2017年5月24日付け『自由時報』の報道でなされていた。

日本において長らく台湾独立運動と台湾本土化を希求してきた在日台湾人団体が連合組織を結成するのに当たり、同紙では「日本の台湾人組織には、大中華主義の団体と台湾を優先する台湾本土意識の団体がある」と報じた。東京には「在日台湾同郷会」と「留日台湾同郷会」という二つの台湾同郷会があるが、同紙では「在日」が台湾本土派で、「留日」が中華主義派であると規定して紹介されていたことに、在日台湾人の一人として筆者は違和感が残る。

これら同郷会は成立した年月と経緯が全く以て異なる。「留日台湾同郷会」は1945年に東京で結成され、その初代会長はかつて「党外」の身分で台北市長を務めた高玉樹氏である。たしかに同会は、国民党専制下で台湾との結び付きを強めた台湾人による同郷組織であった経緯もあろうが、これも台湾人の歴史の一部である。

「在日台湾同郷会」は1973年に王育徳氏が東京で結成した同郷会で、初代会長は台南出身の郭栄桔氏が務めた。同会は、在日台湾人の外国人登録証明書の国籍を「中国」から「台湾」に改める要求を行うなど、在日台湾人の権利・擁護にも務めてきた。

両者には「中華民国」を受け入れるか否かの違いがある。華僑総会も含め「留日」は中華民国国旗を掲げ、一方の「在日」は掲げない。ただ、どの組織も現実に存在する台湾の政府とゆかりがあり、そこには在日台湾人が歩んで来た歴史が刻まれている。

ここで簡単なエピーソードを紹介しよう。1991年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国より独立したスロベニア共和国は、この時点で独立国となった訳だが、この地域に生きる人びとはその前も後も海外へ移住する者がいた。40年代初頭スロベニア地域はナチスドイツに侵略された。そして45年以降、スロベニア地域はユーゴスラビアとなり、セルビア語による教育が行われた。これらの時代にスロベニアから海外に出た者およびその末裔(まつえい)と、スロベニア共和国以降に海外に出た者とでは、同じスロベニア人であっても本国に対する見方は異なる。台湾もまたしかりなのである。

行き過ぎる心配かもしれないが、台湾社会が在日台湾人の史的前提を無視し、さらに台湾と結び付いている華僑や中華民国国民の定義に関する煮詰まった議論をせずとして、台湾が彼ら/組織との関係を解消し、切り捨てるようなことになれば、かえって今まで台湾の身内であった者とも疎遠になりかねない。それは海外における台湾の居場所をより縮小させるだろう。

中華民国国籍法では父母両系血統主義が採用され、さらに重国籍が認められている。例えば在外中華民国国民が日本のような出生主義の国籍法を採用しない国で暮らし、その者が日本国籍保持者以外と結婚した場合、その子には中華民国国籍が継承される。かつての台湾人が脱植民地化の過程で歩んで来たように、台湾と地縁のない在外中華民国国民が突如として国籍や身分を剥奪され、根無し草になってしまわないよう願うばかりである。

バナー写真撮影:岡野 翔太

台湾 国籍 アイデンティティー