京都に現れた「台南の味」——日本と台湾、2つの古都を結ぶ味の物語
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京都にある台湾料理の人気店「微風台南」
京都といえば、日本料理の本場である。平安時代以来の長い歴史をもった和食の分厚い壁に阻まれ、中華やイタリアンも含めて外国料理は、あまり大きく勢力を広げられない土地柄だとも言われている。その京都で、本場の味を提供し、密かに人気を広げている台湾料理の店があるという噂が、東京にいる私の耳に届いた。
京都駅から車で15分ほどの距離で、京都御苑からほど近い便利な場所に、その店があるという。大阪での仕事の途中に、立ち寄ることにした。
ところが、知り合いから教えてもらった住所に行っても、それらしき店が見つからない。同じ道を2往復して、やっと、台湾の九份を思わせる赤い提灯(ちょうちん)があることに気が付いた。目立たないので見落としていた。
「香嫩多汁滷雞腿弁當、外皮酥脆炸排骨便當(肉汁たっぷりの煮込み鶏モモ弁当、皮はカリカリの揚げスペアリブ弁当)」
外に置かれた黒板に、手書きの文字でメニューが書き込まれていた。古ぼけた木机の上には、黒松沙士や冬瓜茶といった台湾のソフトドリンクの缶が並んでいる。入り口の扉には、台南の正興街の「正興猫」のステッカーが貼られている。
見上げると、「微風台南」という店名の控えめな文字が見えた。
店舗は日本統治時代の台湾、そして台南を意識
想像していたより、だいぶ地味な外観だ。京都の町屋造りの建物は、外からでは中の様子がよく分からない。ガラスがはめ込まれた茶色の引き戸を開けると、土間にレジが置かれ、座敷が奥へと続く。
中には、古書や骨董(こっとう)品、ブリキのおもちゃなど、いろいろなものが並べられている。台湾でリノベーションされた古民家カフェの雰囲気と実によく似ている。
「日本統治時代の台湾を意識しました。台湾風の町屋造りに見えませんか」
店主で今年53歳になる平岡尚樹さんが現れ、誇らしげに語った。丸顔に黒縁の眼鏡。ちょっとコロンとして、見るからに優しそうな雰囲気がする。
渡されたメニューには、粽子(台湾チマキ)、皮蛋豆腐(ピータン豆腐)などの定番料理だけではなく、麻油麵線や鹽酥雞(鶏の唐揚げ)、蚵仔煎(カキのオムレツ)など、あまり日本では見かけない本格的な台湾の小吃(小皿料理)がずらりと並んでいる。棺材板(台湾式クリームシチュートースト)、蝦仁飯(エビご飯)、割包(台湾バーガー)のような台南の名物もあるので驚いた。
私の目線はすっかりメニューにくぎ付けだ。
「まずは注文から受けましょうか」
平岡店長が微笑えんだ。
悩んだ末、好物の大根もち、蝦仁飯、台南羊肉湯(台南羊スープ)、麺線、オススメの小菜(前菜盛り合わせ)を頼むことにした。
次々と運ばれてくる料理のどれにも、食欲をそそる台湾の香りが立ち込めている。私は麺線、友人は蝦仁飯を口に入れ、にっこりと「台湾の味だ」と微笑み合った。
サラリーマンから料理の世界に戻って成功する
私たちが満腹になったのを見てから、平岡さんは「実は前はサラリーマンをやってまいした」と切り出した。
平岡さんは、京都の祇園にあるお座敷で、チーズフォンデュや北京のしゃぶしゃぶなど、海外の料理を出す老舗料亭の息子に生まれた。料亭を切り盛りしていた両親は早くに亡くなり、祖母が引き継いだが、平岡さんの代で店を閉めた。
料理とは関係のない世界で生きていくことを決めた平岡さん。入った会社は書道の道具を扱う文具店だった。仕事柄、中国の北京や香港への出張が多かったが、皮肉にも、香港の屋台で大きな中華鍋を振る料理人の姿に惹(ひ)かれた。
子供のころから見続けた親の背中と重なるものがあったのだろうか。その料理人の所に通い詰めて料理を教わり、料理人の道への第一歩が開かれた。
平岡さんは30歳で会社を辞める決断をし、香港料理店「Tears」を京都に開いた。舌が本物の味を覚えていたのだろう。文具店とは全く異なる飲食の世界への転身だったが、店は大成功を収めた。
ところが、10年の月日が流れ、少しずつ心境の変化が起き始めた。
「老闆(店主さん)、台湾料理を作れますか」
京都には台湾人留学生が多数いる。中華料理を食べられることを聞きつけた学生たちが、次々とメニューにない台湾料理を頼むようになった。人懐っこい台湾人の性格にすっかりペースを掴まれ、要望に応じているうちに、いつの間にか店のメニューには台湾料理が増えていった。
転機は突然やってくる。2010年、自作の料理をSNSに掲載したところ、台南に住む台湾人と繋がった。20代の台南の女性の黃穗婷さんから、面識のない平岡さんに「台湾の店をやりなさい」と強烈にアプローチをかけ、台南の飲食店が掲載された料理本「吃進大台南」を台湾から送ってきた。
「一軒ずつに付箋が付いているんです」
彼女がおいしいと思った店に印が付いていた。平岡さんにたくさんの台南のおいしい小吃を紹介したいと考えたのだ。
日本語が堪能で、京都が大好きで、留学を夢見ていたというこの女性。いろいろな事情で留学できなかった自分の夢を、平岡さんに託したのかもしれない。料理本以外に、中国語のテキストもあった。日本語のテキストをお礼に送り返した平岡さん。穗穗さん、尚樹さんと呼び合い、スカイプを使っての語学交流が始まった。ついでに台湾語もみっちり仕込まれた。おかげで、いまでは、「ランケーライ(お客さんがきました)」「ライテーゼェ(中にどうぞお座りください)」と台湾語で接客をしている。
台湾人は思い付いたら、行動に移すまでがとにかく早い。物事を推し進めるパワーが強過ぎて、ときには日本人にとってはお仕着せがましく思えて、困惑してしまうこともある。ただ、この台湾人のスピード感がある行動が功を奏し、思いもよらない共鳴効果をもたらすことがあるから面白い。
台湾本場の味を超えたい!
平岡さんは2014年にTearsを閉め、初めての台南へ旅立った。目の前に、本で見てきた料理が次々と現れ、日本で試作した自分の味を思い出しながら、調理の時に微調整すべきポイントを頭に叩き込んだ。
閉めたTearsからほど近い場所に、築105年の物件が見つかった。町屋造りの雰囲気抜群の店舗だ。新しい店にぴったりと思い、16年の年末に「微風台南」としてオープンした。
「なんで店名が微風台南になったのか、ほとんどその理由を人に言ったことがないのです」
最近、日本での台湾ブームから、台南に火がつき、初めて訪れるお客さんから店名の由来をよく聞かれるようになった。私も、お店の名前に台南があったから、気になって訪ねた一人だ。実は、命名したのも、台南の穗婷さんだった。
「台北に有名な微風広場(Breeze)があるけれど、台南にないから、先に付ければいいじゃない」ということで決まったとか。なかなかのネーミングセンスだ。
ただし、店のネームカードには、微風台南の下に、小さく「TEARSⅡ」と入っている。TEARSの次の店だから、と平岡さんが当初考えていた店名だった。平岡さんの店主としてのこだわりが透けて見える。
いろいろと平岡さんに話を聞いていと、長身のすらりとした美人女性がテキパキと来客の応対をしていた。
ドリンクやスイーツと接客を担当している妻の美保さんだ。
「ちょっとこの張り紙見てください」
素敵な美人の美保さんに見とれていた私に、お座敷の壁際の方に平岡さんは連れていった。 厨房(ちゅうぼう)近くの鴨居に中国語で「不好意思,姐姐在火大・・・」と書かれた紙がちょこんと貼られていた。「ごめんなさい、妻の機嫌は悪い」という意味だ。
意味が分からない私に、平岡さんは少し照れくさそうに話し始めた。
「ぼくは、台湾人のいい加減さとか、怒られ方までコピーしたいのです」
台湾の屋台は大抵家族経営だ。料理をしながら、夫婦や親子で喧嘩をしている光景をよく見かける。そんな風景も台湾らしさの一つとして、コピーしたいのだという。
きちんと盛り付けようとする美保さんを、「もっといい加減に盛り付けて」とわざと大きな声で叱りつけ、美保さんも反論しているのだという。厨房の中で繰り広げられられる夫婦の口論の声を聞いてもらい、お客さんに「台湾」を感じてもらうというわけだ。
台湾人の気持ちになって作らなければ、本当の台湾の味にならないというのが持論の平岡さん。その思いはしっかりと食べる人たちに伝わっているようだ。
そこまでこだわる平岡さんに対し、美保さんはついこの間まで、一度も台湾を訪れたことがなかった。2017年6月に初めての台湾旅行に出発した。店で食べる台湾料理が美保さんにとっての台湾料理の味。初めての台湾で、本場の台湾料理を食べた時に、「あ、お店の味と同じだわ」と感動したそうだ。
滞在していた約2時間の間、ひっきりなしに学生らしき台湾人が出入りしていた。みんな手慣れた様子で注文し、わが家のような感覚でゆったりと過ごしている。学生たちにとって、微風台南は故郷の味を食べることができ、平岡さんご夫妻が、親のように温かく迎え入れ、最高のオアシスになっている。
「最終的に、台湾の本場の味を超えたと言われたい」
台湾人の温かさや、いい加減さ、ユニークさなど、いいも悪いも含め、台湾を極めたいと思っている平岡さん。現在は3カ月に1回のペースで、台湾を訪れ、台南をはじめとして、各地の料理を食べ、メニューの研究をしている。もちろん、店を開くきっかけとなった穂婷さんとの親交も続いている。
平岡さんがいる限り、微風台南の味はこれからも進化していくに違いない。日本と台湾の間に、素敵な「食」の掛け橋が架かることになりそうだ。
バナー写真=「微風台南」の店舗前に並ぶ平岡さん夫妻(撮影:一青 妙)