牡丹社事件と「水に流す」知恵

政治・外交

平野 久美子 【Profile】

2時間に及ぶ会談後、和解が成立

それから1年半後の今年9月、N氏から思いがけぬ電話をいただいた。

「屏東県を一緒に訪ねてくれませんか?」

そこで、未来志向の話し合いをすることを条件に、屏東県政府の文化政策トップ、呉錦発文化処長にメールを送り、ご遺族が紀念公園の看板記述について相談したいこと、県内の統埔にある「琉球墓」から遺骨を持ち帰り、家族の墓に納骨したいという希望があることを伝えた。

屏東県統埔の「琉球墓」(撮影:平野 久美子)

呉処長は作家としても知られ歴史に造詣が深い。史実を探求する信念は揺らぐところがなく、風貌は古武士のようでもある。何よりも確かな「聞く耳を持っている」。

2017年10月25日。呉処長との会談は2時間近くに及んだ。N氏は、持参した文案を片手に、紀念公園の説明看板は多くの観光客の目に入る大事なものなので、ぜひ、内容を検討してほしいと要望。その文案は、日本側が加害者である台湾出兵と琉球民が被害者である遭害事件をひとくくりにしないで、二つの事件を分けて説明するという内容だった。

これに対して処長は、牡丹社事件に関する県内の説明板や遺跡を見直す作業をしている最中なので、この文案も学者からの意見書と同等に討議材料にすることを約束してくれた。

もう一つの懸案事項である遺骨の引き揚げに関しては、54人の被害者遺族全員からの申請がないと、返還は難しいことが分かった。現在、遭害者を祭る「琉球墓」は国の古跡に指定されており、墓を掘るとなると学者の意見も聞かなくてはならないし、政府の審議会にもかけなくてはならない。墓を大規模改修するなり、学術研究から発掘するようなことがあるまで見守ることでN氏も納得した。

会談後、ほっとしたような柔らかな笑みを浮かべて呉処長と握手を交わしたN氏。呉処長は彼にこう言葉をかけた。

「私は、台湾と日本の和解の仕事をしているのです。さまざま圧力はあるけれど、これからも文化処長として、やり続けなくてはいけないと思っています」

会談後の呉錦発文化処長(左)とN氏(右)(撮影:平野 久美子)

改めて「水に流す」という言葉の意味をかみしめた瞬間だった。

次ページ: 互いに耳を傾ける努力をしないと歴史認識のギャップは埋まらない

この記事につけられたキーワード

台湾

平野 久美子HIRANO Kumiko経歴・執筆一覧を見る

ノンフィクション作家。出版社勤務を経て文筆活動開始。アジアンティー愛好家。2000年、『淡淡有情』で小学館ノンフィクション大賞受賞。アジア各国から題材を選ぶと共に、台湾の日本統治時代についても関心が高い。著書に『テレサ・テンが見た夢 華人歌星伝説』(筑摩書房)、『トオサンの桜・散りゆく台湾の中の日本』(小学館)、『水の奇跡を呼んだ男』(産経新聞出版、農業農村工学会著作賞)、『牡丹社事件・マブイの行方』(集広舎)など。
website: http://www.hilanokumiko.jp/

このシリーズの他の記事