知られざる日本史——皇太子「台湾行啓」をたどる

文化

片倉 佳史 【Profile】

新高山に対し、次高山を命名

新竹を出た一行は台中に向かった。その途中、車中で台湾第二の高峰シルビヤ山の説明を受ける。標高は3886メートル。台湾第一の高峰である新高山(現称・玉山)を明治天皇が命名したことを受け、これを「次高(つぎたか)山」と名付けた。その後、台中に1泊した後に台南を目指している。途中、嘉義駅通過後には北回帰線標を車窓に眺めている。

台中駅に下車する様子(新元久氏所蔵)

台南の宿泊所となったのは台南州知事官邸だった。皇太子宿泊所が現存するのは台北と台南だけで、史跡の指定を受けている。館内の見学も可能で、古写真やパネル展示がある。市民の関心は高く、台南市内の行啓地点を紹介したパンフレットが用意され、そのコースを巡る旅が人気を集めている。

台南州知事官邸。館内には台湾行啓に関する展示がある(撮影:片倉 佳史)

高雄市内を21日に視察し、翌22日は屏東にある台湾製糖株式会社の工場を訪ねている。ここでは特設休憩所で台湾特産の麻竹に新芽を発見。これは後に「瑞竹」と称揚されるようになった。工場はすでに操業を停止しているが、施設の一部が産業遺産として保存されている。

高雄市内を視察する様子(高雄州行啓記念写真帖より)

また、この日は打狗(高雄)山と呼ばれていた丘に登頂し、高雄の町並みと港を眺めている。この視察を記念して後日、打狗山は「寿山」と改名された。ここは現在も高雄を代表する景観スポットとなっており、行楽客でにぎわっている。

23日は高雄港から澎湖島の馬公へ渡った。海軍の要港部を視察後、船中泊で基隆へ向かい、台北に戻った。

当時の交通事情を考えると、行程はかなり詰まった印象だが、遅れが生じることはほとんどなく、順調に最終日となる27日を迎えた。午前7時10分、皇太子を乗せた特別列車は台北駅を離れ、基隆へと向かった。

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片倉 佳史KATAKURA Yoshifumi経歴・執筆一覧を見る

台湾在住作家、武蔵野大学客員教授。1969年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)、『台北・歴史建築探訪~日本が遺した建築遺産を歩く』(ウェッジ)、『台湾旅人地図帳』(ウェッジ)、『台湾のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話』(昭文社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店~片倉佳史の台湾体験

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