知られざる日本史——皇太子「台湾行啓」をたどる

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片倉 佳史 【Profile】

台湾の主要都市を巡る

一行が上陸したのは午後1時25分だった。基隆港駅前桟橋では台湾総督府鉄道部長の新元鹿之助が出迎えた。一行はそのまま駅に進み、この日のために仕立てられた特別列車に乗り込んだ。

台北駅に到着したのは午後2時20分。海軍軍楽隊が君が代を演奏し、一行を出迎えた。駅前は清められ、特設の奉迎門が設けられた。沿道は奉迎の団体や一般市民で埋め尽くされ、この日だけで10万もの人が出迎えに上がったとされる。この頃の台北市の人口は17万人程度とされるので、この数字がいかに大きなものかが理解できる。

台北での宿泊所となったのは台湾総督官邸だった。現在は台北賓館の名で迎賓館として使用されている。ここは台湾政府から歴史遺産の指定を受けており、年に数回の一般公開日が設けられている。

皇太子の台北宿泊所となった台湾総督官邸(現・台北賓館)(撮影:片倉 佳史)

注目したいのは、敷地内の庭園に亜熱帯性植物が選ばれ、植樹されていたことである。これはマラリアをはじめとする疫病がまん延していた時代、要人が地方都市に赴かなくても、台湾らしい南国風情を楽しめるようにという配慮だった。

台北で最初に訪れたのは台湾神社だった(新元久氏所蔵)

一行は2日間の台北市内視察の後、台中へと向かっている。列車には台湾総督の田健治郎が同行し、途中、桃園台地を通過の際、農業用水路とため池についての説明をしている。ちなみに、桃園台地は世界でも有数のため池密集地で、台湾行啓は桃園大圳(農業用水路)の工事のさなかだったこともあり、解説にも力が入ったと推測される。なお、このため池群は現在も数多く見られ、台湾高速鉄路の車窓から眺められる他、台湾桃園国際空港に離着陸する際にも眼下に確認できる。

桃園駅を通過する特別列車を出迎える子供たち(新元久氏所蔵)

下車駅となったのは新竹駅で、1913年に完成した駅舎に降りたっている。この駅舎は直線を多用したドイツ風バロックと呼ばれるスタイルで、基隆、台中と並び、台湾の三大駅舎に挙げられていた。現在もその姿を保ち、東京駅丸の内口駅舎と姉妹駅協定を結んでいる。

新竹駅は皇太子が降り立った中で唯一原形を保つ駅舎(撮影:片倉 佳史)

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片倉 佳史KATAKURA Yoshifumi経歴・執筆一覧を見る

台湾在住作家、武蔵野大学客員教授。1969年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)、『台北・歴史建築探訪~日本が遺した建築遺産を歩く』(ウェッジ)、『台湾旅人地図帳』(ウェッジ)、『台湾のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話』(昭文社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店~片倉佳史の台湾体験

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