知られざる日本史——皇太子「台湾行啓」をたどる
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台湾が日本の統治下に置かれた半世紀。1923年4月、のちに昭和天皇となる皇太子裕仁(ひろひと)親王は摂政の立場で12日間、台湾に滞在した。交通が不便な東海岸や中部山岳地帯には足を伸ばさなかったものの、主要都市をほぼ訪れている。視察先は62カ所にものぼり、催された祝賀行事は232にも及んでいる。まさに、台湾総督府にとっては空前絶後の一大行事であった。
この台湾行啓が実現したのは第8代台湾総督の田健治郎(でんけんじろう)の時代だった。当初は西欧外遊の帰途に台湾に寄ることが計画されたが、長旅で日程の調整も難しいということから帰国後、改めて議論された。
そして、4月5日に出発することが一度は決まったものの、フランス留学中の北白川宮成久(なるひさ)王が4月1日に自動車事故に遭い、パリで死去するという事件が起こった。これを受けて皇太子の台湾行啓は延期となった。
結局、4月12日に皇太子はお召し艦「金剛」で横須賀を出発し、16日に基隆に入港した。
台湾の主要都市を巡る
一行が上陸したのは午後1時25分だった。基隆港駅前桟橋では台湾総督府鉄道部長の新元鹿之助が出迎えた。一行はそのまま駅に進み、この日のために仕立てられた特別列車に乗り込んだ。
台北駅に到着したのは午後2時20分。海軍軍楽隊が君が代を演奏し、一行を出迎えた。駅前は清められ、特設の奉迎門が設けられた。沿道は奉迎の団体や一般市民で埋め尽くされ、この日だけで10万もの人が出迎えに上がったとされる。この頃の台北市の人口は17万人程度とされるので、この数字がいかに大きなものかが理解できる。
台北での宿泊所となったのは台湾総督官邸だった。現在は台北賓館の名で迎賓館として使用されている。ここは台湾政府から歴史遺産の指定を受けており、年に数回の一般公開日が設けられている。
注目したいのは、敷地内の庭園に亜熱帯性植物が選ばれ、植樹されていたことである。これはマラリアをはじめとする疫病がまん延していた時代、要人が地方都市に赴かなくても、台湾らしい南国風情を楽しめるようにという配慮だった。
一行は2日間の台北市内視察の後、台中へと向かっている。列車には台湾総督の田健治郎が同行し、途中、桃園台地を通過の際、農業用水路とため池についての説明をしている。ちなみに、桃園台地は世界でも有数のため池密集地で、台湾行啓は桃園大圳(農業用水路)の工事のさなかだったこともあり、解説にも力が入ったと推測される。なお、このため池群は現在も数多く見られ、台湾高速鉄路の車窓から眺められる他、台湾桃園国際空港に離着陸する際にも眼下に確認できる。
下車駅となったのは新竹駅で、1913年に完成した駅舎に降りたっている。この駅舎は直線を多用したドイツ風バロックと呼ばれるスタイルで、基隆、台中と並び、台湾の三大駅舎に挙げられていた。現在もその姿を保ち、東京駅丸の内口駅舎と姉妹駅協定を結んでいる。
新高山に対し、次高山を命名
新竹を出た一行は台中に向かった。その途中、車中で台湾第二の高峰シルビヤ山の説明を受ける。標高は3886メートル。台湾第一の高峰である新高山(現称・玉山)を明治天皇が命名したことを受け、これを「次高(つぎたか)山」と名付けた。その後、台中に1泊した後に台南を目指している。途中、嘉義駅通過後には北回帰線標を車窓に眺めている。
台南の宿泊所となったのは台南州知事官邸だった。皇太子宿泊所が現存するのは台北と台南だけで、史跡の指定を受けている。館内の見学も可能で、古写真やパネル展示がある。市民の関心は高く、台南市内の行啓地点を紹介したパンフレットが用意され、そのコースを巡る旅が人気を集めている。
高雄市内を21日に視察し、翌22日は屏東にある台湾製糖株式会社の工場を訪ねている。ここでは特設休憩所で台湾特産の麻竹に新芽を発見。これは後に「瑞竹」と称揚されるようになった。工場はすでに操業を停止しているが、施設の一部が産業遺産として保存されている。
また、この日は打狗(高雄)山と呼ばれていた丘に登頂し、高雄の町並みと港を眺めている。この視察を記念して後日、打狗山は「寿山」と改名された。ここは現在も高雄を代表する景観スポットとなっており、行楽客でにぎわっている。
23日は高雄港から澎湖島の馬公へ渡った。海軍の要港部を視察後、船中泊で基隆へ向かい、台北に戻った。
当時の交通事情を考えると、行程はかなり詰まった印象だが、遅れが生じることはほとんどなく、順調に最終日となる27日を迎えた。午前7時10分、皇太子を乗せた特別列車は台北駅を離れ、基隆へと向かった。
貴賓車は今も残されている
台湾行啓では特別列車が仕立てられた。列車をけん引したのはE500型蒸気機関車と呼ばれたものである。日本では8620形と呼ばれる形式で、台湾には44両、在籍していた。列車は8両編成で(機関車を含まず)、山岳区間となる苗栗~后里間は最後部に補機を増結して勾配に挑んだ。
車両についても、貴賓車と称されるものが用意された。台湾総督府鉄道部には2両の貴賓車が在籍し、皇太子行啓に合わせて新造された「ホトク1」、そして、台湾総督専用の「コトク1」があった。
両客車ともに日本本土から派遣された技師が設計し、用材には紅ヒノキと米国から輸入された松が用いられた。鋼鉄類についても欧米から輸入されたものだった。
車体は紫色に塗られ、側面に菊の紋章がはめ込まれていた。また、台湾南部での暑さを考慮し、当時としては非常に珍しい扇風機が設置されていた。
皇太子用に新造されたホトク1型は1913年3月に完成した。車体長16・4メートルの木造客車で、客室の他、配膳室と従者の控室があり、トイレは洗面台が壁に埋め込まれたスタイルだった。また、車内には明治の画家・川端玉章の蒔絵(まきえ)が掲げられていた。
台湾総督用のコトク1型は1904年10月に完成した。車体長は13・988メートルで、客室の他、食堂、配膳室、洗面室、化粧室、予備室を備えていた。
現在、この2両の貴賓車は台北郊外の七堵操車場に保存されている。専用の車庫が用意されており、その中に並べられている。一般公開されるのは特別イベントの際に限られるが、公開が決まると、決まって申し込みが殺到する。
車齢100年という長さを考えてみると、この客車が原形を保っているのは奇跡に近いと言えよう。特に台湾総督用のコトク1型客車は110年以上の歴史を誇り、その価値は計り知れないものがある。台湾鉄路管理局はこの2両の客車を歴史遺産として扱い、永遠に守っていく予定だという。
台湾では民主化の進行に伴い、冷静でかつ、客観的な評価の下、日本統治時代の半世紀を捉える動きが定着している。皇太子の台湾行啓もまた、台湾史の一部として認識されており、関心は高い。日本人が知らない日本の歴史。台湾で皇太子の足跡を訪ねてみてはいかがだろうか?
バナー写真=台南市の成功大学キャンパスにある皇太子お手植えのガジュマル(撮影:片倉 佳史)
皇太子「台湾行啓」日程
4月12日(木) 東京を出発
4月16日(月) 第5日目(台湾初日)
6:30 お召艦「金剛」が三貂角の沖合に到達。雨で知られる基隆もこの日は快晴
9:45 基隆港に接岸。予定時刻よりも25分早着
13:25 基隆駅前桟橋の北側に着船。鉄道部新元鹿之助が先導して基隆駅へ
13:29 特別列車が基隆駅を出発。3万人が見送る
14:20 台北駅に到着。海軍軍楽隊が君が代を演奏
14:30 台北御泊所(台湾総督官邸)に到着
19:30 御泊所のベランダより提灯行列を台覧
4月17日(火) 第6日目(台湾2日目)
7:00 起床
9:00 台北御泊所を出発。自動車にて官幣大社台湾神社へ
9:50 台北御泊所に戻る
11:05 台湾総督府に到着
12:50 総督府ベランダにて児童、学生の旗行列を台覧
13:05 台湾総督官邸(御泊所)に戻る
13:25 台北植物園内の台湾生産品展覧会場に到着
15:25 台湾生産品展覧会場を巡覧
15:48 台湾総督府中央研究所農業部陳列室を巡覧
16:55 台北御泊所に戻り、突出応接室にて清楽(しんがく)の演奏
4月18日(水) 第7日目(台湾3日目)
7:00 起床
9:05 台北御泊所出発
9:10 中央研究所で疫病、毒蛇、北投石について説明を受ける
10:20 台北師範学校と師範学校附属小学校で授業参観
11:00 台北市太平公学校で授業参観
11:28 台湾軍司令部にて昼食会
13:03 台湾総督府高等法院へ
13:12 台北第一中学訪問
14:36 台湾総督府医学専門学校で陳列品を巡覧。授業風景を巡覧
15:03 台北御泊所到着後、台北州知事、台北市長と面会
4月19日(木) 第8日目(台湾4日目)
7:00 起床
8:40 台北駅を特別列車が出発
10:31 新竹駅に到着
11:28 新竹駅より特別列車にて台中へ。車中にてシルビア山を「次高山」と命名
14:40 台中駅に到着後、台中州庁へ
14:50 台中州庁(現・台中市政府)
15:15 台中第一尋常高等小学校
15:45 台湾守備歩兵第一聯隊台中分屯大隊
16:05 台中水道水源地
16:15 台中第一中学校、台中公園
16:35 台中御泊所到着(州知事官邸)。市民提灯行列、花火を観覧
4月20日(金) 第9日目(台湾5日目)
8:38 台中駅出発
11:00 嘉義駅到着
12:33 台南駅到着
12:40 台南御泊所(台南州知事官邸)
13:20 台南州庁に到着し、台南についての説明を受ける
13:47 北白川宮能久親王御遺跡地を訪問
14:08 台南市立南門尋常小学校を視察。授業参観
14:30 孔子廟を訪問
14:50 台南師範学校にて授業参観。台南市第一公学校を訪問
15:38 台南第一中学校を訪問
4月21日(土) 第10日目(台湾6日目)
8:40 台南御泊所出発
9:05 安平埋立地到着。安平製塩会社塩田を視察
10:50 台湾総督府殖産局付属鹹水養殖試験場視察
11:35 歩兵第二聯隊(現・成功大学)行啓。営庭にて閲兵。榕樹をお手植え
12:18 台南駅に到着
12:20 特別列車にて高雄へ出発
13:28 高雄駅到着
13:45 高雄御泊所(高雄寿山館)到着
14:05 高雄州庁に到着
14:30 高雄第一尋常高等小学校に到着
14:50 高雄港岸壁に到着。築港工事を視察。高雄港内巡覧
16:00 高雄御泊所にて歓迎の提灯行列を観覧
※高雄での日程には複数の時刻表記があり、文献によって若干の差異がある
4月22日(日) 第11日目(台湾7日目)
9:30 高雄御泊所出発
9:40 特別列車にて屏東へ出発
10:30 屏東駅に到着
10:40 台湾製糖株式会社屏東工場に到着
12:10 特別列車にて高雄へ
13:00 高雄駅に到着
13:15 高雄御泊所に到着
午後 エープヒルご登山
夕刻 高雄御泊所にて松明行列を観覧
4月23日(月) 第12日目(台湾8日目)
8:00 高雄御泊所出発
9:00 高雄港を出航。澎湖庁の馬公へ
14:00 馬公港到着。兵士を激励し、軍人墓地、千人塚へ御使を派遣
15:00 馬公要港部を視察
17:20 馬公港出発。基隆港へ
4月24日(火) 第13日目(台湾9日目)
8:00 基隆港に入港
10:10 基隆重砲大隊を視察後、フランス戦没将士を弔う。築港工事巡覧
10:44 特別列車にて基隆駅を出発
11:35 台北駅に到着
11:45 台北御泊所(台湾総督官邸)に到着
13:05 台湾総督府博物館訪問
14:15 円山運動場にて全島学校連合大運動会を台覧
16:25 御泊所(総督官邸)にて宴会。台湾料理の宴
4月25日(水) 第14日目(台湾10日目)
9:00 台北御泊所を出発し、草山、北投温泉をご清遊
4月26日(木) 第15日目(台湾11日目)
9:00 台北御泊所を出発し、歩兵第一聯隊へ
9:55 台湾総督府専売局視察
11:25 台北御泊所に戻り、昼食
13:03 台北第一高等女学校視察
13:22 武徳殿視察
14:30 台北第三高等女学校視察
15:10 円山運動場にて台湾体育協会陸上競技大会。
16:30 台北御泊所(台湾総督府官邸)に到着。
4月27日(金) 第16日目(台湾12日目)
9:00 台北御泊所出発
9:09 台北駅から特別列車に乗車
10:00 基隆駅到着
10:05 基隆駅前桟橋から軍艦金剛に乗船
10:20 基隆港出発
※船中で22回目の誕生日を迎え、5月1日に横須賀軍港到着