台湾を変えた日本人シリーズ:宜蘭を救った西郷隆盛の長男・西郷菊次郎

文化

常に持ち続けた父・西郷隆盛の教え

菊次郎が宜蘭庁長に就任して9か月後、1898年第4代総督に児玉源太郎が就任し、後藤新平を民政長官に抜てきして共に台湾にやって来た。児玉総督は後藤に絶大なる信頼を寄せ、後藤もその信頼に応えるべく、台湾近代化の青写真を作り実行に移す。ドイツで医学を学んだ後藤は、日本国内の法制をそのまま文化・風俗・慣習の異なる台湾に持ち込むことは、生物学の観点から困難であると考え、台湾の社会風俗などの調査を行った上で政策を立案し、漸次同化の方法を模索するという統治方針を採用した。

以前から、どうしたら硬い島民感情を融和させることができるか昼夜悩んでいた菊次郎は、後藤新平の統治方針を理解し受け入れた。さらに父隆盛がよく口にしていた「天を敬い、人を愛する」という仁愛の無私無欲こそが難局を解決できる道だとも考えていた。原住民や台湾人に対する差別意識を持つ日本人が多い中で、菊次郎は違った。幼少期に苦労して育ち、西南の役で多くの優秀な若者の死を目の当たりにし自らも障害者になった菊次郎は、弱い者に対する優しさと誠実な心を自然と身につけていた。時間をかけて島民の心の中に、こちらの誠実な思いを溶け込ませる努力以外に方法がないという結論に達し、民衆のためになる治政こそが住民の心を開かせ、協力を引き出すことができると考え実行に移した。

そのため宜蘭の住民の社会基盤整備に力を注いだ。河川工事、農地の拡大、道路の整備、樟脳(しょうのう)産業の発展、農産物の増収政策を実施すると共に教育の普及にも力を入れたため、治安が良くなり住民の生活を安定させることに成功した。

施工時の「西郷堤防」(提供:古川 勝三)

その中で一番力を入れたのが、宜蘭の住民の悲願である宜蘭川の氾濫をなくすことである。台湾総督府と粘り強い交渉の末、巨額の補助金を引き出すことに成功し、第1期工事が1900)年4月に着工された。1年5か月の歳月と巨費をかけた13.7キロメートルの宜蘭川堤防は01年9月に完成した。この工事を見守っていた宜蘭の住民は堤防の威力に半信半疑だったが、この時以降、宜蘭川の洪水は二度と起きなくなり、暴れ川の汚名を返上した。堤防の威力を体感した住民は歓喜し、菊次郎に対する称賛の声があふれた。住民のための善政を行った菊次郎は、宜蘭川一期工事の完成を見届け二期工事の完成に確信を持つと、依願退職して5年半に及ぶ宜蘭庁長の生活に終止符を打ち、02年台湾を後にした。

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