『この世界の片隅に』台湾公開から考える異文化社会との付き合い方

文化

「親日」的な台湾であっても日本にとっては異文化社会

ほかにも興行としては次の要因も挙げられよう。『この世界の片隅に』はハリウッドのヒット作のように、封切り後に爆発的に興行収入を上げるような内容ではない。日本国内でも、SNSの評判でじわじわ広がり、累計380館の準メジャー作品になった。台湾の映画上映はもともと回転が速く、上映直後に爆発的にヒットしないと、すぐに上映をやめてしまうケースがほとんどだ。それなので、台湾では『この世界の片隅に』の評判が広がる前に上映が終わってしまった、と考えられる。

さらに内容面である。台湾人はあまりシリアスな展開が苦手ではないだろうか。しかも絵柄やストーリーが最初からシリアスタッチならまだしも、絵柄が水彩画のようで、キャラクターデザインもほんわかしている。内容も前半はどちらかというとギャグも多い。それなのに後半にはシリアス展開になる。

同じ感動ものとして『この世界の片隅に』と対比できるのは、高校野球を描いた台湾映画『KANO』やドキュメンタリー映画『湾生回家』であろう。これらや『聲の形』は最初から同じトーンで貫かれている。だが『この世界の片隅に』は意外性のある展開と絵柄にギャップが見られる。これだと、どちらかというと単線的な展開を好む台湾人には、敷居が高いようにも思える。もちろん、アニメファンの間では好評だったのだが……。

また、『KANO』や『湾生回家』は、台湾そのものを描いた作品なので、台湾人も感情移入しやすい。対する『この世界の片隅に』は、当時台湾も同じ「日本」だったとはいえ、広島県呉市の知名度は台湾では低く、ピンと来にくいのかもしれない。

台湾では、日本の事物は、アニメに限らず人気がある。それはコンテンツとしてだけではなく、アニメ映画の鑑賞姿勢でも、エンドロールを最後まで見るという、以前の台湾ではありえなかった、マナーの模倣や学習にまで深化している。そして、そうした日本のスタイルやマナーはいまやアニメを超えて、台湾の日常にも深く浸透しつつある。台湾社会はますます日本に傾斜し、一体化が進んでいるようにも見える。

だが、そうはいっても、やはり日本にとって台湾は異文化社会である。

アニメについて観察すると、やはり日本でヒットしたものと台湾で好まれる作品にはいくつかのギャップもある。その意味でも台湾人の親日や日本への傾斜は、台湾人の主体的選択の部分も少なくないといえるのだ。極端な例として、日本では「エヴァンゲリオン世代」に熱狂的に受け入れられた『シン・ゴジラ』も台湾ではあまり評判は良くなく、3週で上映を終えている。

台湾は今後、ますます日本に傾斜し、価値観も近づいてくるであろう。だが日本人側が忘れてはならないことは、台湾が根本的には異文化であるという点である。「日本に近いからいいだろう」と無意識に甘えるのではなく、異文化の相手としての節度を持って接するべきだろうと思う。

バナー写真=『この世界の片隅に』が上映される、2017年7月28日、台湾台北(撮影:酒井亨)

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