「台湾バナナ」が描き出す日本と台湾のフルーツ産業史

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大洞 敦史 【Profile】

黄金の果実「バナナ」

台湾フルーツの代表選手を挙げるとすれば何だろうか?

今ならマンゴーを選ぶ人が多いだろうが、一昔前はバナナ1択だった。昭和の半ばまで、台湾バナナといえば見舞いの手土産などで、たまにありつけるくらいの高級品だった。ちょうど現代の日本で台湾産アップルマンゴーが高級品として扱われているのと同じように。

バナナを積んだトラック、台湾南投県集集鎮(撮影:大洞 敦史)

台湾のバナナ産業の足跡をたどってみよう。

1950年代から60年代が台湾バナナの最盛期だった。60年代後半には年平均35万トンが日本へ輸出され、その額は台湾の外貨獲得高の実に3分の1を占めていた。

主産地の南投県集集や高雄県(現・高雄市)旗山では、当時の繁栄ぶりが今に至るまで語り草になっている。バナナの収穫で汁にまみれた作業着こそが金持ちの象徴で、ちまたに連なる酒場の女性たちは小ぎれいな身なりの客は相手にせず、汗と泥まみれの客を目にするや、先を争って接待したという。公務員の年収が約6000元だった60年代、バナナ農家の収入は年20万元に達することもあった。金色に光るバナナは、まさに黄金の果実だった。

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大洞 敦史DAIDO Atsushi経歴・執筆一覧を見る

1984年東京生まれ、明治大学理工学研究科修士課程修了。2012年台湾台南市へ移住、そば店「洞蕎麦」を5年間経営。現在「鶴恩翻訳社」代表。著書『台湾環島南風のスケッチ』『遊步台南』、共著『旅する台湾 屏東』、翻訳書『フォルモサに吹く風』『君の心に刻んだ名前』『台湾和製マジョリカタイルの記憶』等。

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