「台湾バナナ」が描き出す日本と台湾のフルーツ産業史

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大洞 敦史 【Profile】

さまざまなフルーツが移植栽培された台湾

島としての台湾は過去400年にわたり、代わる代わる外来勢力に統治されてきた。その間、数え切れないほどの穀類、野菜類、果物類および多数の観葉植物が、時の政権によって移植栽培されたり、故郷の味をいとおしむ移民たちによって持ち込まれたりしてきた。これにより、一面において台湾の生態系は絶えず人の手に起因する変化を強いられ、一面において人間の生活と直接的に関わる植物が時代を追うごとに増えていった。

1624~62年までのオランダ統治期には、大航海時代の荒波に乗ってインド原産のマンゴー(小ぶりで皮が緑色の土マンゴーと呼ばれる品種)やマレー半島原産のレンブ、さらにアメリカ大陸原産のトマト、ドラゴンフルーツなどが台湾にもたらされた。ちなみに台湾でトマトは、フルーツと野菜の中間程度の位置付けにある。

鄭成功が62年にオランダ勢力を駆逐して樹立した鄭氏政権統治期および83~1895年までの清(しん)朝時代に移植されたフルーツは、清朝が海禁政策をとっていたため、梅、柿、桃、スモモ、ブンタン、ライチ、リュウガンといった中国原産の種が多い。この他バナナ(マレー半島原産)、パイナップルおよびパパイア(熱帯アメリカ原産)もこの時期のものだ。これらは中国の福建・広東地方で栽培が定着した後、移民の手で台湾に持ち込まれた。

台湾では昔からあるマンゴーとパイナップルの品種を、それぞれ「土芒果」「土鳳梨」と表記する。一方、パパイアは「蕃木瓜」、グアバは「蕃石榴」、トマトは「蕃茄」と書く。土は「土着の」、蕃は「外来の」という意味だ。マンゴーもパイナップルもさまざまな品種があるので、最も古くからあるものを他と区別するために「土」という名が付けられたのだろうが、時期の差こそあれ、外来のものであることに変わりはない。なお今日、一般に土鳳梨と呼ばれているパイナップルはスムースカイエン種といい、日本統治期に缶詰製造のためハワイから移植されたものである。清朝時代からのパイナップルは、スムースカイエン種に淘汰(とうた)されて今ではほとんど栽培されていない。

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1984年東京生まれ、明治大学理工学研究科修士課程修了。2012年台湾台南市へ移住、そば店「洞蕎麦」を5年間経営。現在「鶴恩翻訳社」代表。著書『台湾環島南風のスケッチ』『遊步台南』、共著『旅する台湾 屏東』、翻訳書『フォルモサに吹く風』『君の心に刻んだ名前』『台湾和製マジョリカタイルの記憶』等。

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