知られざる「チョウ大国」——世界が注目する台湾の自然生態

文化

チョウを「発見」した人々

台湾のチョウの発見者についても考えてみたい。その多くは学者ではなく、昆虫の研究を本業としない「チョウ好き」であることが多いのは注目に値しよう。生態研究や分類学は学者の手によるものが多いが、台湾での発見者は一般人であることが多く、学名にも日本人の名が付されていることが少なくない。

その一つに「ワタナベアゲハ」がある。台湾だけに生息する固有種で、「臺灣鳳蝶」という異名を取る。言うまでもなく台湾を代表する一つである。

ワタナベアゲハ(撮影:片倉 佳史)

ワタナベアゲハの発見者は渡邊亀作(わたなべ・かめさく)で、新竹州北埔に赴任していた警察官である。勤務の傍ら、余暇を利用して山に入っては、趣味の昆虫採集にいそしんでいたという。後に渡邊は北埔支庁長となったが、1907年11月14日に発生した抗日事件「北埔事件」の際、日本人57人とともに惨殺されてしまった。

生前、渡邊は北海道帝国大学の昆虫学者である松村松年(まつむら・しょうねん)に標本を提供していた。松村は渡邊の死を悼み、新種の命名に際して渡邊の名を冠した。この時、ワタナベアゲハの他にワタナベキマダラヒカゲも命名されている。

余談ながら、松村は日本の昆虫学の基礎を築いた人物である。台湾との関わりも深く、1906年と翌年に台湾総督府からの要請を受けて台湾を訪れた。松村はサトウキビの害虫について詳細な調査を行い、成果はその後の製糖産業の発展に大きく貢献した。チョウについても、09年に『台湾産蝶類目録』を刊行し、320種を紹介した。さらに、高山地帯に生息するアケボノアゲハの他、台湾だけで56種の命名者でもある。

チョウが舞う黄蝶翠谷を訪ねる

台湾が誇る生態景観として、「チョウの谷」を紹介したい。高雄市美濃区には雙渓と呼ばれる川が形成した渓谷がある。「黄蝶翠谷」と呼ばれており、春から夏にかけて、黄色いチョウが谷あいを埋め尽くす。

台湾中部の埔里や南部の墾丁など、台湾にはいくつかチョウの名所があり、いずれも大型がメインとなっている。そんな中、ここは小型種のキチョウばかりが集中して発生することで知られている。

キチョウ(撮影:片倉 佳史)

谷あいを埋め尽くすチョウの生態もまた、日本と深い関わりがある。戦時中、台湾総督府は台湾南部において、熱帯性植物の植林を進めた。特にマラリアの特効薬キニーネの原料となるキナの栽培を奨励したのは周知の事実である。この地も例外ではなく、枕木などの木材需要を満たすため、大量のタガヤサンが植樹された。

これがキチョウの生育に適したため、大規模な繁殖に結び付いた。毎年6月前後に大発生し、88年には5000万頭超が集結したという記録が残る。現在は往時の数には到底およばないが、その様子を目の当たりにすると、誰もが圧倒されるに違いない。

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