知られざる「チョウ大国」——世界が注目する台湾の自然生態

文化

戦前の少年らを魅了したチョウ

日本統治時代、少年らが夢中になっていたものの中に「チョウ採り」があった。

特に旧制中学の生徒の中には、休みのたびに採りに出掛けたという猛者もいたようだ。台南の郷土史研究家として知られた故・黄天横氏は台南第一中学に在学中、クラスの誰もが標本作りを趣味にしていたというし、台南時代の思い出をまとめた『鳳凰木の花散りぬ』の著者である今林作夫氏は憧れのキシタアゲハを求め、休みのたびに野山を駆け巡ったと熱っぽく語る。

コウトウキシタアゲハ(撮影:片倉 佳史)

戦前、愛好家たちがこぞって追い求めたものにコウトウキシタアゲハがある。台湾東部に浮かぶ蘭嶼とフィリピンにだけに生息し、台湾本島では見られない。「コウトウ」とは「紅頭」を意味し、日本統治時代に蘭嶼が紅頭嶼と呼ばれていたことにちなむ。また、キシタアゲハは台湾の最南部である墾丁でも見られるが、コウトウキシタアゲハは蘭嶼でなければ見られない。

コウトウキシタアゲハは羽を広げると12センチにもなる大型種で、前羽は黒色、後羽は金色をしている。後羽は太陽光線が当たる角度によってエメラルドグリーンやコバルトブルーへと変化する。その様子は優美で、息をのむほどの美しさだ。

フィリピン海峡を飛ぶことがあり、蘭嶼に暮らすタオ族の人々は洋上、2キロほど先にいても判別できるという。日中は高さ10メートル前後を飛ぶことが多く、低い位置に下りてくるのは早朝と夕刻だけとなっている。

残念なことに、コウトウキシタアゲハは乱獲や原生林の乱開発によって、絶滅の危機にひんしている。現在は保護対象となっており、蘭嶼にはコウトウキシタアゲハが好むハイビスカスを植えた保護区が設けられている。

台湾チョウの王者と称される「フトオアゲハ」

台湾のチョウで最も著名なのはフトオアゲハである。愛好家が「台湾」と聞いてすぐに思いつくのはこれだという。台湾の国蝶とされている存在である。

チョウは本来、後羽の尾状突起に1本の翅脈(しみゃく)が貫通している。しかし、1932年7月、現在の宜蘭県大同郷で、尾状突起に2本の翅脈があるチョウが発見された。発見者は鈴木利一(すずき・りいち)という人物で、翌年に台北帝国大学教授の素木得一(しらき・とくいち)も捕獲に成功している。

34年には新種として記録されたが、台湾総督府はこれを天然記念物の扱いとし、捕獲を禁止した。その後、終戦までの採集記録はわずか6頭のみで、戦後もしばらくは採集記録がなく、昆虫雑誌などでは絶滅したと記載されることもあった。現在は生態保育の成果もあり、個体数は増えているが、そう容易に出会えるものではなく、筆者もお目にかかったことはない。

ちなみに作家・北杜夫の作品に『谿間にて』という短編小説がある。この中で主人公は山で知り合った男から、台湾の「幻のチョウ」について話を聞くシーンがある。これがフトオアゲハである。

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