蓮舫「二重国籍」問題に見る在日台湾人のジレンマ

政治・外交

岡野 翔太 【Profile】

歴史に翻弄される在日台湾人の「国籍」

さて、ここまで筆者は「中華民国国籍」という呼称にこだわって筆を進めてきた。「中華民国」が台湾人の「国籍」を表わす標識としては、実は完全なイコールではない。日本でも台湾でも「中華民国国籍」を単に「台湾籍」ないしは「台湾国籍」と言い換えるケースが多々ある。その結果、台湾人と「中華民国国籍」のずれが可視化されにくくなっている。

1945年以前、台湾人は「日本国籍」であった。そして、1895年に日本が台湾を領有する以前、台湾人は当然「日本国籍」ではなかった。日本は台湾を統治するに当たり、台湾人に清国籍を取るか日本国籍を取るかを迫った。清国籍を選択した台湾人を台湾から退去させ、退去しなかった者には日本国籍を与えた。

こうして日本の台湾統治が進み、「日本国籍」である台湾人の中には、進学や商用のため日本へ渡る者も多くいた。そして、1945年日本の敗戦によって台湾人は「日本国籍」の身分を有しなくなる。46年6月に入って、在日台湾人は中華民国国籍の取得が可能になり、多くの在日台湾人が中華民国国籍を取得した。ところが、72年に日本が中華人民共和国と国交を結んだことで、在日中華民国国籍所持者は自身の去就に迷ったのである。

「今後、日本は中華民国国籍を認めない」「中華民国国籍のままであれば日本に住めなくなる」といった定かでないうわさも広まっていた。そのため、一部の在日台湾人の中には新しく開設される中華人民共和国駐日大使館に行き、中華人民共和国パスポートを取得する者もいた。

73年1月に中華民国の駐日出先機関として「亜東関係協会」が開設された。ここで、中華民国国籍所持者は断交後も日本にいながら引き続き領事業務を受けることが可能となった。これは蓮舫氏の「二重国籍」とは異なるケースだが、中には何も知らず中華人民共和国駐日大使館へ赴き、そこで国籍喪失証明書を取得し、日本の法務省に提出して日本国籍を取得した者もいた。そうなると、中華民国側では手続きされていないため、事実上の中華民国と日本の「二重国籍」となってしまう。

台湾で生きていたら「日本人」になるかを迫られ、「日本人」になったのもつかの間「日本人」でなくなり、そして「中華民国国民」になって日本に引き続き住めば日本と中華民国の国交がなくなった。これが在日台湾人に共通する国籍の記憶であろう。

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岡野 翔太OKANO Shōta経歴・執筆一覧を見る

大阪大学人間科学研究科博士課程。台湾名は葉翔太。1990年兵庫県神戸市生まれ。1980年代に来日した台湾人の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。小学校、中学校は日本の華僑学校に進む。専攻は華僑華人学、台湾現代史、中国近現代史。著書に『交差する台湾認識-見え隠れする「国家」と「人びと」』(勉誠出版、2016年)。

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