日本人よりも「日本人」だった台湾人——追悼・蔡焜燦さん

政治・外交

野嶋 剛 【Profile】

老台北の日本精神

私は早くに父母両方の祖父を亡くしているので祖父というものを知らなかったが、なんとなく台湾にいる祖父のように勝手に感じていた。それでもここ数年はお目に掛かる機会がなく、この訃報にはなおさら残念な思いだった。

もちろん私など、蔡焜燦さんの知遇を得たあまたの日本人の末席にいるにすぎない。蔡焜燦さんと知り合った日本人で、最も有名で、かつ大きな影響力があったのは司馬遼太郎さん(1923~96年)だった。週刊朝日連載の司馬さんの人気シリーズ「街道を行く」で台湾が取り上げられたのが1994年。その内容は後に『街道を行く 台湾紀行』(朝日文庫)で一冊の本にまとめられている。

本の中で蔡焜燦さんは「老台北」と司馬さんに名付けられている。実際のところ、蔡焜燦さんは台中出身であったが、「老北京」に比した司馬さん一流の表現だった。老台北は『台湾紀行』全体のあちこちで登場し、物語を引き締める役割を負った。百戦錬磨の司馬さんが、蔡焜燦さんに会う時は、いささかの緊張感を持っていることが『台湾紀行』の文面からはうかがえる。

『台湾人と日本精神』

『台湾紀行』と対を成す書物が、蔡焜燦さんの『台湾人と日本精神』(小学館)である。日本で14版を重ねるロングセラーとなっているこの本は、『台湾紀行』と表裏一体の役割を負っている。

蔡焜燦さんが、司馬遼太郎さんと初対面のとき、軍隊式の挙手の敬礼を行ったことは『台湾紀行』で描かれているが、『台湾人と日本精神』では、敬礼を受けた司馬遼太郎さんは、少しためらいながら蔡焜燦さんに答礼し、挙手の右手をなかなか下ろそうとしないので、蔡焜燦さんから「そちらが上官だから先に下ろしてください」と言われて、司馬遼太郎さんはようやく右手を下ろしたという、『台湾紀行』にはないエピソードが語られている。

司馬遼太郎さんは蔡焜燦さんを「冗談とまじめの境目がわかりにくかった」と評した。まったくの同感である。話しているうちに蔡焜燦さんのペースに巻き込まれ、あっという間に対話の時間が終わってしまうのである。

日台の民間大使

『新・ゴーマニズム宣言 台湾論』

もう一人、2000年の政権交代直後に刊行された『新・ゴーマニズム宣言 台湾論』(小学館)を描いた小林よしのりさんは、蔡焜燦さんをどう表現しているだろうか。改めて『台湾論』を本棚から引っ張り出して読み返してみた。

蔡焜燦さんに宴席を設けてもらった小林さんは蔡焜燦さんについて「蔡さんは日本人より日本のことをよく知っていて、日本人より日本のことを愛している人で、民間人でありながら日本と台湾の外交を引き受けているすごい人だ」と評している。これに対し、蔡焜燦さんは「小林さんの読者の若い人が台湾に興味を持って来てくれたら何人でも私がご馳走(ちそう)してあげるよ」と語っている。

もてなし好きを意味する「好客」だった蔡焜燦さんは、生涯の中で数え切れないほどの日本人に食事をごちそうし、日本人を台湾という興味の尽きない世界に引っ張り込んだのである。それはまさに小林さんがいうように民間版の「外交」であった。

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野嶋 剛NOJIMA Tsuyoshi経歴・執筆一覧を見る

ジャーナリスト。大東文化大学教授。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に、香港中文大学、台湾師範大学に留学する。92年、朝日新聞社入社。入社後は、中国アモイ大学に留学。シンガポール支局長、台北支局長、国際編集部次長などを歴任。「朝日新聞中文網」立ち上げ人兼元編集長。2016年4月からフリーに。現代中華圏に関する政治や文化に関する報道だけでなく、歴史問題での徹底した取材で知られる。著書に『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『故宮物語』(勉誠出版)、『台湾はなぜ新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)『香港とは何か』(ちくま新書)『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』(ちくま文庫)『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)など。オフィシャルウェブサイト:野嶋 剛

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