台湾で根を下ろした日本人シリーズ:石の上にも10年——台湾映画監督・北村豊晴さん

文化 Cinema

北村 豊晴 KITAMURA Toyoharu

1974年、滋賀県生まれ。台湾在住の映画監督・演出家・俳優。国立台湾芸術大学映画学科卒。監督・演出家としての代表作に、映画『愛你一萬年(邦題:一万年愛してる)』 (2010年)、『阿嬤的夢中情人(邦題:おばあちゃんの夢中恋人)』(2013年)、テレビドラマでは長澤まさみが主演し、日本でも話題となった『流氓蛋糕店(邦題:ショコラ)』(2013年)、今年の金鐘奨に7部門9名がノミネートされ、最優秀女優賞および最優秀新人俳優賞を受賞した『戀愛沙塵暴』(2016年)がある。出演映画、テレビドラマ、CMは、『海角七號』(魏徳聖監督、2008年)、『甜•祕密』(許肇任監督、2012年)をはじめ多数。
提供:北村豊晴

台湾のエミー賞と言われる「金鐘奨」の授賞式が先日行われた。最大の注目株は、日本人で台湾在住の映画監督の北村豊晴が演出したテレビドラマ『戀愛沙塵暴』だ。北村自身の最優秀演出家賞も含め、7部門に9人がノミネートされ、最優秀女優賞と最優秀新人俳優賞を受けたこの作品は、台湾のテレビドラマ界に新風を吹き込もうと、大御所プロデューサー・映画監督の王小棣(ワン・シャオディー)らが立ち上げた「植劇場」シリーズの第1作として昨年放送された。5人家族それぞれが抱える悲喜こもごもの恋愛事情を痛快なテンポでつづり、台湾のお茶の間の笑いと涙を誘ったラブコメディーだ。台湾の土を踏んでから20年を迎え、映画監督・演出家として円熟期を迎えつつある北村の台湾での足跡を追った。

役者の夢をかなえるために台湾へ

今からちょうど20年前の1997年8月、片道チケットを手にした23歳の北村は、台湾の桃園空港に降り立った。実はその1年前、北村は「中国語のできる舞台役者」を目指し、中国映画・演劇界の登竜門である北京の中央戯劇学院に語学留学をしていた。しかし、最低2年間はみっちりと学ばなければ芝居で使えるレベルの中国語を習得することは不可能と判断。留学資金も不足したため、いったん日本に帰国して仕切り直そうと考えた。そんな折、台湾出身の留学生が語った「台湾であれば働きながら語学留学ができる」との一言で、北村の気持ちは一気に台湾へと傾いた。

「北京に戻って留学するための資金を台湾で稼ごうと思ったのです」

北村は笑いながらこう振り返る。「見る前に飛べ!」を信条とするポジティブ思考の青年は、こうして台湾の懐に飛び込んだ。

語学学校へ入学して夢を追い続ける

北村にはいつからか、役者になりたいという夢があった。高校を卒業すると一念発起し、故郷の滋賀を離れて大阪に移り住み、小さな劇団に所属した。それから2年ほどたった頃、今度は「落語のできる舞台役者」を目指し、笑福亭福笑の門をたたいた。「笑福亭はてな」の芸名をもらい稽古に励んだが、1年後に突如師匠から破門されてしまう。それでも役者の夢は捨て切れなかった。そして、北村が次に出した結論が「中国語のできる舞台役者」になることだった。

『戀愛沙塵暴』より樊光耀、柯淑勤、陳妤(提供:好風光)

台湾に到着して間もなく、北村は日本人オーナーの日本料理店で働くことになった。待遇は良かったが、1年たっても北京への留学資金は予定の半分もたまらなかった。自宅と店を往復するだけの単調な生活にも嫌気が差し始めた。役者の夢もずいぶんと遠のいてしまったように感じた。日本に帰ろうか迷い始めたころ、北村のことを唯一「先生」という敬称で呼んでくれたアルバイトの大学生からこう諭された。

「北村先生は才能があるのですから、もう少し台湾でがんばってみたらいかがでしょう。語学学校に通って中国語さえ自分のものにできたら、その後はどんなことだってできると思います」

その言葉に励まされ、北村は政治大学の語学学校に入学した。幸いなことに、学校から奨学金も得ることができた。この語学学校に通っていた1年間は、バラ色の人生だったと北村は振り返る。台湾人や日本人のみならず、さまざまな国籍の外国人と毎日交遊した。大学に進学してこのまま学生生活を続けたい。いつしかそう思うようにもなっていた。

本物の映画製作の現場で働きたい

1999年のある日、北村は台湾芸術大学映画学科の面接試験会場に立っていた。金髪のドレッドヘアにしま模様の革パンツ、げたといういでたちだった。見た目のインパクトで勝負しようとの作戦だった。面接官の教授に「これまでの君の作品を提出するように」と促されると、北村はこう答えた。

「作品はぼく自身です」

この大見えが面接官に通じたかどうかは定かではない。ただ、台湾芸術大学はこの年から留学生に門戸を開いたばかりだったことが幸いした。2人の外国人留学生枠に応募しのは、北村ともう一人、イギリスからの受験生だけだった。「翌年だったら、受からなかったでしょうね」と北村はうれしそうに話す。北村はすぐに頭角を現した。入学の翌年の2000年には、初監督作品となった『歐巴桑』が、台北映画祭市民映画展審査員特別賞を受賞したのだ。

次の転機は02年に訪れる。呉米森(ウー・ミーセン)監督の『給我一隻貓』に俳優として出演したことだ。この映画は翌年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の直撃を受け、興行成績は散々だったが、主演は武田真治。若き日の張孝全(ジョセフ・チャン)も出演している。この作品を通し、北村は学生映画と商業映画のクオリティーの差にがくぜんとする。その一方、03年には、台湾芸術大学同級生で蕭力修(アオザル・シャオ)が監督を務めた『神的孩子』で、プロデューサー兼俳優として関わることになった。

「学生映画は通常数日で撮り終えますが、この作品は彰化、台中、台北、新北、基隆を巡りながら、1か月をかけてじっくりと撮影しました。この時は自分が撮影チームをまとめる立場に回りました。チームが一丸となり、脚本を徹底的に詰め、1つ1つのカットにまでこだわった結果、学生映画を超える作品に仕上がったと実感しました」

手応えが示すように、この作品はその年、金馬獎で最優秀短編映画賞と最優秀視覚効果賞の2部門にノミネートされた。「本物の映画の現場で働きたい」。今度はそうした思いが募っていった。仲間にも引っ張られた。『給我一隻貓』の助監督で後に『甜・祕密』を撮影した許肇任(シュィ・チャオレン)監督、『翻滾吧!阿信』の林育賢(リン・ユィシエン)監督らも、北村を後押ししてくれた。俳優としての出演だけでなく、演出補や現場通訳といった裏方の仕事を振ってくれた。台湾では空前の大ヒット作となった魏聖徳(ウェイ・ダーション)監督の『海角七號』、一青窈が主演した侯孝賢(ホウ・シャオシエン)監督の『珈琲時光』、行定勲監督の『春の雪』等、日台合作の映画の現場にも次々と関わった。巨匠たちの異なる監督技法を目の当たりにしながら、映画制作の知識、経験、人脈を積み上げていった。

観客の心をつかみ映画賞を相次いで受賞

2006年に台湾芸術大学を卒業した北村は、その翌年、今度は台北芸術大学の大学院に進学した。受験の際に提出した作品が、短編映画の『愛你一萬年』。08年の若手映画人のための映画祭「金穂奨」の短編映画賞部門にノミネートされた。作品は台北芸術大学の教員も務め、長い間台湾の「金馬奨」映画祭主席に君臨したプロデューサー・焦雄屏(ペギー・チャオ)の目に留まり、脚本を書き直して長編映画にするよう勧められた。2年の歳月をかけて脚本を書き上げると、チャオ自らがプロデューサーとなり、劇場公開映画として北村の処女作となった長編『愛你一萬年(邦題:一万年愛してる)』が10年に完成する。台湾の人気グループF4の周渝民(ヴィック・チョウ)と日台ハーフの女優・加藤侑紀を主役に、台湾と出身地の滋賀県で撮影した。台湾人男性と日本人女性が90日間の恋愛契約を結ぶところから始まるラブコメディーだ。

『戀愛沙塵暴』より呉慷仁、陳妤、鄧育凱(提供:好風光)

13年には、前述の蕭との共同監督作品として、2本目の長編映画『阿嬤的夢中情人(邦題:おばあちゃんの夢中恋人)』が公開された。台湾の人気俳優・藍正龍(ラン・ジェンロン)と安心亞(アンバー・アン)を主役に半世紀前の台湾映画全盛期へのオマージュとして台湾語が飛び交うラブコメディーに仕上げた。この年の台北映画祭で脚本賞を受賞した他、翌年の大阪アジアン映画祭にも招待され、優れたエンターテインメント作品に贈られるABC賞も受けている。

これからも愛とコメディーを徹底的に撮り続ける

13年からはテレビドラマの演出も手掛けるようになった。長澤まさみが主演し、日本でも放映された『流氓蛋糕店(邦題:ショコラ)』は、北村が初めて演出したテレビドラマとなった。これに続き、15年には『台灣愛情捷運-奉子不成婚』、16年には『戀愛沙塵暴』を演出した。『戀愛沙塵暴』では日本から桜庭ななみも客演した。この時、一つの現象がニュースとなった。長澤まさみ、桜庭ななみともに、北村のテレビドラマに出演した直後に、ハリウッドで活躍する香港の映画監督・呉宇森(ジョン・ウー)の映画への出演依頼があったのだ。これは単なる偶然なのか、機会があればウー監督に直接聞いてみたい。ところで今後、北村の作品はどこへ向かうのだろうか。

提供:北村 豊晴

「観客が飽きるか、自分が飽きるかのどちらかまで、これからも愛とコメディーを徹底的に撮り続けます」

これまでは台北の街が舞台となる作品ばかりだった。台北に住み続けている北村にとって、日常風景の設定を崩す必要がないという点では有利だった。ただし、これからは台湾の他の地域、例えば南部の街や、チャンスがあれば日本でも作品を撮ってみたいと言う。北村のスタイルや目線から今の日本をどう切り取れるのか、楽しみにしているのは本人だけではないだろう。北村は次世代の映画人に向けて、こう語りかける。

「10年間同じことをやり続ける覚悟があるかどうかです。『愛你一萬年』は意地でも撮るという思いを持ち続けました。努力した時間は才能を補ってくれます。そして自分が良い状態でいられれば、運も縁も付いて来ます」

台湾は自分の夢をかなえさせてもらった奇跡の島、まさに「美麗島」という北村。今年の金鐘奨では二つの賞を受け、その手腕が認められた。先日、最新作のインターネット配信ドラマ『逃婚一百次』も公開された。年末までには、台湾移住20周年を記念しての自伝も出版される予定だ。台湾ラブコメディーの騎手として、今がまさに旬の北村のこれからにますます目が離せない。

バナー写真=提供:北村 豊晴

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