「味」がとりもつ日台家族の物語

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母の料理が家族と台湾をつないだ

台湾の一族に、長男の嫁として認められたい。

そのために母が力を入れたのは、台湾料理を学んで振る舞うことだった。父の胃袋を満足させるべく、新鮮な食材をニワトリやカエルの鳴き声が響きわたる市場で買いそろえた。私の手を引き、台湾語と日本語を混ぜながら市場で値下げ交渉を楽しむ。私が物心ついた頃には、母はずいぶんとたくましくなっていた。酒飲みでグルメな父に合わせるように、わが家の食卓には、清蒸魚(台湾式魚の蒸し物)、三杯鶏(台湾風鶏肉とバジルの煮込み)、麻油鶏(ごま油鶏肉スープ)、猪脚(豚足の醤油煮込み)、チマキ、大根餅、砂鍋魚頭(魚の頭の鍋)など、いつもたくさんのおかずが並んだ。また、いつも料理と一緒に思い出されるのは、ピチピチと大きな中華鍋から跳ね上がる油、セイロの隙間から漏れ出る水蒸気、トントンと鳴り響く包丁の音、そしていつも背中を向けながら料理を作り続けてくれた母の後ろ姿だ。

母は私が21歳の時に亡くなったが、7、8年前、偶然タンスの中から母の料理のレシピ本を発見した。本を開いた瞬間、料理の全てから台湾と日本で暮らした私たち家族の記憶がよみがえった。私たち姉妹と台湾をつないでくれているのは、これら母の料理だったことに気付いたのだ。

家族との思い出について語る筆者(2017年1月25日・東京都内、撮影:ニッポンドットコム編集部)

父母が生きている間に見てほしかった

日本と台湾は共に同じ国として、50年の歴史を共有してきた。長い歳月の中で、つらいことも楽しいこともたくさんあった。そんな中、日本人と台湾人が結ばれ、わが家のように家族を作った例は少なくない。

戦後も70年以上が経ち、歴史を共有した世代は減ってしまった。しかし2011年の東日本大震災で、世界最大規模の義援金を日本に送った国として、台湾は再び私たち日本人の記憶から呼び起こされた。近年では、海外旅行先としても大人気で、両者の民間交流はますます盛んになっている。こうした背景もあって、わが家のような家族が織りなす物語が、今再び注目されているのだと思う。

例えば女性芸人の渡辺直美さん。私とは逆の母親が台湾人で父親が日本人のハーフだ。最近は台湾でコンサートを開催したり、台湾のガイドブックを書いたり、台湾を意識した活動が注目されている。また、1990年代に日本でも人気を博した俳優の金城武さんも、母親が台湾人で父親が日本人のハーフだ。台北日本人学校に通っていたせいか流ちょうな日本語を話し、近年は活躍の場をアジア全体に広げている。家族の形はいろいろあるが、どれもみんなすてきな物語を含んでいるに違いない。

映画『ママ、ごはんまだ?』は、母の台湾料理によって愛情に満たされた家族の日常が描かれている。撮影は、父と母の故郷である台湾と石川県でそれぞれ行われた。苦労も多かっただろう父と母だが、私たち姉妹にはたくさんの愛情を注いでくれた。普通の家族の物語としても、日本と台湾の複雑な歴史を理解できる作品にもなっていると思う。

恐らく両親は、自分たち家族の話が映画化されるとは夢にも思わなかったに違いない。「妙ちゃん、なんてことをしてくれたの」と叱られるかもしれないが、本音を言えば、2人には生きている間に見てほしかった。次回墓参りに行く際には、「パパとママの物語が映画になりました。私も出演して、窈ちゃんも主題歌を歌っています。ぜひ見てくださいね」と伝えるつもりだ。

バナー写真:筆者と映画『ママ、ごはんまだ?』(2017年1月25日・東京都内、撮影:ニッポンドットコム編集部)

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