80年の時を超え、台湾と日本を結ぶ一枚の絵

文化

栖来 ひかり 【Profile】

上山満之進の台湾愛と陳澄波の郷土愛が生んだ絵

上山満之進が台湾総督を務めたのは、1926年から28年のわずか2年だが、その仕事は今日でも台湾社会に大きく影響しているものが少なくない。例えば、上山が在任中に設立に尽力した「台北帝国大学」は、現在も台湾の最高学府で陳水扁や馬英九、蔡英文ら歴代総統の出身校「台湾大学」である。建築物のほかに多くのシステムや知的財産がそのまま引き継がれている。

注目すべきは、上山が台湾先住民の文化に対し理解を示していたことだ。その証拠に、防府図書館内にある上山満之進の資料室には、台湾総督時代に先住民居住地に何度も足を運んだことを記した新聞記事が多数展示されている。上山が台湾先住民に高い関心を持っていたことがうかがえる。

また、総督を退いた際、慰労金を投入して台北帝大に依頼した先住民族研究は、『台湾高砂族系統所属の研究』と『原語による高砂族伝説集』という学術書に結実している。日本統治時代から戦後の国民党統治にかけて、多くの先住民文化が失われてしまったが、研究資料として現存できたのは上山の功績が大きい。

防府図書館内にある上山満之進と三哲文庫に関する常設展示室(撮影=謝ひかり)

上記の書物を編むための資金の一部をもって、上山は陳澄波に台湾時代の思い出となる「一枚の絵」の制作を依頼した。それが、今回見つかった「東台湾臨海道路」だった。

第一のテーマは「先住民」だったのではないだろうか。陳澄波が生まれた嘉義も阿里山山脈の麓にあり、山に住む先住民族との往来が盛んな地である。

今回の訪問団の世話人である山口県立大学の安渓遊地(あんけい・ゆうじ)教授は、「絵の中に描かれた東台湾の臨海道路は、1932年に完成した花蓮の蘇花公路と思われ、年代的に上山はその建設計画に関わっている。道なき道の上に暮らしていた先住民族の生活を大きく向上させた上山総督への敬意をこめて、陳澄波はあの絵を完成させたのではないだろうか」、そう想像している。

陳澄波文化基金会が開催した交流パーティーで、嘉義市の文化局長・黄美賢氏も出席し「絵を通して防府市との友好関係が深まり、多くの市民が行き来して交流が発展することを希望する」と語った。

嘉義市立博物館の庭園にある陳澄波の肖像彫刻と、防府市友好訪問団・山口県立大学の学生と教員たち(撮影=謝ひかり)

これに対し上山忠男氏も、「上山満之進はあの絵を大切に東京の書斎に掛け、後に三哲文庫に飾らせた。在任期間は短くとも、台湾に熱い思いを持っていた。今回の訪問で、陳澄波もまた故郷を愛したことがよく分かった。この絵を元に、上山の故郷・防府と陳澄波の嘉義との交流を礎として日台の交流が進む。これが上山の願いに沿うものだと思うし、その第一歩として、まずは絵が防府に帰ってきて欲しい」と応じた。

上山忠男氏が福岡アジア美術館に確認したところ、10年契約ではあるが、簡易的な修復後に一度展覧会ができれば返還に応じるという。また防府市内の毛利博物館も、市の財産として絵の保管を受け入れる旨を表明しており、陳重光氏も上山忠男氏の「一日も早い防府市への返還を」という願いに賛意を示した。

対面した上山忠男氏(左)と陳重光氏(右)(撮影=謝ひかり)

上山満之進と陳澄波によって生み出され、先住民の生活改善への希望と願いが込められた作品「東台湾臨海道路」が、80年の時を超えて再発見されたのが昨年のことである。そして今年の8月には、新たに就任した蔡英文大統領が、歴代の政府を代表して「台湾という土地の元々の主人である先住民が長いあいだ差別されてきたこと」を謝罪するという歴史的な一幕があった。何とも不思議な巡り合わせではないだろうか。

ちなみに防府図書館にかつて掛けられていた「東台湾臨海道路」に接していた市民は、地元の「富海(とのみ)」の海岸地帯を描いたものだと思い込んでいたらしい。私も富海を訪れたことがあり、両者は驚くほどよく似ている。陳澄波がまさかそのことを知っていたとは思えないが、この世には理屈では説明できない「縁」というものが、確かにある。

2011年の東日本大震災での台湾から日本に送られた巨額の義援金をきっかけに、日本人が親しい隣人としての台湾に改めて気付き、テレビでも毎日のように台湾のことが話題に上る「台湾ブーム」とも言えそうな時代になった。しかし本当は、台湾と日本との関係は今に始まったことではなく、多様な関わり合いの歴史が、今もさまざまなかたちで残されている。今回も、それの一部に過ぎず、もしかすると、これからも別のどこかで似たような「発見」があるかもしれない。

バナー写真=嘉義市立博物館の庭園にある陳澄波の肖像彫刻と、防府市友好訪問団・山口県立大学の学生と教員たち(撮影=謝ひかり)

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台湾在住ライター。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)、台日萬華鏡(2021年、玉山社)。 個人ブログ:『台北歳時記~taipei story

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