80年の時を超え、台湾と日本を結ぶ一枚の絵

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栖来 ひかり 【Profile】

幻の絵「東台湾臨海道路」の行方

陳澄波が上山満之進の依頼を受けて描いた作品が山口県の防府市で発見されたことは、台湾でも大変な話題となった。「幻の絵」をぜひともこの眼で見たいと考えた台湾に住む私は、今年の春節休暇を利用して帰国し、防府図書館を訪れた。

しかし、すでに絵はそこに無く、昨年12月、「福岡アジア美術館」に10年契約で寄託されたとのこと。理由は、これほど貴重な絵を保管できる施設が県内にないからだという。

確かに防犯設備が行き届いた美術館や博物館ならいざ知らず、一般の市民が通う公立の図書館である防府図書館が、「盗難などに遭おうものならエライことだ」と過剰反応しても無理からぬことだ。

しかし、防府市には「毛利博物館」や天満宮の「宝物館」があり、山口県内にもいくつか美術館はある。それらと連携して、一時的にそこに保管している間に今後の取り扱いを検討する余地はなかったのだろうか。突如として福岡移送が決定された、そんな印象を私は受けてしまった。

防府図書館の前身「三哲文庫」は、上山満之進が生まれ故郷の文化育成を目的に、私財を投入して建てた地域の図書館である。戦後は「三哲文庫」から「防府市立防府図書館」へと名前をかえて今に至る。

今回の絵も、上山満之進より図書館へ寄贈された物の一つだ。かつて「三哲文庫」を撮った写真には、読書する子どもたちを静かに見守る「東台湾臨海道路」の姿がしっかりと写り込んでいる。

三哲文庫内に掛けられた「東台湾臨海道路」/防府市立防府図書館内展示(撮影=謝ひかり)

地元・山口の人もあまり知らないが、山口県と台湾の関係は非常に深い。19人いる台湾総督の中で、児玉源太郎はじめ、実に5人までもが山口出身者である。また「蓬莱米」を普及させた農学者の磯永吉は引き揚げ後に山口県の農業顧問となった。台湾民俗研究に大きく貢献した先史学者の国分直一も晩年は山口県で教鞭を執り続けた。台湾最初のデパートである台北の「菊元百貨店」を創業した重田栄治、今も人気の観光スポットである台南の「林百貨店」の創業者・林方一も山口県人だ。そして、そもそも山口県下関市は、清国が日本への台湾割譲を決めた「下関条約」を締結した場所でもある。

私も山口で育ったが、10代後半で山口を離れた後、長らく台湾に大した興味も持たずにきた。台湾と山口にこんな浅からぬ縁があると知ったのは、恥ずかしながら最近のことで、以降、山口への愛着がより湧くようになった。郷土に対して愛情を持つには、その地の歴史や物語を知る必要がある。土地への愛とは、先人の抱いていた思いや願いを未来へとつなぐ作業だと、改めて感じた。

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台湾在住ライター。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)、台日萬華鏡(2021年、玉山社)。 個人ブログ:『台北歳時記~taipei story

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