露日協約100周年

政治・外交

ワシーリー・モロジャコフ 【Profile】

露日協約の骨子

1916年(大正5年)7月9日付 東京朝日新聞「日露協約正文」

公開された露日協約の条文には以下のように記されている。

ロシアと日本の両国に対して、それぞれの国と対立するような「

何等政治上ノ協定又ハ聯合 (いかなる政治的な協定や連合)」の当事国となってはならない。

両締約國ノ一方ニ依リ承認セラレタル他ノ一方ノ極東ニ於ける領土權又ハ特殊利益カ侵迫セラルルニ至リタルトキハ日本國及露西亞國ハ其ノ權利及び利益ノ擁護防衛ノ爲相互ノ支持又ハ協力ヲ目的トシテ執ルヘキ措置ニ付協議スヘシ (両国間で[相互に認められた極東における領土の権限と権益の]保護・防衛のための相手国への支援の方法について協議し合意すること)」

同時に、「

両國間ノ誠實ナル友好關係ヲ一層鞏固ナラシメンコトヲ希望シ (両国間の緊密な友好関係の強化のために)」、協約とともに密約も締結された。

露日両国は、「

其緊切ナル利益ニ顧支那國カ日本國又ハ露西亞國ニ對シ敵意ヲ有スル第三國ノ政事的掌握ニ歸セサルコトヲ緊要ナリト認メ必要ニ應シテ隨時隔意ナク且誠實ニ意見ノ交換ヲ行ヒ前記事態ノ發生ヲ防止セムカ爲執ルヘキ措置ニ付協議スヘシ (切迫した利益を顧みて、日本またはロシアに対して敵意を有する第三国の政治的な掌握から中国を守ることを差し迫って必要なことと認め、必要に応じて随時、遠慮なくかつ誠実に意見交換を行い、前述の事態の発生を防止するために取るべき措置について協議しななければならない)」(第1条)。

もし、中国で「

執リタル措置 (取られた措置)」によって、締結国の一方と前述の第三国の間に宣戦が布告された場合、「

締盟國ノ他ノ一方ハ請求ニ基キ其同盟國ニ援助ヲ興フヘク (締盟国の一方からの要請に基づき、支援を行わなければならない)」、締盟国は「

他ノ一方ノ同意アルニ非サレハ講和セサルコトヲ約ス (他方の締盟国の同意がなければ共通の敵国との間で和平協定を締結してはならない)」(第2、3条)。この条文を履行する際には、「

切迫セル戦争ノ重大ナル程度ニ適應スヘキ援助ヲ其ノ同盟諸國ヨリ保障 (締盟国双方は、その一方にとって差し迫り深刻な状況となった戦争の程度に応じて締盟国は支援を行うことを保障する)」(第4条)とされている。

同盟関係は5年間の期間で締結され、「

本協約ハ兩締盟國ニ於テ巖ニ祕密ニ附スヘシ ([政府より委任を受け本協約に署名をした者を除き]本協約は両締結国において機密とされるべきである)」(第5、6条)。ロシアの大臣の中で、この密約の存在を知らされていたのは、ロシア帝国閣僚会議議長のボリス・スチュルメルただ一人であった。

しかし、密約が秘密にされたのは、たったの1年半に過ぎなかった。1917年11月に権力の座についたボリシェビキは「秘密外交の廃止!」というスローガンを掲げ(※3)、ドイツとの戦争を継続している連合国(協商国)および米国に衝撃を与えるために、秘密外交に関する多くの文書を暴露した。(※4) 露日協定は実現されることのないまま、過去のものとなってしまった。

露日協約100周年に向けて、筑波大学で教壇に立つロシアの歴史家エドワルド・バールィシェフ氏が大変に興味深い本「日露皇室外交 1916年の大公訪日」(群像社刊)を日本語で出版した。同著のロシア語版刊行も心より待ち望む。

(原文ロシア語。バナー写真=1916年、ロシア最後の皇帝ニコライ2世とその子どもたち。翌1917年ロシア革命の勃発により、300年続いたロマノフ王朝は幕を閉じた。[出所:米エール大学バイネッキ図書館ロマノフ・コレクション])

(※3) ^ 1917年 レーニンは「平和についての布告」によって従来のあらゆる秘密条約を廃棄し秘密外交を否定することを交戦国に呼びかけ、ロシア帝国が関わった秘密同盟をすべて暴露した。

(※4) ^ 1916年に締結されたサイクス・ピコ協定(第一次世界大戦中の1916年5月16日に英国、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定)を暴露し、中東における「三枚舌外交」が強い非難を浴びた。

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拓殖大学日本文化研究所教授。1968年モスクワ生まれ。1993年モスクワ国立大学卒業、1996年同大学博士課程修了。歴史学博士(Ph.D., モスクワ国立大学、1996年)、国際社会科学博士(Ph.D.,東京大学2002年)、政治学上級博士(LL.D., モスクワ国立大学、2004年)。2000~2001年、東京大学社会科学研究所客員研究員。2003年、拓殖大学日本文化研究所主任研究員。2012年より現職。ロシア語で著書30冊以上、そのうち日本に関するもの15冊。日本語での著書に『後藤新平と日露関係史』(藤原書店、2009年)、『ジャポニズムのロシア』(藤原書店、2011年)。

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