
沖縄反基地運動の構造的問題
政治・外交- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
被害者のドクトリン
このような同調圧力を、私は「OPC」と呼んでいる。沖縄のポリティカルコレクトネス。被害者のドクトリンに従わないといけないという政治的なコレクトネスである。
これはアカデミズムの世界にも横行している。私は19年前、沖縄の県民投票についての論文を米国の学術雑誌に掲載した。その続編として、辺野古の地元、名護市の市民投票についての論文を提出したら、その内容が「県民の意見を代表していない」と大変な非難を受けた。
沖縄問題の解決に向けた公共政策は、事実に基づいた議論なしに生みだすことは出来ない。政策は感情から生まれるものではない。しかし「OPC」、つまり翁長雄志知事による「オール沖縄」の主張では、「自分たちが一方的な被害者で、被害者の感情にすべてが寄り添わなければならない」というのが「県民の総意」だとされている。
ここでは議論の内容だけでなく、報道される「現実」までもがこれに沿ったものでなければならないのである。これは、もはや原理主義である。
事実に基づいた主張を
そこで改めて解説したい。事実は何なのか。まず「普天間は世界一危険な基地」ではない。「県民、オール沖縄で反対しているという」、これも嘘である。今回の基地移転計画で一番影響を受ける辺野古でさえ、反対運動の中で本当の地元住民は数名しかいない。
反対運動の方々は「矛盾だらけ」。仮に彼らが沖縄のことを考えているとしても、その原理主義的な立場では結局、問題解決につながる政策は出てこないだろう。沖縄では、いかに政府が誠意を持って対応しても評価されない。本当に沖縄の基地問題の解決を望んでいるなら、なぜ実現可能な代案を提案しないのか。なぜ自分の主張を新しい情報に基づいて修正しないのか。なぜ嘘をつかなければならないのか。
この指摘は沖縄の読者には嫌がられるだろう。今までの沖縄の見方が変わるからだ。だが、これが沖縄の現実、本質だ。出口に向かうためには、まず事実を見る必要がある。感情論ではなく客観的な事実を見る必要がある。
さらに利害や利権という主観ではなく、それを超えた客観的な国家観を持って見る必要がある。沖縄問題には少なくとも3つの当事者がいる。日米沖である。相手の立場も考えないといけない。
何を「解決」するか突き詰めて
では、沖縄の問題にどう取り組んでいくべきなのか。
突き詰めなければならないのは、基地移転にせよ整理縮小にせよ、なぜそれを行うのかという理由、目的だ。何を解決するのかが分からなければ、いくら策を出しても答えにならない。
先に、普天間は世界一危険ではないと述べた。さらに言えば、辺野古移転も解決策としてはベストでない(その嘘を日米両政府はこれ以上言わないでほしい)。そもそも危険でなければ、騒音が激しくなければ普天間を移転する必要はないのであるが、しかしそれでも政治的理由から移転するなら、他の米軍施設と自衛隊施設の整理も賢明な方法で行ってほしい。
先日、沖縄県と日本政府が再び協議に入った。今こそ、何を解決しようとするのかを冷静かつ客観的に議論すべきだ。私案だが、基地は整理縮小しながら自衛隊と共同使用し、全ての米軍基地を自衛隊のものとすることを提案したい。これによって日米両国の政治的な問題が解決するだけでなく、財政面・軍事面でのメリットも生まれ、長く持続可能な同盟体制が構築できる。
バナー写真:辺野古岬のあるキャンプ・シュワブ前で行われる抗議活動(時事)