世界3億人もの失明の危機救う:ノーベル賞の大村智氏

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塚崎 朝子 【Profile】

ゴルフ場近くの菌から偉大な発見

73年に帰国した大村は、北里研究所の抗生物質研究所長に就任。研究室の面々は通勤時や出張時に、スプーン1杯の土を持ち帰ることを課せられた。1グラムの土には1億個以上もの微生物がおり、薬を創り出す菌がいるかもしれない。だが、年間3000余りもの菌を調べても、すぐには有望な新規物質は見つからない。

74年、伊東市川奈のゴルフ場近くで採取された土から新種の放線菌、Streptomyces avermectinius が見つかり、大村はそれをメルクに送った。寄生性線虫に感染させたマウスに菌の培養液を投与すると、寄生虫が激減する効果が得られた。その物質は、エバーメクチンと名付けられた。

エバーメクチンを生産する放線菌。静岡県川奈の土壌から発見された=学校法人北里研究所提供(時事)

牛馬の腸管に寄生する親虫類に効果が高く、ほぼ100%駆除することができた。同社の合成グループがエバーメクチンを基に改良を試みた末、イベルメクチンが合成され、81年にivomec® という商品名で、家畜やペットの抗寄生虫薬として発売された。家畜の消化器官にいる線虫を退治すれば、飼料効率が大幅に上がる。83年には、ivomecは動物薬の売り上げトップに躍り出た。世界中で食料と皮革の増産につながり、犬のフィラリア症などの予防薬としてペットにも多用された。

動物薬からヒトへ:熱帯病撲滅に大きな成果

これだけでも人類への貢献だが、ヒトの病気にも有効だということが分かってきた。オンコセルカ症はアフリカなどに患者の多い熱帯の風土病で、皮膚と目に障害を起こす。ブヨがヒトからヒトへと、線虫の幼虫(ミクロフィラリア)を媒介する。これがヒトの体内で成虫になって大量の幼虫を産み続け、幼虫は皮下組織を移行し、死滅する際に激しい炎症反応を誘発する。感染者の2割は失明し、アジア・アフリカではトラコーマに次ぐ失明原因となっていた。

イベルメクチンの効果は幼虫のみで、成虫には効かなかった。しかし、 成虫を急に殺してしまうと、宿主であるヒトがアナフィラキシー(急性の全身ショック反応)を起こしかねないため、むしろ理想的な薬だった。成虫はヒトの体内で14年間生き続けるため、その間は年1回この薬を飲み続ける必要があるが、幼虫を撲滅すれば新たなヒトへの感染はなくなる。成虫を持っている人は減り、やがて病気は撲滅できる。

87年、メクチザン®としていち早くフランスで承認。88年から、世界保健機関(WHO)を介してメルク社の無償供与が開始された。イベルメクチンは、蚊が媒介する線虫がリンパ系の働きを阻害するリンパ系フィラリア症についても効果を示し、2012年には世界中で3億人以上が投与される薬に。その大部分が熱帯病撲滅関係で無償供与されている。

オンコセルカ症は2025年に、リンパ系フィラリア症は2020年には撲滅が見込まれており、発展途上国における「公衆衛生上過去最大の成果」(ユネスコ)と高く評価された。

イベルメクチンは2002年、ストロメクトール®錠として日本でも発売された。適応となった腸管糞線虫症は、九州南部や沖縄にかけて数万人の患者がいる。06年には、ダニによって引き起こされる疥癬への適応が追加された。1回のみの投与で済み、これまで治療薬のなかったこれら2疾患の特効薬として用いられている。動物薬から始め、結果的にヒトにも貢献できた。思わぬ自然からの授かり物だ。

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ジャーナリスト。読売新聞記者を経て、医学・医療、科学・技術分野を中心に執筆多数。国際基督教大学教養学部理学科卒業、筑波大学大学院経営・政策科学研究科修士課程修了、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科修士課程修了。専門は医療政策学、医療管理学。著書に、『iPS細胞はいつ患者に届くのか』(岩波書店)、『新薬に挑んだ日本人科学者たち』『慶應義塾大学病院の医師100人と学ぶ病気の予習帳』(いずれも講談社)など。

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