今も抱かれる望郷の念——湾生と台湾

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片倉 佳史 【Profile】

湾生の人々が語る台湾

筆者はこういった湾生の人々の聞き取り調査を続けている。湾生の居住地は東京や関西以外に、九州をはじめとする西日本に多いのが特色とされるが、基本的には日本全国に散らばっている。

個人的な印象としては、湾生はどの地においても大学進学率が高く、各界で活躍してきた人が多いように思える。その理由として、台湾における教育水準が高かったことが挙げられる。日本統治下の台湾では内地人と本島人の間に教育差別があり、長らく内地人は尋常小学校、本島人は公学校と、初等教育機関が分かれていた。当然ながら優遇措置も多く、旧制中学以上への進学についても、明らかに内地人が有利だった。

また、公務員には外地手当(「六割加奉」と言われた)があり、本島人との給与格差は大きかった。もちろん例外はあったが、裕福な家庭が多かったのは事実で、子供たちものびのびとした環境で教育を受けていた。

一方で、異なった意見も聞く。それは、引き揚げ後、拠点らしい拠点を持たない湾生は誰もがつらい立場に置かれ、努力なくしては生きていくことができなかったという現実である。引き揚げで初めて日本の地を踏んだ人はどの土地においても多く、不慣れな土地で暮らし、繋がりも持たない湾生には数々の困難が付きまとっていたのである。

その結果、湾生同士で励まし合うことが多くなり、徐々にネットワークが形成されていった。特に地方都市においてはよそ者扱いをされることが多く、悔しい思いをしたと語る湾生は少なくない。湾生の出世はそういった状況に耐え、発奮した結果だったのだ。そして、そんな彼らを常に支えていたのが美しき故郷、台湾だったのである。

2015年8月2日に挙行されたバシー海峡戦没者慰霊祭。遺族のほか、日本語世代の台湾人や湾生の参列者も多く見られた

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片倉 佳史KATAKURA Yoshifumi経歴・執筆一覧を見る

台湾在住作家、武蔵野大学客員教授。1969年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)、『台北・歴史建築探訪~日本が遺した建築遺産を歩く』(ウェッジ)、『台湾旅人地図帳』(ウェッジ)、『台湾のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話』(昭文社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店~片倉佳史の台湾体験

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