「世界のミフネ」と呼ばれた男—三船敏郎

文化 Cinema

松田 美智子 【Profile】

泥沼の離婚裁判と腹心の裏切り

だが、仕事の充実は別にして、三船のプライベート面は大きく揺らいでいた。1972年1月、夫人の幸子が自宅を出て実家に戻ったため、家庭生活は崩壊の危機にあった。夫人が裁判所に離婚の調停を申請したことに始まり、以後5年間にわたる泥沼の離婚裁判が続く。

夫人が家を出た理由は、三船の酒癖の悪さと、女性問題だった。裁判期間中、三船は28歳下の新人女優(北川美佳)と同棲を始め、再婚の意志を固めていた。一方の夫人は離婚調停を取り下げ、妻としての復帰を願った。「籍は抜かない。私は一生、三船敏郎の妻です」と覚悟を語り、最後まで離婚に応じなかった。

1979年、プライベート面に加え、プロダクション内にも暗雲が広がっていた。三船の片腕と評されていた専務が、所属俳優の大半を引き抜き、独立するという事件が起きた。三船プロは経営面に打撃を受け、衰退の道をたどる。三船にとってもショッキングな出来事だったが、彼は辞めていくスタッフを責めることなく送り出し、信頼していた部下の裏切りにじっと耐えた。ジョークを言って人を笑わせるのが好きだった三船の口は閉じられ、肩を落とした姿が目撃されている。

三船プロの元社員は「三船さんは、東宝で世話になった照明や録音のスタッフを重役に据えた。いわば経営に詳しい人間がいない会社で、彼の律義な性格が災いした」と振り返る。

世界のミフネを襲った「老い」と「一人暮らし」

1984年、三船プロダクションは21年間で13本の映画を制作し、撮影所としての役割を終えた。このときの三船は64歳。体力はやや衰えたものの、仕事のオファーは絶えなかった。彼は国内でも、海外でもマネージャーや付き人を同行させず、単身で現場に入る。大物俳優が荷物を抱えて移動する姿を見た映画関係者が「せめて運転手を」と申し出たが、「動けるうちは、人を煩わせたくない」と答えた。

だが、6年後の1990年、極寒のアラスカで『Shadow of the Wolf』(日本未公開)の撮影を続けていた三船の身に変化が起きた。体調を崩し、物忘れなどの老いの症状が現れたのだ。

1992年には、20年以上、同居を続けた北川と別れ、一人暮らしを始めた。三船が北川と別れた理由については、長男の史郎が語ってくれた。「父が海外の仕事で留守中、彼女は父が大事にしていた三船家の位牌を処分してしまったんです。そのことを知った父は、ひどく怒り、彼女と大喧嘩をしたんです」。

マスコミは、愛人が老いた三船を捨てたと書き立てたが、実際は三船の方から関係を切ったのだ。

スティーブン・スピルバーグ監督とは『1941』(1979年)に出演以来、交流があった。
スティーブン・スピルバーグ監督とは『1941』(1979年)に出演以来、交流があった。

燃え尽きた映画人、77年の生涯

その後は、史郎夫婦が三船の世話を焼き、別居していた幸子夫人とも21年ぶりに再会した。だが、三船は認知症が進んでおり、妻を「おばさん」と呼んだ。幸子夫人は三船の介護を手伝い、寄り添った。夫婦に穏やかな日が戻ってきたかのようだった。

けれど、またしても2人に別れが待っていた。再会から2年後の1995年9月、幸子夫人は膵臓ガンで永眠した。67歳だった。そのとき三船は「おばさん、死んじゃったのか…」と呟き、気落ちした様子だったという。

そうして2年後の1997年12月24日、三船は入院先の病院で77歳の人生を閉じた。死因は多臓器不全。長年にわたって身体を酷使してきたためだったのか、心臓の冠動脈が2本詰まり、肺や肝臓、腎臓など内臓のほとんどが機能していなかった。まさに体力と気力の全てを使い果たし、燃え尽きたといえる一生だった。

その9カ月後、黒澤明監督もまた、黄泉の国に旅立った。死因は脳卒中で、享年88。日本映画界は1年の間に2人の偉大な映画人を弔うことになった。

今年9月のベニス映画祭では、アカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞したステーブン・オカザキ監督が三船の生涯に迫るドキュメンタリー『MIFUNE: LAST SAMURAI』が上映された。来年には日本公開も予定されている。比類のない存在感でファンを魅了した三船の人気は、死後17年を経た今もなお健在である。

(2015年10月 記)

【タイトル写真および本文中の写真提供は(株)三船プロダクション】

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山口県生まれ。作家。舞台女優として活動し、1975年に俳優の松田優作と結婚。長女をもうけた後、81年に離婚。その後、シナリオライター、ノンフィクション作家、小説家として活躍。主な著書に『サムライ 評伝三船敏郎』(文芸春秋、2014年)、『新潟少女監禁事件』(朝日新聞出版、2009年)、『越境者 松田優作』(新潮社、2010年)等。

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