台南で出会った日本との絆

政治・外交 社会 文化

一青 妙 【Profile】

台南の日本人が集まる“安宿”

はむさん

台南は都市の再開発が遅れている分、裏通りが面白い。そんな路地裏の象徴のようなゲストハウスがある。「はむ家」だ。「はむさん」というあだ名の日本人が経営している。日本語が通じる「安宿」ということで、特に若者の旅行者の間で絶大な人気があるという。

「私がはむです。名前が公一で公という漢字はカタカナでハムでしょ。だから“はむ”。」

1968年、富山県に生まれたはむさんは、建設関係の仕事をしていた。24歳で独立し、42歳まで社長を務めていたが、2010年、会社は不渡りを出して倒産した。その後、再建は順調に進んだが、倒産の負い目と悪行への反省から落ち込んでしまい、蒸発するように富山を後にした。

先のことは何一つ考えられない廃人状態で沖縄に向かい、そこからどこか外国へと足をのばしたのが台湾だった。

「台湾で話す言葉は中国語か。」「日本が統治した時代があったんだ。」

人生初の台湾で、初めて知ることばかりで心が踊ったという。

「台湾で何かを始めたい」

そんな思いを胸に、2013年4月、台湾一周の旅に出かけ、台南に出会った。

そして、「何かをするならゲストハウスが似合うよ」と友人に言われた言葉を信じ、この地で「はむ家」をオープンさせた。

「台湾一周の旅ではずっと天気が悪くて、台南にくるなりスカッと晴れたのです。」

何かに導かれるようにたどり着いた台南が、はむさんに心の晴れをももたらした。

台南に日本人は泊まらない、と周囲に言われながらも、ゲストハウスを開いて孤軍奮闘の1ヶ月。日本への留学経験がある台湾人のミキさんと出会い、4ヶ月後には結婚した。ミキさんの連れ子の可愛いゆいちゃんも加わり、はむさんは瞬く間に一家3人の主となった。

「路頭に迷った廃人に希望を与えてくれたのが台湾。生きる場所を与えてくれたのが台南。感謝してもしきれない。」

はむさんがいる「はむ家」だからこそ、人生に迷ったり、新しい人生を切り開こうとする人たちが自然と吸い寄せられて来るに違いない。焼鳥屋さんを開いた若者、台南で歌う主婦、廟に魅せられた元OL、定食屋を営む夫妻。まだまだたくさんの日本人たちが「はむ家」に集まってくる。

次ページ: 台南に残っている日本の面影

この記事につけられたキーワード

東日本大震災 台湾 湾生

一青 妙HITOTO Tae経歴・執筆一覧を見る

女優・歯科医・作家。台湾人の父と、日本人の母との間に生まれる。幼少期を台湾で過ごし11歳から日本で生活。家族や台湾をテーマにエッセイを多数執筆し、著書に『ママ、ごはんまだ?』『私の箱子』『私の台南』『環島〜ぐるっと台湾一周の旅』などがある。台南市親善大使、石川県中能登町観光大使。『ママ、ごはんまだ?』を原作にした同名の日台合作映画が上映され、2019年3月、『私の箱子』を原作にした舞台が台湾で上演、本人も出演した。ブログ「妙的日記」やX(旧ツイッター)からも発信中。

このシリーズの他の記事