ロシア文学翻訳の現在—古典新訳からソローキンまで

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現代の翻訳出版のマーケティング戦略

上記のような理由で、大手出版社や小規模の出版社が二の足を踏む中、同時代文学の翻訳紹介は白水社や河出書房新社のような中規模の出版社に委ねられるようになった。現代ロシア文学にかぎれば、ここ数年のあいだでは河出書房新社が果たす役割が相対的に大きくなっている。

ウラジーミル・ソローキンの『青い脂』(2012年、望月哲男、松本隆志訳)

河出書房新社のプロデュースした、現代ロシア文学の分野における近年のスマッシュヒットとしては、ウラジーミル・ソローキンの『青い脂』(2012年、望月哲男、松本隆志訳)と『親衛隊士の日』(2013年、松本隆志訳)、サーシャ・ソコロフの『馬鹿たちの学校』(2010年、東海晃久訳)と『犬と狼のはざまで』(2012年、東海晃久訳)があげられる。ただし、ソローキンもソコロフも新進作家というわけではなく、ロシア本国ではすでに文名を確立した作家であり、日本でも研究者の間ではよく知られていた。

それが近頃になってブレイクしたのは、出版社の販売戦略によるところが大きい。まずカバー・装丁に凝った、スタイリッシュなデザインを用いて、読者の目を惹きつける工夫を凝らした。さらに訳者として、原作の凝った文体にも対応できる新進の翻訳者を起用した(とくに東海晃久はソコロフ以外にも精力的に翻訳活動を展開している)。

注目すべきは、帯の推薦文に、岸本佐知子、中原昌也、円城塔、金井美恵子といった作家、翻訳者を起用したことだ。彼らはみな、海外文学愛好者の間でカリスマ的な影響力をもつ人物である。ソローキンとソコロフが日本の読書人のあいだで知られるようになったのは、彼らが寄せた熱っぽい推薦文があったからだ。このようなメディア戦略の結果として、ソローキン『青い脂』はTwitterユーザーが選ぶTwitter文学賞にも輝いた(第三回、2012年)。

河出書房新社は、池澤夏樹個人編集による『世界文学全集』(2007年―2011年)をヒットさせた実績を持っている。21世紀にあえて時代遅れとも見える『世界文学全集』を出版するという「賭け」にでることで、マスコミに大きくとりあげられ、話題性を呼んで販売実績を伸ばした成功例がある。翻訳文学におけるパッケージの重要性や、作家を用いたマーケティングなどの広告戦略のノウハウを熟知していたと言える。

文芸翻訳出版の未来

もちろん河出書房新社以外にも、現代ロシア文学の紹介に奮闘している出版社はある。とりわけ長年にわたって現代ロシア文学の紹介をほとんど一手に引き受けてきた群像社の存在を忘れることはできない。訳者としては、現代ロシア文学の紹介を精力的に続けてきた沼野恭子のようなベテラン翻訳家もいる。

ただし、10年前は3000部と呼ばれ、それでも嘆かれていた翻訳書の初版部数の低下はさらに進行し、出版社によっては初版1500部前後になることも少なくなくなった。たとえば、200頁で2000円の書籍を1500部販売したとして、通常8パーセント以下が相場と言われる訳者の印税がいくらになるのかを考えてみてほしい。しかし、200頁の文芸翻訳を相応の完成度で仕上げようとすれば、訳者の練度、作品の質にもよるだろうが、一日8時間、ほかにまったく仕事を受けずにひたすら打ちこんでも最低2か月はかかる(私ならもっとかかってしまうだろう)。残念ながら、純粋なビジネスとしては成立しにくい状況がある。一部の出版社では、すでに一部の翻訳にたいしては「初版訳者印税なし」にしているとの話も聞こえてきている。増刷されることなど99.9パーセントありえないから、訳者はただ働きを強いられることになる。これでは訳者が育つはずなどない。

現況、文学作品の翻訳は、訳者の個人的な愛情・情熱に負っている部分が大きい。それはある意味ですばらしいことなのだろうが、さらに部数の下降が続き、商業出版として成り立たなくなった場合にどうするのか。紙媒体を愛好する昔ながらの読者が翻訳文学愛好者に多いことはわかっているが、今後、文芸翻訳の分野こそ、電子出版を目標にしたクラウドファウンディングのようなかたちも視野にいれるべきではないのか。対象とする文芸書の翻訳に1200円支払ってもよいという読者が800人集まれば、十分成立するだろう。

聞き覚えのない声を求めて

古典文学の新訳ももちろん大歓迎だが、繰り返しの翻訳に耐えるような古典の数にも限りがあるし、旧訳がかならずしもすべて時代遅れになってしまったわけではない。原著者に印税を払えない(払いたくない)という理由で、現代文学が翻訳される機会が減るとすれば、それは重要な文化的損失だ。文化的な生産物にたいして、その製造に携わった作者にも(そして訳者にも)それなりの対価が支払われてこそ、健全な関係だと言える。

内田魯庵による「罪と罰」の英語からの翻訳の初版本 
日本で最初に『罪と罰』を翻訳したのは内田魯庵。明治25年に出版された初訳の第一巻は文壇で反響を呼び、第二巻には、坪内逍遥・饗庭篁村・北村透谷など文人達によって書評が寄せられた。

ある文化の総体を理解するには、古典だけでなく、同時代の文学(かならずしも純文学とはかぎらないが)について知ることも重要であることは言うまでもない。たとえば、日本が『源氏物語』やハイクを通してのみ海外で理解されていたらどうだろうか。古典作品と同時代作品、両方が揃ってこそ、お互いの適切な理解を促進できる。

最後に、翻訳者の端くれとしての個人的な意見を述べさせてもらうなら、やはり新しいもの、日本語になっていない作品の翻訳は常に魅力的だ。評価の定まった古典も重要だが、まったく未知なるものの最初の紹介者になることにこそ、翻訳の醍醐味のひとつがあるのだから。内田魯庵がはじめて英語から『罪と罰』を訳したとき、当然ながら日本でドストエフスキーの名前を知るものはほとんどいなかった。現代のマーケティングの常識に照らした場合、魯庵の試みにはだれも出資するものがなかったかもしれない。それはひとつの賭けだった――だが、魯庵は大いなる予感と自信をもってこの作品を訳出したに違いない。

いつの時代にも、耳慣れぬ声、未知なるものへの憧れと好奇心こそ、翻訳者たちの原動力でありつづけてきたのだ。

タイトル写真=ペテルブルグのドストエフスキー文学記念博物館

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