「政経分離」:戦後東アジア国際政治史の智慧

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川島 真 【Profile】

冷戦時代の境界線が残る東アジア

東アジアの地域統合が欧州のように進まないのはなぜか、という質問をしばしば受ける。中国の存在とかナショナリズム、あるいは発展度合いの相違とか、さまざまな回答があり得るが、ひとつの鍵は緊密な経済関係とは裏腹に存在する安全保障上の問題である。欧州には、冷戦下でも北大西洋条約機構(NATO)のような西側諸国をまとめていく枠組みがあった。それが西欧統合の基礎となり、冷戦後にはNATOが東に拡大して、欧州連合(EU)拡大の基礎となった。

だが、東アジアはそうではない。反共同盟はあったものの、米国とその同盟諸国の間のハブ・アンド・スポーク関係が基本で、日韓、日台など横の関係は強固とは言えなかったし、冷戦時代が終わっても、日本の敗戦および朝鮮戦争を経て形成された安全保障上の境界線は現在も残されている。昨今、これらの境界に変化の兆しが見られるのも確かだが、当面はこの境界線が維持されると思われる。

政治や安全保障の対立を乗り越える経済関係の堅持を

このような状態の中で、東アジアでは政治や安全保障の対立や境界線を乗り越える、経済面での関係の深化が進展してきた。だからこそ、東アジアにおける地域統合は政治的というよりも、実質的な関係に基づくことになるのである。これは安全保障などを伴わない点で脆弱(ぜいじゃく)な側面もあるが、この地域の安定と発展を考える上で重要な所作であった。すなわち、政治的な対立や問題を経済などの実質的な関係で包み込む、あるいは切り離す手法である。これは「政経分離」と呼ばれてきた、いわば戦後東アジア国際政治史の「智慧(知恵)」であったし、豊かさを求める経済発展こそが国是であった東アジア諸国にとって受け入れやすいものだった。

しかし最近、尖閣諸島の問題を契機とする日中間の経済活動の冷え込みに見られるように、政治的問題が経済活動に大きな影響を及ぼし始めている。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、世界経済をけん引する立場となった東アジアが、まさに繁栄を謳歌(おうか)すると同時に、政治的問題を経済活動に結びつけてしまえば、それは自らの長所を短所で覆い隠すことにつながりかねない。

かつて政経分離が図られた時代でも、政治と経済が自動的に分離されたわけでない。政治的に問題があっても、常に実質的な経済活動を安定的に行えるような努力がなされていたのである。間もなく、東アジア首脳会議が開催される。さまざまな政治的対立があるにしても、パワーゲームや主権をめぐる確執を議論する場と、自らの繁栄の基礎たる経済を語る場を切り分ける努力をし、東アジアの安定と発展の礎である経済面での関係を、地域各国の共通利益の源として堅持する努力が求められている。

(2012年10月9日 記)

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    nippon.com編集企画委員。東京大学総合文化研究科教授。中曽根平和研究所研究本部長。専門はアジア政治外交史、中国外交史。1968年東京都生まれ。92年東京外国語大学中国語学科卒業。97年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学後、博士(文学)。北海道大学法学部助教授を経て現職。著書に『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会/2004年)、『近代国家への模索 1894-1925』(岩波新書 シリーズ中国近現代史2/2010年)など。

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