「拖拉庫」「里阿卡」から「女優」「激安」まで——台湾語に含まれる日本語の移り変わり

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米果 【Profile】

子供のころを振り返れば、筆者の周囲で話されている台湾語の中には、多くの日本語が含まれていた。戦後の台湾で日本文化が再び開放されてからは、さまざまな交流により若い世代が使う中国語にも日本語の語彙(ごい)を使う現象が発生している。

点々模様は「水玉」

私の父は布作りの仕事をしており、母は裁縫ができた。私は子供のころから、両親が口にする「mi-zu-ta-ma」という言葉が、点々模様を指すことを知っていた。裁縫が上手だと褒める場合には「ki-ri-ka-e(切り替え)がよくできている」と言った。中国語ならば「藍色」と呼ぶ色を「紺色」と言っていた。その際、「kon(こん)」の部分は日本語風に発音し、「色」の部分は台湾語で発音する。私が通った幼稚園では、園児の前掛けは「エプロン」と呼ばれていた。漢字を使って書けば「A普龍」だ。日本人の義理のおばが緑色のチェック柄の衣服を母にプレゼントしてくれたことがあったが、スカート式で、身に着ける際には首の後ろでひもを結んだ。そして長袖だった。大人は「これもA普龍と呼ぶのだ」と言ったが、幼かった私は「どうして大人のA普龍には袖があるのだろう」と妙に思った。

台湾の男性は夏になれば大抵、下着としてしわのついた手触りの白いパンツをはいている。使う布を「枯力普」と呼ぶ。このパンツは夜店の屋台でも売っているが、私の母は日本から輸入した「枯力普」が好きだった。担ぎ屋が開いた舶来品店で売っている品だ。数年前になりやっと、この種のおじさんから子供までが着ている夏の涼しい下着の名にも、日本語の外来語が使われていることを知った。もともとはCrepe(クレープ)という特殊な織り方を指すフランス語だった。乾きやすく通気性が良くて涼しい特徴があり、昭和時代のオジサンがよくはいていたらしい。現在も日本の通販サイトで「クレープ肌着」と検索すると、たくさんの品がヒットする。中には60年以上も経営を続ける古い会社もあって、私の父親によると、台湾では昔、この種の下着の布作りの研究にとても苦労したという。父と工場の若い技術者数人は何年間もさまざまな方法を試みて、ようやく要点をつかんだ時には、素晴らしい成果を得たと皆が喜びに沸いたそうだ。

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コラムニスト。台湾台南出身。かつて日本で過ごした経験があり、現在は多くの雑誌で連載を持つ人気コラムニストとして活躍中。日本の小説やドラマ、映画の大ファンでもある。

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