もんじゅ廃炉へ:政府、年内に正式決定
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政府は9月21日開いた原子力関係閣僚会議で、日本原子力研究開発機構が運営する高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)に代わる新たな高速炉の研究開発方針を、年内に策定することを決めた。新方針が決まり次第、もんじゅの廃炉を正式決定する。核燃料サイクル推進の政府方針は堅持し、新方針は経済産業相を中心とした官民の「高速炉開発会議」を設置して検討を進める。
国内の大手メディアによると、新方針を巡る議論はフランスが計画している新型高速炉「ASTRID(アストリッド)」の共同研究を軸に進む見通しという。もんじゅはこれまで1兆円を超える巨費が投入されたが、トラブル続きでほとんど稼働しなかった。廃炉は日本のエネルギー政策の転換点とも位置付けられる。
事故・トラブル相次ぎ、22年間で運転わずか250日
核燃料サイクルでは、原子力発電所の使用済み核燃料を再処理し、取り出したウランやプルトニウムを再び原発の燃料として利用することを想定。発電しながら消費量以上の燃料(プルトニウム)を生み出す高速増殖炉は政府の核燃料サイクル政策の中核施設で、「夢の原子炉」と呼ばれて1960年代から研究開発が推進された。
もんじゅは実験炉「常陽」(1970年着工、77年臨界、現在停止中)に続く第2段階の「原型炉」で、1980年に着工。研究開発が順調なら、第3段階の「実証炉」、第4段階の「実用炉」と進むはずだった。
もんじゅは95年8月に発電を開始したが、わずか4カ月で冷却材のナトリウム漏れ事故が発生。2010年には14年ぶりに運転再開にこぎ着けたものの、再度の事故で運転を停止した。その後もトラブルが相次ぎ、これまでの運転実績は22年間でわずか250日にとどまっている。
「もんじゅ」の歴史=年表=
1968年 | 動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)が高速増殖原型炉の予備設計開始 |
1970年 | 建設候補地に福井県敦賀市を選定。新型炉を「もんじゅ」と命名 |
1985年 | 建設着工 |
1991年 | 試運転開始 |
1994年4月 | 臨界達成 |
1995年8月 | 発電開始 |
12月 | ナトリウム漏れ事故が発生し、運転停止 |
2007年8月 | 対策工事が終了し、原子炉確認試験開始 |
2010年5月 | 14年5カ月ぶりに運転再開 |
7月 | 計画停止 |
8月 | 燃料交換装置の落下事故が発生し、運転凍結 |
2012年 | 機器の大量点検漏れが発覚 |
2013年5月 | 原子力規制委員会が無期限の運転停止命令 |
2015年11月 | 規制委が文部科学省に、もんじゅの運営主体を日本原子力研究開発機構から変更するよう勧告 |
耐震補強に膨大なコスト、存続は困難に
今回「廃炉もやむなし」と決まった背景には、2つの大きな要因がある。安全管理の組織的な不備と、存続させた場合には膨大なコストがかかることだ。
もんじゅでは2012年、保安規定に基づく機器の点検漏れが9679個もあったことが発覚。13年に原子力規制委員会が施設を立ち入り検査したところ、安全上最も重要とされる機器について、さらなる点検漏れがあったことが確認された。14年には、施設内の監視カメラが50台以上も故障したまま放置されていたことも判明。規制委は15年11月、運営主体の変更を文部科学省に勧告したが、同省は具体策を打ち出せなかった。
また、東日本大震災(2011年3月)の東京電力福島第1原発事故を踏まえた新規制基準が導入された結果、もんじゅ再稼働には耐震補強など大幅な改修工事が必要となった。政府の試算では約5800億円の追加費用が必要で、再稼働までには10年はかかる。施設の維持費だけでも年200億円が必要で、政府・与党内では廃炉を求める声が高まっていた。
バナー写真:報道陣に公開された高速増殖炉「もんじゅ」の原子炉上部=2015年11月17日、福井県敦賀市(時事)