2015年に逝った人たち
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1月20日
斉藤仁さん(54)=柔道家
1984年のロサンゼルス五輪、88年のソウル五輪の男子柔道95キロ超級で、ともに金メダルを獲得。柔道界初の五輪連覇を達成した。現役時代はライバルの山下泰裕氏と重量級、無差別級で激闘を繰り広げたが、公式戦8戦8敗。国士舘大学柔道部監督などを経て、2004年のアテネ五輪、08年の北京五輪では男子柔道監督を務めた。全日本柔道連盟強化委員長の要職にあったが、病(肝内胆管がん)に倒れた。
1月21日
陳舜臣さん(90)=作家
『阿片戦争』、『秘本三国志』など中国を舞台にした小説を数多く発表、日中両国の文化的な懸け橋として活躍した。神戸市生まれ。父は台湾出身で、幼い時から祖父に漢籍の素読を受けたという。終戦の混乱で研究職(大阪外国語学校助手)をあきらめ、家業を手伝いながら小説を執筆。1961年の推理小説『枯草の根』が江戸川乱歩賞を受賞し、文壇デビューした。1970年代から中国各地を旅してスケールの大きい紀行、評論を発表し、多くのファンを獲得した。
1月26日
奥平康弘さん(85)=憲法学者
護憲の立場を貫いた論客で、第9条の改正に反対するため2004年にできた「九条の会」の呼びかけ人の一人。北海道函館市生まれ。米憲法における自由について研究し、東京大学助教授時代の1970年に『表現の自由とはなにか』(中公新書)を上梓。米国で「表現の自由」が最も重要視される理由を論じて、憲法論に一石を投じた。東京大学社会科学研究所所長などを務めた。
2月8日
榮久庵憲司さん(85)=工業デザイナー
キッコーマン醤油の卓上瓶、JRの特急「成田エクスプレス」、秋田新幹線「こまち」などのデザインを手がけた、日本の工業デザイナーの草分け。高度成長期の日本が生み出す工業製品に形を与えて、世界に送り出した。幼少期を米ハワイで過ごし、終戦後に父がお寺の住職をしていた広島へ。東京芸術大学で工業デザインを学び、1957年にGKインダストリアルデザイン研究所を設立した。79年に“デザイン界のノーベル賞”ともいわれるコーリン・キング賞を受賞するなど、海外での評価も高かった。
2月28日
松谷みよ子さん(89)=童話作家
1950年代から創作を始め、50年以上に及ぶ活動の中で『いない いない ばあ』、『小さいモモちゃん』のモモちゃんシリーズなど多くの名作を生み出した。東京生まれ。坪田譲二に師事して児童文学の世界に入り、1962年には信州の民話をもとにした『龍の子太郎』で国際アンデルセン賞優良賞を受賞した。民話研究の第一人者として知られるほか、広島の被爆者を描いた『ふたりのイーダ』(1969)を発表するなど、童話の枠にとらわれない活動を続けた。
3月19日
桂米朝さん(89)=落語家
端正な芸で人々を魅了し、衰退していた上方落語の復興に尽力。2009年には落語界で初の文化勲章を受章した。旧満州生まれで、兵庫県姫路市で育つ。戦後の1947年、21歳で四代目桂米団治に入門。三代目桂春団治、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝とともに上方落語を盛り上げ、消えかけていた古い落語演題の復元、再生にも努力した。品格に満ちた奥行きのある芸風で上方文化の象徴的存在となり、1996年には人間国宝に認定された。
3月21日
十代目坂東三津五郎さん(59)=歌舞伎俳優
日本舞踊「坂東流」家元でもある踊りの名手で、演劇やテレビドラマ、映画などでも幅広く活躍。歌舞伎俳優としては“円熟期”を迎える前に、すい臓がんで世を去った。九代目坂東三津五郎の長男として生まれ、1歳のときに曾祖父の七代目に抱かれて舞台に登場。6歳で五代目八十助を名乗って初舞台を踏んだ。八十助として長らく活躍し、2001年に三津五郎を襲名した。
4月2日
樋口隆康さん(95)=考古学者
アフガニスタン・バーミヤン石窟群の研究で国際的な評価を得たほか、西アジア、中央アジアの遺跡をいくつも発掘し、日本のシルクロード研究をけん引した。福岡県生まれ。京都大学大学院で東洋考古学を専攻し、1957年に日本人として戦後初めて中国・敦煌(とんこう)を調査。60~70年代にかけ、京都大学の調査隊でインド、アフガニスタン、パキスタンの遺跡を調査し、仏教が伝播した足跡を追う研究を続けた。奈良県立橿原考古学研究所所長、シルクロード学研究センター所長などを歴任した。
6月1日
町村信孝さん(70)=元衆議院議長
通産官僚から政界に転身し、文部科学相、外相、官房長官などを歴任。政策通で、自民党最大派閥を率いた。父親が衆院議員、北海道知事を務めた二世政治家。87年に衆院選に立候補して初当選し、外交や教育政策に精通する政治家として要職を歴任した。2006年には森喜朗元首相に代わり、清和政策研究会(旧町村派)の会長となった。2014年に衆議院議長に就任したが、脳梗塞が再発し、わずか4カ月弱で議長を辞任した。
7月5日
南部陽一郎さん(94)=理論物理学者、ノーベル賞受賞者
物質を構成する素粒子が宇宙の進化の過程で質量を獲得した仕組みの解明に道を開く、「対称性の自発的破れ」と呼ばれる理論を提示。現在の素粒子論の基本的枠組みとなる「標準理論」の確立に大きく貢献し、2008年のノーベル物理学賞を受賞した。東京生まれ。関東大震災で被災し、父の郷里の福井県で育った。東京大学で理論物理学を専攻。1952年に渡米し、58年にシカゴ大学教授に就任。70年、米国籍を取得した。
7月11日
岩田聡さん(55)=任天堂社長
ゲーム開発者から経営者に転じ、42歳で世界的なゲーム企業・任天堂の社長に就任。「ニンテンドーDS」「Wii」などのゲーム機を世に出し、一時代を築いた。東京工業大学の学生時代から、ゲームソフトの「ハル研究所」でプログラミングに従事。同社に入社し、1992年の経営危機の際に社長となって奔走。その腕を見込まれて2000年に任天堂に迎えられる。2年後には社長となって世間を驚かせた。ここ数年、業績不振が続いていた同社の立て直しを進めていたが、胆管腫瘍を患い、社長在職中のまま若くして世を去った。
7月20日
鶴見俊輔さん(93)=哲学者・評論家
リベラルな立場から幅広い批評・評論活動を展開し、戦後言論界の中心で活躍。雑誌『思想の科学』創刊に関わり、ベトナム戦争時には小田実らと「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)を立ち上げた。東京生まれ。祖父に後藤新平、父は鶴見祐輔(政治家)という家庭で育ち、15歳で渡米。ハーバード大学でプラグマティズムを学び、戦後は京都大学助教授、同志社大教授などを歴任した。
7月15日
青木昌彦さん(77)=経済学者
「ゲーム理論」を応用し、世界のさまざまな経済システムを、企業組織のあり方や規制制度、社会規範などの相互関係から理解しようとする「比較制度分析」の手法を開拓。日本独特の経済システムに対する海外での理解が進むきっかけを作り、ノーベル経済学賞に最も近い日本人と評価された。名古屋市生まれ。東京大学の学生時代は、60年安保闘争の論客として活躍。学生運動を離脱し、同大大学院、米ミネソタ大で近代経済学を学んだ。スタンフォード大学教授、経済産業研究所所長などを歴任した。
8月3日
阿川弘之さん(94)=作家
『山本五十六』、『井上成美』など海軍軍人の人間像を描いた伝記小説を世に出し、1999年に文化勲章を受章。古びた機関車を主人公にしたロングセラーの童話『きかんしゃやえもん』の作者としても知られた。広島市生まれ。東京大学国文科を繰り上げ卒業後、海軍予備学生に。戦後、中国から復員して志賀直哉に師事し、海軍予備学生の青春を描いた自伝的な小説『春の城』で1952年に読売文学賞を受賞した。
9月5日
小林陽太郎さん(82)=元富士ゼロックス会長
海外に豊富な人脈を持つ国際派財界人。日米財界人会議の議長として活躍したほか、1999年には経済同友会代表幹事に就任。外資系企業から初めての経済団体トップとして、企業の社会的責任(CSR)を提唱した。元富士写真フイルム社長、小林節太郎氏の長男で、父の赴任先のロンドン生まれ。米ペンシルベニア大学でMBA(経営学修士)を取得し、富士写真フイルムを経て富士ゼロックスへ。1992年に同社会長となってから、財界での活動に尽力した。
9月5日
原節子さん(95)=女優
小津安二郎監督の『麦秋』、『東京物語』、今井正監督の『青い山脈』など、1940~50年代の名作映画に数多く出演。引退後は一切表舞台に姿を見せず、“伝説の大女優”と言われた。死去当時も秘密にされ、ようやく11月25日に公表された。神奈川県生まれ。本名・会田昌江。1935年、高等女学校を中退して日活多摩川撮影所入り。37年の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢され、スターとなった。1963年、小津監督死去とほぼ同時に42歳で女優業を引退した。
11月20日
北の湖・日本相撲協会理事長(62)=元大相撲・横綱
最年少記録となる21歳2カ月で横綱に昇進。本場所で24度の優勝を果たし、大相撲に一時代を築いた。2012年から2度目の理事長職に就いていたが、直腸がんによる多臓器不全のため、九州場所開催中の福岡市で急死した。北海道出身。美保ケ関部屋に入門し、1967年に中学1年生で初土俵を踏んだ。1976~77年には横綱・輪島と伯仲の闘いを演じ、「輪湖(りんこ)時代」と呼ばれた。
11月30日
水木しげるさん(93)=漫画家
『ゲゲゲの鬼太郎』、『悪魔くん』などの人気作品を生み出し、漫画界に“妖怪もの”のジャンルを確立。自身の戦争体験を基にした作品も数多く残した。鳥取県境港市出身。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)中退。太平洋戦争で召集され、ニューギニア戦線で左腕をなくす。復員後、職を転々とする中で紙芝居作家となり、貸本漫画の時代を経て1965年に『テレビくん』で講談社児童まんが賞を受賞。『ゲゲゲの鬼太郎』で一躍人気漫画家となった。妻が書いた自伝をもとにしたテレビドラマ『ゲゲゲの女房』(2010年)も話題を呼び、同年には文化功労者に選ばれた。
12月9日
野坂昭如さん(85)=作家
空襲で親を失った兄妹の悲劇を描いた小説『火垂るの墓』を世に出したほか、歌手、作詞家、タレント、政治家など、多彩な活動で社会の注目を集めた。戦後の「焼け跡・闇市派」を自称するアウトローで、戦争反対、反権力の姿勢を徹底して貫いた。14歳の時、神戸大空襲で養父を、疎開先の福井県で妹を亡くした。『火垂るの墓』は1988年、スタジオジブリの制作(高畑勲監督)でアニメ映画化され、海外でも高い評価を得た。
バナー写真:水木しげるさんの訃報を伝える2015年12月1日付の香港の有力各紙(時事)