欧州経済通貨統合・単一通貨ユーロの歩み
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ギリシャの国民投票(2015年7月)で欧州連合(EU)が求めた財政緊縮策が拒否され、一気にEU危機が高まった。その根幹は政治統合よりも、EUとその前身の欧州共同体(EC)が進めてきた通貨統合だ。半世紀にわたる通貨統合の歩みやその背景、さらには単一通貨ユーロ誕生後の出来事を年表でたどる。
通貨統合・ユーロ関連 | 欧州統合全般、欧州情勢、域外国の動き | ||
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1967年 | 7月 | ブリュッセル合併条約調印、欧州共同体(EC)発足 | |
1968年 | 5月 | パリで「五月革命」 | |
8月 | チェコスロバキアで「プラハの春」弾圧 | ||
1970年 | 10月 | 経済通貨統合の段階的達成をうたう「ウェルナー・プラン」が欧州理事会に提出される | |
1972年 | 4月 | ニクソンショック後の為替市場不安定化を受け、EC縮小為替変動制度(「トンネルの中のヘビ」)がスタート | |
1973年 | 1月 | アイルランド、デンマーク、英国がEC加盟(9カ国に) | |
3月 | EC加盟国通貨の対ドル共同変動相場制(「トンネルを出たヘビ」)導入 | ||
1975年 | 6月 | ギリシャ、EC加盟申請/英国、国民投票でEC残留支持 | |
11月 | 初の先進6カ国(G6)首脳会議、ランブイエ(フランス)で開催 | ||
1979年 | 3月 | EC8カ国で欧州通貨制度(EMS)(※1)発足(英国は不参加) | |
1981年 | 1月 | ギリシャ、EC加盟(10カ国に) | |
1986年 | 1月 | スペイン、ポルトガル、EC加盟(12か国に) | |
2月 | EC12カ国が「単一欧州議定書(SEA)」調印 | ||
1989年 | 6月 | マドリード欧州理事会、3つの段階を経て経済通貨同盟(EMU)を実現すべきだとする「ドロール報告書」承認、90年7月1日からの第1段階実施決定 | |
11月 | 「ベルリンの壁」崩壊 | ||
12月 | ストラスブール欧州理事会、通貨統合の道筋を討議する政府間会議の開始で合意 | ブッシュ、ゴルバチョフ両大統領がマルタで東西冷戦の終結を宣言 | |
1990年 | 7月 | EMU第1段階(※2)開始 | |
8月 | イラクがクウェート侵攻、湾岸危機勃発 | ||
10月 | 英ポンドが為替相場メカニズム(ERM)(※3)に参加 | 東西ドイツ統一 | |
11月 | 全欧安保協力会議(CSCE)首脳会議が、欧州内の対立・分断の終焉を宣言する「パリ憲章」採択/サッチャー英首相が辞任 | ||
12月 | ローマ欧州理事会で、EMUに関する政府間会議と政治統合に関する政府間会議がスタート | ||
1991年 | 1月 | 湾岸戦争勃発(2月末まで) | |
6月 | ユーロスラビアで内戦勃発、スロベニア、クロアチアが独立 | ||
7月 | EC、日本との「日本・EC共同宣言」(ハーグ宣言)採択/ワルシャワ条約機構(WTO)解散/日・EC自動車合意 | ||
12月 | 欧州理事会、欧州連合条約(マーストリヒト条約)の締結で合意/ソ連崩壊、独立国家共同体(CIS)創設 | ||
1992年 | 2月 | EC12カ国、マーストリヒト条約調印 | |
9月 | 英ポンドが暴落し、ERMから離脱。欧州通貨危機(※4) | ||
1993年 | 5月 | デンマーク、2回目の国民投票でマーストリヒト条約批准賛成 | |
8月 | 欧州通貨危機でEC財務相理事会・中央銀行総裁会議がERMの変動幅を上下15%に拡大決定 | ||
10月 | ブリュッセル特別欧州理事会、94年1月からのEMU第2段階(※5)開始決定 | ||
11月 | マーストリヒト条約発効、欧州連合(EU)創設 | ||
1994年 | 1月 | EMU第2段階開始/欧州中央銀行(ECB)の前身となる欧州通貨機構(EMI)が創設 | |
4月 | GATTウルグアイ・ラウンドの最終文書、モロッコ・マラケシュで署名式 | ||
1995年 | 1月 | オーストリア、スウェーデン、フィンランドがEU加盟(15カ国に) | |
12月 | マドリード欧州理事会、99年1月から単一通貨ユーロの導入決定 | 旧ユーゴスラビアに関するデイトン和平合意、パリで調印 | |
1996年 | 3月 | 第1回アジア欧州会合(ASEM)開催(バンコク) | |
1997年 | 12月 | 気候変動枠組条約締約国会議(COP3)で京都議定書採択 | |
1998年 | 3月 | ギリシャの通貨ドラクマ、ERMに参加 | |
1998年 | 5月 | ブリッセル首脳級特別理事会、EMU参加11カ国(フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、アイルランド、ポルトガル、フィンランド、オーストリア)を正式決定 | |
6月 | ECBが設立(フランクフルト)、初代総裁にオランダのドイセンベルク氏 | ||
12月 | 財務相理事会、ユーロ参加国の為替相場固定 | ||
1999年 | 1月 | EMU第3段階(※6)開始、11カ国がユーロ導入 | |
3月 | NATO軍、ユーゴスラビア・コソボ紛争でユーゴ空爆開始(6月まで) | ||
2000年 | 6月 | フェイラ欧州理事会、ギリシャのEMU参加承認 | |
9月 | デンマーク、国民投票でユーロ導入否決 | ||
2001年 | 1月 | ギリシャがユーロ導入(12カ国目) | |
2月 | EU15カ国、ニース条約調印 | ||
9月 | 米中枢同時テロ(9.11)が発生 | ||
2002年 | 1月 | ユーロ現金流通開始 | |
2月 | ユーロ流通の過渡期間終了。導入国ではユーロが唯一の法定通貨に | ||
2003年 | 3月 | 米英軍がイラク攻撃 | |
9月 | スウェーデン、国民投票でユーロ導入否決 | ||
11月 | ECB総裁にフランスのトリシェ氏就任 | ||
2004年 | 5月 | キプロス、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロベニア、スロバキアの10カ国がEU加盟(25カ国に) | |
10月 | EU25カ国が欧州憲法条約調印 | ||
2005年 | 5月 | 仏、国民投票で欧州憲法条約否決 | |
6月 | オランダ、国民投票で欧州憲法条約否決 | ||
7月 | 英ロンドンで同時爆破テロ | ||
2007年 | 1月 | スロベニアがユーロ導入(13カ国目) | ブルガリア、ルーマニアがEU加盟(27カ国に) |
10月 | リスボン非公式欧州理事会、「新基本条約(リスボン条約)」採択 | ||
12月 | リスボン欧州理事会、リスボン条約調印 | ||
2008年 | 1月 | キプロス、マルタがユーロ導入(ユーロ圏は15カ国に) | |
9月 | 米投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻、世界金融危機 | ||
2009年 | 1月 | スロバキアがユーロ導入(16カ国目) | |
2010年 | 5月 | 債務危機が発生したギリシャに、EU/IMFが第1次支援融資(1100億ユーロ) | |
11月 | EU/IMFがアイルランドに総額850億ユーロの支援融資決定 | ||
2011年 | 1月 | エストニアがユーロ導入(17か国目) | チュニジア「ジャスミン革命」で長期独裁政権崩壊。「アラブの春」の先駆けに |
5月 | ポルトガルにEU/IMFが総額780億ユーロの支援融資決定 | ||
7月 | 欧州安定メカニズム(ESM)(※7)設立条約に調印 | ||
2012年 | 3月 | ギリシャに対し、EU/IMFが第2次支援融資決定(総額1200億ユーロ) | |
9月 | ドラギECB総裁、重債務国の国債を流通市場で無制限に購入する方針を発表 | ||
2013年 | 3月 | EU/IMFがキプロスに支援融資(総額100億ユーロ) | |
7月 | クロアチアがEU加盟(28か国に) | ||
2014年 | 1月 | ラトビアがユーロ導入(18か国目) | |
2015年 | 1月 | リトアニアがユーロ導入(19か国目) | |
3月 | ECB、量的金融緩和を開始 | ||
6月 | EU/IMFのギリシャ向け支援プログラムが失効 | ||
7月 | ギリシャの対IMF債務(15億ユーロ)、延滞に | ギリシャ、国民投票でEUの緊縮策を拒否 |
文・表:村上 直久(編集部)
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(※1) ^ 欧州通貨制度(EMS) 域内の為替安定化を図るために発足した通貨制度。変動相場の基準となるECU(欧州通貨単位)を新たにつくり、為替相場を一定の範囲内に収めるための市場介入メカニズムを参加各国が導入した。介入資金の支援を行う各種の信用メカニズムも準備された
(※2) ^ 通貨統合の第1段階(1990~93年) 為替管理制度を撤廃し、資本移動を自由化した。1993年11月に発効したマーストリヒト条約(欧州連合条約)に基づき、欧州経済通貨統合を目標として掲げ、インフレ率、金利、財政赤字、公的累積債務、為替相場の安定など各国間の経済のコンバージェンス(収斂、均質化)基準が設定された。
(※3) ^ 為替相場メカニズム(ERM) 欧州通貨制度(EMS)で採用された、域内通貨の目標為替相場制度。あらかじめ決めた変動幅の中で相場を調整し、変動幅を超えると各国の通貨当局が介入する。変動幅は中心レートから上下2.25%だったが、1993年の欧州通貨危機発生を受けて15%に拡大された。
(※4) ^ 欧州通貨危機(1992年) 英国の通貨ポンドが大量に売られ、ポンドの価値が暴落。「ポンド危機」「ブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)」とも呼ばれる。英国、イタリアが為替相場メカニズム(ERM)を撤退するなど、欧州の通貨体制は大きく混乱した。
(※5) ^ 通貨統合の第2段階(1994~98年) 欧州中央銀行(ECB)の前身となる欧州通貨機関が設立され、具体的な準備作業が進められた。
(※6) ^ 通貨統合の第3段階(1999年~) 1999年1月に、11カ国が単一通貨ユーロを導入。当初は銀行間取引など、非現金分野を対象に使用された。現金は2002年1月に流通開始。現在、導入国は19カ国にまで増え、ユーロ圏を構成する。
(※7) ^ 欧州安定メカニズム(ESM) 財政難に陥った国を支援するためのユーロ圏の金融支援機関。2012年10月に業務を開始。貸付能力は最大5000億ユーロ。