富岡製糸場が世界遺産登録へ:明治期の官営工場、日本近代化の象徴
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ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に、群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が登録される見通しとなった。文化庁が4月26日、ユネスコの諮問機関から高い評価で登録を勧告されたことを明らかにした。
生糸産業の革新に大きな役割
富岡製糸場は明治5年(1872)、明治政府が日本の近代化を狙い、初めて設置した国営の製糸工場。産業や科学技術の近代化に必要な外貨を獲得するため、当時最大の輸出品だった生糸の品質改善、生産増強を図ろうと、群馬県富岡市に洋式の操糸機械を備えた模範的な工場を政府自ら建設した。
民間に払い下げ(1893)後も一貫して製糸工場として稼働し、1987年に操業を停止。第2次世界大戦による空襲被害も受けず、操業停止後も所有者(片倉工業)が保存に尽力したこともあり、開業当初の建物群がほぼそのまま残っている。明治政府がつくった官営工場で、ほぼ完全な形でいまも残るのは富岡だけだという。今回の勧告では、フランスから技術を導入した後に短期間で近代的な生産システムを構築し、養蚕と生糸産業の革新に大きな役割を果たしたことが大きく評価された。
登録は、6月にカタール・ドーハで開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式に決定される。日本の世界遺産は、現在文化遺産に13件(姫路城、広島・原爆ドーム、古都・京都の文化財、富士山など)、自然遺産に4件(屋久島、白神山地、知床、小笠原諸島)が登録されており、登録されれば富岡製糸場が18件目となる。
今も残る1世紀半前の姿、一般にも公開
製糸場の中核施設、操糸場は長さ約140メートル、幅12.3メートル、高さ12.1メートルで、世界的に見ても同種の施設では当時最大の規模だった。300人取りの操糸器が置かれ、全国から集まった女性工員により、本格的な器械製糸が行われた。
このほか、東西の繭倉庫や外国人宿舎などが、ほぼ開業当初の状態で保存されている。
一連の施設は2007年1月に、ユネスコの世界遺産暫定一覧表に記載。日本政府は2013年、貴重な産業遺産だとしてユネスコへ推薦書を提出し、諮問機関の専門家による現地調査が行われていた。
同製糸場は2005年から一般に公開されている。公式ホームページには英語やフランス語、中国語、韓国語による説明もある。
タイトル写真=富岡製糸場の東繭倉庫(時事)