多彩な魅力を持つスペイン語文化、フラメンコはその扉です
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2013年6月23日、世界で2番目に多くの人が話すスペイン語のお祭り「スペイン語の日」が日本でも開催。そのステージに、黒い衣装に身を包んだひとりのフラメンコダンサーがあがった。迫力に満ちた踊りに、会場から盛大な拍手がわき起こる。笑顔で応えたその人こそ、スペイン・セルバンテス文化センターのアントニオ・ヒル・デ=カラスコ館長だ。
若き日にフラメンコダンサーを目指したこともあったというヒル館長は、2012年9月に就任したばかり。過去26年間、母国スペインを離れ、英国、エジプト、イスラエル、シリア、レバノン、トルコに在住してきた。「住んだ国々で共通しているのはフラメンコが愛されていた」ことだという。「アラブ世界などにも情熱的なフラメンコ愛好家がたくさんいます。しかし、踊りとしてみるなら、最も上手なのが日本。日本人は完ぺきに踊ります」
あらがうことのできないフラメンコの魅力
日本がスペインに次ぐ“フラメンコ愛好国”であることはあまり知られていない。日本フラメンコ協会(ANIF)によると、日本にあるフラメンコ教室の数は約650、生徒数も5万を超える。上海でフラメンコを学び、1920年代にアメリカ各地で公園活動を行った河上鈴子や、戦後日本・スペイン両国で「裸足の舞姫」との名声を得た長嶺ヤス子など、世界的に活躍した日本人フラメンコダンサーも少なくない。現在でも日本の若手ダンサーやアーティストが数多く活躍している。
スペインには、フラメンコの他にも伝統的民族文化が数多くある。しかし、フラメンコだけが日本人を魅了するのはなぜなのか。ヒル館長はこう説明した。
「ホタ(アラゴン地方の民族舞踊)や、ムニェイラ(ガリシア地方の民族舞踊)など、多くの魅力的な民族文化は、残念ながら日本人には知られていません。知名度の違いは大きいと思いますが、それだけではない。フラメンコがユネスコの世界無形文化遺産に登録されたのは、人間がもともと備えている、そしてひとりの人間を変えてしまうような、抗(あらが)えない魅力を持っているからです。他のどの国より日本人がその魅力をうまく捉え、その魅力に染まりました。偉大なフラメンコ・アーティストを輩出したスペイン南部と同じように、日本も多くのフラメンコ・アーティストたちを生み、彼らはフラメンコの魅力を濃密に表現しています」
日本ではフラメンコがビジネスとしてもしっかり定着しているという。
「日本では、フラメンコに関して多くのお金が動いています。その金額は、ほぼスペインにおけるフラメンコ・ビジネスと同規模といってもいいでしょう。日本ではすでに独自のビジネスとして確立しているのです。だからこそフラメンコの巨匠が日本で続々と誕生しているのかもしれません」
2013年11月28~30日、第2回フラメンコ・サミット「クンブレ・フラメンカ・デ・ハポン」が開催される。ギタリスト、ダンサー、歌い手など、参加者のすべてが日本人。館長も「その質は歴代でも最高のものになるだろう」と期待している。
フラメンコと武術、ふたつの伝統がひとつに重なる
一方で、日本の文化がスペイン本国で愛好されていることはあるのだろうか。
「琴のような楽器が広まるのは難しいと思いますが、演歌のようなジャンルであればスペインでも広まるのではないかと思います。演歌は1960年代のヨーロッパのロマンティックな音楽に非常によく似ています」
さらに、スペインで日本の武道が愛好されていることについて、面白い実例を挙げてくれた。
「今回、会場に来ていたアントニオ・アロンソ氏は、2010年に『アルマ・デ・オンブレス(人間の魂)』という作品を上演しましたが、これはフラメンコに日本の剣術の動きを加えたものです」
マドリード出身の舞踊家であるアロンソ氏は、もともとプリモ・バレリーノを務めたほどのバレエダンサーだったが、独自の舞踊団を創設し、フラメンコとクラシコ・エスパニョール(スペイン古典舞踊)の公演をヨーロッパ各国で行ってきた。作品は、イエズス会士たちが日本に上陸したところから始まり、彼らが日本人にどのように迎え入れられたかを描いている。
「演技の中の日本人剣術師範の動きとフラメンコの動きをよく見ていると、似ているところがあることに気付きます。アロンソ氏は、日本刀の動きとフラメンコの動きが一体化するところを非常に巧みに表現していました。ふたつの動きが似通っていることこそ、スペインで日本武道が浸透し、日本でフラメンコが浸透した理由ではないでしょうか」
中南米へと広がる日本との交流
「フラメンコへの興味が日本人をスペイン語に誘い、他のスペイン語文化への扉になっているのは間違いないでしょう」。ヒル館長は強調する。
セルバンテス文化センターは1991年、スペイン政府によって設立され、スペイン語の振興と教育、スペイン語圏文化の普及活動を展開している。全世界に約70以上の支部を持つが、東京支部はその中で最大規模を誇る。
「日本はスペイン語が公用語となっているどの国からも遠く離れています。しかしこの30年間、日本におけるスペイン語の普及には目覚ましいものがあります。日本で最も学習されているのは、中国語と韓国語。その次に英語、ドイツ語ですが、スペイン語はほぼドイツ語に追いついています。我々としては、日本の方にスペイン語がグローバルな言語であり、第1級の経済的資源であることを知ってほしいと願っています。スペイン語は仕事を獲得する手段にもなるのですから」
2013年は、仙台藩主・伊達政宗が1613年(慶長18年)に慶長遣欧使節団を派遣してから400年という大きな節目にあたる。それを記念した「日本スペイン交流400周年」事業が約1年にわたり開催されている。
「『スペイン語の日』に開催した今日のイベントも『日本スペイン交流400周年』事業のひとつです。現在、公式にスペイン語を公用語としているのは21ヵ国。スペイン語はスペインという国だけのものではなく、経済的、社会的、文化的に大きな価値を持っているのです。例えば、メキシコは最大のスペイン語人口を抱えている。日本と中南米諸国との交流も活発になってきていますし、メキシコは日本に大きく定着している国のひとつです」
慶長の遣欧使節がスペインを訪問した際、最初に寄港したのが当時のスペインの一部であったヌエバ・エスパーニャ(現メキシコ)。日本・スペイン交流400周年を機に、ヒル館長は在日メキシコ大使に慶長使節に関する会議開催への協力を呼びかけたという。
「会議には日本とスペインの他、メキシコ、フィリピンからも専門家の参加が予定されています。慶長使節が立ち寄ったすべての国からの参加を望んでいますので、ぜひキューバの専門家にも参加してほしい。そして、それぞれの国がどのように日本との交流を始め、400年間どのように続いてきたのかを、話し合いたいと考えています」
日本とスペイン語諸国との交流に尽力したいと語る館長は、最後にこう結んだ。
「日本人はどちらかというと内向的ですが、深いところでは我々とよく似た情熱を持っていると思います」
(インタビュー収録 2013年6月22日)
撮影=コデラ ケイ