下町のおもてなし:「鳩の街通り商店街」「キラキラ橘商店街」へようこそ
Guideto Japan
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東京の下町には、古さと新しさが混在する生活空間が広がっている。墨田区在住の優理(ゆり)は、観光で来日した友人・ピーターに、日本の暮らしを身近に感じてもらうため、東京スカイツリーのお膝元にある商店街を案内してみることにした。
2人が最初に訪れたのは、「鳩の街通り商店街」。東武曳舟駅から徒歩約5分。水戸街道を浅草方面へ進むと、レトロな書体の看板が見えてきた。
(地図をクリックすると、そこを訪れた2人のコメントにジャンプします)
鳩の街通り商店街:水戸街道側入り口
ピーター(以下、P) 鳩の街って、いい名前だね。でも、なぜその名前がついたの?
優理 ここは昔、東京大空襲(1945年)で焼け残ったところに、被災した近隣の歓楽街・玉ノ井が移ってきたこともあって、だんだんと賑やかになって、戦後は赤線と呼ばれる地域になったの。
P アカセン?
優理 売春を目的にした特殊飲食店街のこと。戦後すぐは、進駐軍の米兵が主なお客さんだったそうよ。米兵がこの街にくると幸せになれる。だから、幸せの象徴である「鳩」を街の名前にしたんだって。
タイルの壁:赤線時代の名残
優理 その後、赤線は昭和33年(1958年)に廃止されて、そうした飲食店も、だんだん一般のお店や住居に変わっていったそうよ。でも、今でも街を歩いていると、壁にタイルを貼った家が何件か見つかるはず。これは赤線時代の名残なんですって。
P あ、本当だ。写真を撮ってもいいかな?
優理 今も住居として使われているので、ご迷惑にならないように静かにお散歩を続けましょう。
「エデン」:地元住民の憩いの場
優理 ところで、お腹空いてない?
P うん、ペコペコ(笑)。商店街の入り口にあった「エデン」という喫茶店、どうかな?
優理 いいわね!昭和34年(1959年)創業の「エデン」は、50年来の常連も集う、地元住民の憩いの場よ。
P エデンって、「エデンの園」が名前の由来?
優理 ジェームズ・ディーン主演の映画「エデンの東」からいただいたんですって。
P マスターもジェームズ・ディーンに似てハンサムだ。
優理 ご主人のお料理も、昔ながらの日本の洋食の味でとてもおいしいの。今日のランチはショウガ焼き定食ですって。
P この赤いのはスパゲティ?
優理 そうよ!喫茶店や食堂のおかずには、よくこのナポリタンがつくの。
P イタリアのナポリに、こんなメニューはあった?
優理 いいえ、ナポリタンは日本生まれのメニューよ。
P ふ~ん。ケチャップが利いていておいしい。
「はとホット」路地尊:防災のとりくみ
P あれ?これ手押しポンプ?
優理 そうよ。家の屋根に降った雨を、広場の地下の貯水槽にためて、このポンプでくみ上げるの。
P ここには水道が通っていないの?
優理 いいえ(笑)。これは、火事になったときのためのもの。「路地尊(ろじそん)」って呼ばれているわ。
P 消防車は来てくれないの?
優理 この辺りには、空襲の戦火をまぬがれたこともあって、昔からの狭い路地が残っているでしょう?大型の消防車が入りにくい地域なの。
P だったら区画整理をして、道幅を広げればいいのに。
優理 街の人たちにとって、路地は生活の場であり、地域の交流の場でもあるから…。路地尊からは、自分達の手で街を守っていこうという、防災の心構えが感じられるわね。
P なるほど。あ、ポンプの向こうにスカイツリーが見えるよ!
「チャレンジスポット!鈴木荘」:古い街の新しい動き
P この古いアパートは何だろう。
優理 これは「チャレンジスポット!鈴木荘」。空き家だったところを、商店街が借り上げて、3年の期限付きで若いクリエーターに貸しているんだって。
P つまり、クリエーターズマンションってことだね。
優理 1階には店舗が3軒入っていて、2階は画家やライターがアトリエとして使っているそうよ。入ってみましょう。
P 「紙工房 堂地堂(どうちどう)」さんだって。ノートやポストカードがたくさんある。あ、スカイツリー柄のノートを発見!
優理 店主のご実家が、墨田区内で製本業をしていて、製本の過程で出る紙の破片を再利用して、メモ帳やノートを作ることを思いついたんですって。
P エコだし、何より楽しいね。段ボールを表紙にしたノートもあるよ。
優理 紙を自由に選んで、オリジナルノートを作ることもできるのね。
「こぐま」:商店街の情報基地
P そろそろ、どこかでひと休みしない?
優理 それなら、「こぐま」さんでお茶していきましょう。
P ずいぶん古い建物だ。この商店街にはこうした建物が多いね。
優理 この建物は木造の長屋建築で、昭和2年(1927年)に建てられたそうよ。
P ナガヤって?
優理 1つの建物をいくつかの壁で仕切って、数家族が暮らせるようにした住居のこと。庶民の一般的な住まいだったの。
優理 こちらは戦前薬局だったそうよ。棚に当時使っていた道具や薬箱が並んでいるでしょう?
P ほんとだ。
優理 昭和50年(1975年)に薬屋さんが閉店してから、空き家の時代も長かったけれど、6年前(2006年)に演劇活動でこの地域に関わっていた若いご夫妻が入ってきて、「こぐま」をオープンさせたんですって。「こぐま」は、観光で訪れる人はもちろん、地元の人たちにも愛され、商店街の情報発信基地としてもなくてはならない存在になっているそうよ。
P あれ、ここの机や椅子は、なんだか小さくない?
優理 これは、日本の小学校や中学校で使われている机と椅子よ。
P そうなんだ。あ、机の上に落書きがある。僕が通った学校の机にも、落書きがあったっけ。
優理 こどものいたずらに国境はないのね(笑)。
「磯貝米店」「松の湯」:昔ながらの店構え
P この街には、昔から商売を続けてきた人と、新しく入ってきた人とがいて、なんだかおもしろい。
優理 そうね。
P 古いものが大切にされているのも、いいよね。
優理 見て、このお米屋さんにも、昔ながらの日本建築の特徴が残っているわ。
P お米屋さんのお隣の屋根も、ずいぶん立派だね。お年寄りが桶を持って入っていくけれど、これはもしかして…?
優理 銭湯よ。風呂付の家が当たり前になったけれども、今でも銭湯は、地元の人が言葉を交わしあう大切な場所なのでしょう。午後3時前には、開店待ちの行列ができるくらいの人気スポットなのよ。ピーターも一風呂浴びていく?
P うーん、また今度にするよ(笑)。
歴史と下町の風情を残して生かす:鳩の街通り商店街理事・松橋さん談
鳩の街通り商店街には、80年近い歴史があります。
戦後は赤線地帯となりましたが、昭和30年代(1955年〜)には廃止され、生鮮食品や生花店などが軒を連ねるようになりました。
それからは、向島の料亭街が商店街のお得意様、という時代が続きました。しかし、政財界の官官接待で料亭が使われなくなると、商店街も次第に衰退していくことになりました。街の高齢化も進み、シャッターが閉まったままの店舗が増えていきました。
昭和の風情や歴史が息づく街並みを残し、生かしていきたい。そのためには、商店街としても何かしなければいけないと思い、「チャレンジスポット!鈴木荘」の企画を始めることにしました。商店街を元気にするためには、新しいアイデアをもった若い人たちを街に呼ぶのが最善の策だと考えたのです。まず、老朽化して取り壊されるところだった鈴木荘を、商店街で借り上げました。家賃を極力抑え、借りてくれる若い人を募集して、ここを拠点にものづくりをしてもらうことにしたのです。2007年から話し合いを重ねて、2008年にスタートしたこの企画ですが、現在も鈴木荘は満室で、クリエーターがそれぞれの活動を行っています。
街の情報発信力も次第に付き始め、最近は、若い人たちがずいぶん集まってくれるようになりました。これからも、商店街の皆さんと知恵を出し合って、地元の人たちと若い人たちが共に街をつくっていけるような、そんなイベントや企画を実施していきたいと思っています。
次に2人が訪れたのは、「キラキラ橘商店街」。東武曳舟駅から徒歩約7分、京成曳舟駅なら徒歩5分。「曳舟湯」の破風と門塀、のれんがそそる大衆酒場を横目に見ながら、いざ商店街へ向かう。
(地図をクリックすると、そこを訪れた2人のコメントにジャンプします)
キラキラ橘商店街:原公園側入り口
ピーター(以下、P) ところで、なんで名前に「キラキラ」が付くんだろう?
優理 地元の女の子のアイディアらしいわ。商店街を活性化させる目的で、愛称を公募したんだって。
P いい名前だね。地域の人に愛されている感じがする。
「大国屋」「三善豆腐工房」:新世代のがんばる商店街
P ん? なんだかいい香りがする。優理 来年で創業60周年を迎えるおでん屋、「大国屋」さんよ。こちらのお母さんは2代目で、3代目になる20代の息子さんも、お店をお手伝いしているそうよ。P 若い人がお店を継いでいるのは、見ていて頼もしいね。あ、東京スカイツリーがここにもあるよ!優理 商店街の方々も、こうやってツリーの開業をお祝いしているのね。
優理 あら、お豆腐屋さんだ。ピーター、お豆腐は好き?
P 大好きだよ。ヘルシーフーズとして海外でも人気があるよ。
優理 見て、お豆腐パックにもスカイツリーが!「京都へ行かなくても デパ地下に行かなくても 旨い豆腐“京島”にあり」だって。カッコイイ。
P ん?このお豆腐には何かがミックスされているよ。
優理 これはバジル味のお豆腐。こちらはユズ。ゴマ。シソ。“変わり豆腐”がそろっていて楽しいわね。
P ケーキもある。これもお豆腐?
優理 おからよ。「三善」さんも、昭和42年(1967年)創業で、今年45周年をむかえる古いお豆腐屋さんだけれど、若い社長さんがアイディアマンなんですって。お惣菜もいろいろあって、選ぶのに迷っちゃう!
「ぺロケ」:お客様を思う心
優理 ピーター、この辺でひと休みしない?
P ここは、喫茶店「ぺロケ」?
優理 「ぺロケ」はフランス語でオウムという意味なんですって。ここも、手作りケーキとコーヒー、生ジュースのお店として、40年前にオープンしたそうよ。
P でも、今ではラーメンも焼きそばも食べられるんだね。喫茶店なのに。
優理 お客様のリクエストにこたえているうちに、メニューがどんどん増えてしまったんですって。
P お客さま第一、っていうことなのかな?
優理 下町には、見た目ではなくて、味にうるさいお客さんが多いから、このお店も、よりよい材料を使ってお客様にお出しするよう心がけているそうよ。
P 飾らない。でも、見えないところでしっかり頑張って、お客さんの期待にこたえる。簡単なようで難しいね。
優理 だんだん下町の心が分かってきたわね!
「鳥正(とりしょう)」京島店:お惣菜オンパレード
P それにしても、ここの商店街は、店先で食べ物を売るお店が多いね。
優理 夕方は、まるで惣菜合戦みたい。みんなで競い合って商店街を盛り上げているのね。ここは鶏肉屋さんだけど、お肉を使ったお惣菜が50種類以上あるそうよ!
P すごい!どれもおいしそうだなあ。
優理 キラキラ橘商店街は、ここでしか買えないものや、ここでしか食べられないものを「キラキラブランド」として認定していて、認定商品にはマークを付けることができるの。この「チキン餃子」もその1つ。
P じゃあ、ぜひとも食べてみなくちゃね。
優理 まとめて買うと、お買い得になるのね。
P すぐに食べるなら、温めてくれるって。
「越前屋ストアー」「向島電化ハウス」「たぬき寿司」:バラエティに富んだ店並び
P このお店は、すごくにぎやかだね。
優理 八百屋さん特有の威勢のいい「売り声」ね。お客さんとの会話も楽しそう。お客さんがたえないから、品物の回転もよくて、つねに新鮮な野菜がたくさんそろうのね。
P 僕も野菜を買っていこうかな(笑)。
優理 お店の作戦はみごと大成功ね(笑)。
優理 ここは「向島電化ハウス」だって。
P お店は懐かしい感じだけれど、名前はハイテクだなぁ。
優理 あ、レコードが売られている!それも新品よ。
P 次はお寿司屋さん。「たぬき寿司」だって。
優理 お店の前でお惣菜を売っているお寿司屋さんは、はじめて。
P あ、コハダがパックに入っている!
優理 自家製の卵焼きやガリもある。買っていこうかしら。
優理 この商店街を歩くだけで、毎日の生活に必要なものは全部そろっちゃうね。
P 商品を見ているとお店の人が声をかけてくれて、いろいろ教えてくれる。話がはずんで、ついつい買ってしまう。歩くだけで、お腹がいっぱいだ(笑)。
地元のお客様に喜んでいただく工夫を:キラキラ橘商店街理事・大和さん談
キラキラ橘商店街理事 大和和道さん。
(「肌着の大和」2代目ご主人 03-3617-0268)
商店街には、大きく分けて3タイプがあります。一つは広域型といって、浅草のように全国からお客さんが集まる商店街。二つめは地域型で、江東区の砂町商店街のように、区内からお客さんがやってくる。三つめが地域密着型で、商店街の半径500~700メートルに住んでいらっしゃる方がお客さん。うちの商店街はこの地域密着タイプです。
大型のショッピングセンターが進出し、日本全国で地元商店街がシャッター通りになっています。この界隈でも、駅前には大型店がありますし、他人事ではありません。しかし、商店街は、水道や電気と同様、地域の人たちの暮らしを支える「ライフライン」であり、「プラットフォーム」。大型店には代えられない役割を担っているのです。
商店街も、お客さんも、高齢化が進んで世代交代の時期を迎えています。時代の流れに合わせて、商店街も意識を変えていく必要があって、これまでさまざまな試みをしてきました。月に一度の朝市は30年続いていますし、年に5回ほど大売り出しもします。7月の七夕まつりや9月の夜市は、子どもたちを巻き込んだイベントですし、商店街の独自ブランドを設けて、お店の自助努力を促す工夫もしています。また、高齢のお客さんが休めるよう「お休みどころ」を作ったり、一部、高齢者の多い集合住宅で移動販売を行っているお店もあります。
東京スカイツリーの開業は、集客のチャンスかもしれません。しかし、地元に愛されなくては、観光客にも愛されない。これからも、地域密着型であることを大切にしながら、観光客にとっても魅力的な地域づくりをしていきたいです。
取材・文=佐々木 香織
撮影=山田 愼二