福島で生きていく ——東日本大震災から一年の福島を訪ねて

故郷・福島に響け! 民謡レクイエム

文化

ふるさとの生活と文化を織り込み、唄い継がれてきた日本の伝統音楽「民謡」。中でも福島県は、優れた唄が多いことで知られている。福島民謡のレコーディングを通じて、震災のつめ跡を癒やす声色と尺八の響きを聞いた。

「“3.14”のショックはすごかった。生活が一変しました。ただ、家族や仲間の絆をすごく感じられた1年でした」

民謡小湊流の後援会・副会長を務める松本一治さんは言う。

2011年3月11日に発生した東日本大震災について、福島では「3.14」や「3.15」としばしば言う。

大津波によって壊滅的な被害を受けた福島第一原子力発電所は、全電源喪失状況で翌12日に1号機が水素爆発。「3.14」は3号機で水素爆発、建屋上部が崩壊。2号機で核燃料棒が原子炉内の水からすべて露出し、原発事故の深刻さを痛感させられた。「3.15」には2号機でさらに爆発音。4号機の使用済み燃料プールでは火災が発生し、福島原発20~30キロ圏内に屋内待避の指示が出された。

目に見えない放射能の恐怖が自分の生活圏に入り込んできた日。多くの福島県民にとって、その日付が地震発生日よりも衝撃的な記憶となっている。

民謡は地元のつながりを強めるもの

以前、nippon.comでインタビューに応じてくれた尺八演奏家の小湊昭尚(こみなとあきひさ)さんは、福島県須賀川市の出身。父・法笙(ほうしょう)さんは民謡小湊流の2代目家元として、民謡歌手の妻・美鶴(みつる)さんとともに演奏活動をしながら、福島県と茨城県を中心に民謡の稽古を付けている。その小湊一家とお弟子さんたちが、陸奥国の一宮である石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ=福島県石川郡石川町)で 、福島民謡のレコーディングを行うと聞き現地を訪れた。

左:小湊昭尚さん 右:小湊法笙さん

「震災から1ヵ月くらい経った頃、民謡の稽古を再開しようとみんなに連絡しました。当時、お年寄りの方などはすることもなく家に引きこもっている状態。このまま沈んでいてはいけないと思ったんです」

そう語るのは、日本郷土民謡協会福島県連合会の会長を務めたこともある法笙さん。

「民謡はその土地に伝わる伝統的な歌。故郷を長く離れている人でも、民謡を耳にすれば瞬時に生まれ育った土地が思い浮かぶもの。放射能というネガティブな『福島』のイメージが拡がる中、『今こそ民謡を歌うべきじゃないか』と思ったんです。福島は汚染された土地ではなく、自分たちの生まれ育った大切な場所だと再確認するために」

お弟子さんたちは、法笙さんからの突然の電話に驚いたという。

「先生から声をかけられた時は、まだ毎日のように大きな余震がありました。正直、『民謡どころではない』と思っていたんです。実際、稽古再開の日にも地震が起きて……。でも、久しぶりに仲間と集まり近況を話し合ったりしていたら、とても元気になった。声をあわせて民謡を歌うと、震災前の楽しかった日々を沢山思い出したんです」(民謡小湊流 後援会長・水野勲さん)

歌い継がれてきた日常の唄

左から水野勲さん、松本一治さん、矢部フヂコさん、小湊美鶴さん

日本の民謡の多くは口承によって、何百年も歌い継がれてきたもの。庶民の日々の生活の中で湧きでた感情から生まれ、その土地ごとの風土が感じられる詩や発声、拍子で作られているという。

福島には『会津磐梯山』を代表格に、地方ごとに沢山の民謡がある。中でも相馬地方は、「相馬盆唄」「相馬流れ山」「新相馬節」「相馬二遍返し」など有名な唄が多く、“民謡のふるさと”と呼ばれている。

「私が暮らす須賀川市やこの神社がある石川郡は、原発の南西側なので放射能の影響が少ないので、住み続けることができている。しかし、相馬地方では津波の被害もひどく、原発に近い南相馬や浪江町などの多くの人が避難勧告を受けて地元を離れざるを得ない状況です。だから、今回は相馬の民謡『流れ山』を唄わせてもらいました」(小湊法笙さん)

「相馬流れ山」は、東北六大祭りの一つ「相馬野馬追」の出陣式で唄われることでも親しまれている民謡。1323年に相馬中村藩の藩祖・相馬重胤(しげたね)が東北に下向する際に、故郷の流れ山(千葉県流山市)をしのびながらつぶやいた言葉に、旋律が付けられて歌われるようになった。

「『流れ山』は故郷を懐かしむ民謡です。でも、震災とからめて無理に思いを込めようとせずに、いつものように歌いました。民謡は日常の歌ですから。いつも通り歌ってこそ、避難されている方に以前の日常生活や故郷のことを思い出してもらえると感じたんです」(美鶴さん)

福島で暮らし続ける覚悟

録音場所となった石都々古和気神社は千年以上の歴史を持ち、古代の巨石が参道に並ぶ独特の趣を持つ神社。震災前は、「一の宮参り」の参拝客が多く訪れていた。石川郡は地盤がしっかりしている地域で地震の被害は少なく、放射能の影響もあまりない。それでも、震災後に参拝客が激減した。その後、徐々に増えてはいるが、震災前の状況にはまだ遠いという。

「風評被害も深刻なんです。観光客が減り、福島県産の農産物はぜんぜん売れません。それでも、壊れた建物などはいつか直すことができるし、風評被害も少しずつ消えていくと思える。ただ、放射能は見えないのが怖い。しかも、いつ消えるかわからないんです」(水野さん)

福島県民は風評被害にも耐え、少しずつ平常心を取り戻している。

「今回の震災で、覚悟をさせられました。地震で死ぬかもしれないという覚悟と、ここで暮らしていくという覚悟を」(美鶴さん)

“自分が住んでいる土地に住み続ける”。普段ならそんな覚悟を迫られることはあまりない。しかし、放射能の脅威の前に、多くの県民がそうした覚悟を迫られている。子供や仕事や郷土愛のことなど、様々に考えて福島に暮らし続けている。中には、他の土地に移りたくても移れない事情がある方もいる。みんな何らかの決心をして、福島で暮らしているのだ。

「放射能に対して、私たち個人にできることは少ない気がしていました。でも今日、何百年も歌い継がれてきた民謡を演奏していて思ったんです。何百年の間にも、災害やいくさ、戦争など、沢山のことがあっただろうと。それでも、民謡はしっかりと土地に根付き、歌い守られてきました。放射能の影響がいつなくなるか、避難民の方がいつ故郷に戻れるかは分からない。でもきっと、民謡は唄い継がれて、福島人の故郷を思う心も生き続けるはずです。そのためにも私は、福島だけでなく世界中で、福島の民謡を演奏し続けたい」(小湊昭尚さん)

昭尚さんは今回の唄をアレンジして、2012年3月11日に『レクイエム』という曲をリリースした。収益金の一部は震災支援に寄付される。

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撮影=松田 忠雄

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