安保法制をめぐる現象からみる日本の今

抵抗政党としての民主党—「対案」と「廃案」の間で

政治・外交 社会

政権与党であった民主党の安保法制反対運動への「無責任」な相乗り―その政治的背景を分析し、野党第一党として今後残された唯一の選択肢を提示する。

去る9月に成立した安保法制(平和安全法制)の立法過程においては、野党第一党であり、2009年からの約3年半は与党であった民主党が、極めて強い反対姿勢を示した。なぜ民主党は、かつての社会党と同じように、国会外の運動と結びつきながら物理的抵抗を含む反対を選択したのだろうか。この問いについて、現代日本政治の基本構造から考えることが、本稿の狙いである。

議院内閣制―単独政権か連立政権かで大きな違い

戦後日本が採用している議院内閣制には、世界的に見ればかなりの多様性が存在する。最も大きな違いの1つは、与党が単一あるいはごく少数の政党から構成される単独政権か、複数(しばしば3つ以上)の政党から構成される連立政権か、によって生じる。

単独政権の場合、内閣と与党が法案提出前に内容の調整を済ませたものを議会に提出するのが通例である。単一政党である与党の賛成があれば法案は成立する上に、調整が済んでから法案が提出されるため、議会での修正はほとんど行われない。政策決定の主導権は内閣にあることが多い。このようなタイプの典型がイギリスである。

これに対して連立政権の場合、政策決定の主導権は連立与党内での協議に委ねられる。内閣(首相)の意向は重視されるが、与党を構成する各政党はいずれも単独で過半数の議席を持たない以上、連立与党内での合意ができない場合には政策決定できないのである。

法案提出前の連立与党内調整が十分に行われないような場合には、法案は議会で修正を受けながら成立を目指すことになるが、ここまでくると野党にも関与の余地が生じる。大陸ヨーロッパ諸国には、こうした立法過程になっている例が少なくない。

日本の“連立政権”の実質は単独政権

日本は今日に至るまで、政策決定の基本的なパターンは単独政権タイプである。1993年以降は連立政権がむしろ常態化しているとはいえ、ほとんどの場合には自民党あるいは民主党が衆議院の与党総議席数の8割以上を確保しつつ、少数の小政党と連立を組んでいるに過ぎない。

参議院での協力を確保する必要から連立相手の小政党の意向は汲むにしても、政策決定は主に内閣と大政党の事前調整に委ねられる面が依然として大きい。与党が参議院で過半数を確保できない「ねじれ国会」の場合を除き、野党が法案修正に関与する例は珍しく、内閣が提出した法案の大多数は無修正で成立している。

単独政権における野党の戦術的窮地

単独政権タイプの政策決定が行われる議院内閣制において、野党の役割はどのようなものになるだろうか。この点を考える上で決定的なのは、議会(国会)における法案修正がまず行われない、ということである。

戦後日本の場合、国会の会期が短い、与党によるいわゆる強行採決がマスメディアに批判される、といった特徴を活かして、審議拒否などの遅延戦術の末に、野党が与党からの譲歩を勝ち取ることが皆無だったわけではない。しかし、それは多くの場合に与党・内閣から見れば提出段階から想定した範囲内での譲歩に過ぎず、真に重要な法案を廃案にすることは極めて例外的である。

修正や廃案が極めて困難であることは、野党を戦術的な窮地に陥らせる。教科書的にいえば、単独政権タイプの政策決定における野党の役割は、議会で内閣提出法案の問題点を論戦によって指摘し、それがマスメディアに報じられることなどを通じて、次回選挙で野党に政権を委ねるよう有権者にアピールするところにある。だが、議会審議に対する注目度は低い場合が多く、実際のアピール効果は疑わしい。

“対案”提示は政策路線の宣伝以外に効力なし

野党にはしばしば、対案を提示すべきだという批判が向けられる。だが、政策決定が単独政権タイプである以上、対案の提示は野党、とりわけ民主党のような大きな野党にとっては、自らの政策路線の宣伝以外の効果はなく、多くの個別法案において無益である。

対案が法案の全面的な修正案を指すのであれば、取り入れられる可能性はない。与野党対決を生み出している法案の場合、事前の与党内部や内閣法制局との調整に多大な労力と時間が費やされているため、それとの整合性を維持できる範囲でしか修正はできない。

対案がごく限定的な部分修正を指すのであれば、有権者へのアピールとしては弱すぎて効果がない。それどころか、修正した以上は法案に賛成せねばならないために、中途半端な妥協をしたとしてマスメディアや支持者からの批判を受ける恐れさえある。

ここに、民主党が安保法制に対して国会外での反対運動と連動しながら、暴力沙汰も辞さないほどの抵抗を行った意味が浮かび上がってくる。

反対運動への相乗りは民主党にとっての「合理的選択」

民主党の側から見た場合に、国会論戦を通じて法案の問題点を明らかにし、有権者にアピールすることには、十分な効果が期待できなかった。安保法制の場合、審議の初期にはそのような姿勢が見られたものの、衆議院の憲法調査会に招かれた憲法学者が揃って違憲という見解を打ち出すまでは、論戦に対する注目度は低調であった。しかも、有権者の政策的優先順位は経済に置かれることが通例で、安保法制への疑義が安倍内閣や与党への支持を決定的に押し下げ、今後の選挙に大きな影響を与えるとは考えがたかった。

他方で、対案を提示することにも積極的な意味は見いだせなかった。衆参両院で与党が過半数を確保している以上、与党・内閣が成立に全力を挙げている最重要法案について、野党第一党からの全面的な修正案をのむはずはない。かといって部分修正では、小さな譲歩の代わりに法案そのものへの賛成を迫られる。与党・内閣は、一方的に法案を押し通したという非難を回避するために多少の譲歩をするつもりはあっただろうが、それは小政党の賛成を得られれば事足りるのであって、民主党に譲歩する理由はなかったであろう。

安保法制への反対運動が広がりを見せたとき、民主党にとって最も合理的に思われた選択はそれに相乗りすることであった。国会外の反対運動は、全体として見れば超党派の色彩が強く、何よりもマスメディアがそのように伝えていた。これに乗れば、国会論戦での問題点の指摘や対案の提示よりも、明確かつ迅速に広範な有権者にアピールできる。

「無責任」に幻想を振りまいた結果、支持は伸びず

だが、このような民主党の選択は、実際には期待されたほどの効果は得られなかった。安保法制が成立した後の各種世論調査では、安倍内閣への支持率は低落したとはいえ依然として40%前後を維持している。何よりも民主党自体への支持が上向かず、自民党との差は大きいままである。政権交代の機運は全く熟していないように見える。

深刻なのは、結局のところ民主党が国会外の反対運動を利用しようとして失敗したことだと思われる。単独政権タイプの政策決定である以上、国会外の運動とどれだけ連携しても、安保法制を廃案に追い込むことは不可能であった。与党経験もある民主党、とくにその幹部たちが、それを知らなかったとは考えられない。

デモに合流し、初めて反対運動に参加したような人々に、強い主張をすれば廃案にできるという幻想を振りまくことは、かえって民主党以外の野党に支持を向かわせた。政党名まで変える「解党」が妙案だとは思えないが、政権を目指す政党に似つかわしくない無責任さが復調を妨げているという意識を持たない限り、展望は開けないのではないか。

粘り強く遠回りするしか道はない

結局のところ、野党が単独政権タイプの議会で担う教科書的役割に立ち返るところにしか、民主党の活路はないように思われる。どれだけ注目度が低く、短期的な効果がないように見えても、粘り強く論戦を展開していくこと。

それと並行して、個別法案への単なる強い批判だけではなく、与党の政策路線に対する総体的な代替案を練り上げていくこと。そして、できるだけ多くの小政党議員を自党に合流させること。遠回りに見えても、それが政権奪還を目指す野党第一党の唯一の道である。

(2015年11月17日 記)

タイトル写真=安全保障関連法案に反対するデモに参加する民主党の枝野幸男幹事長(中央)ら(2015年7月15日、東京永田町)/時事

 

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