「母子手帳が紡ぐ日中夫人外交」―福田貴代子氏(元総理夫人)インタビュー
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汪婉・中国駐日大使夫人の熱い思い
——―中国を含めアジア・アフリカで母子健康手帳(以下、母子手帳)の普及活動をされていますが、その経緯をお聞かせください。
「はじめは、2008年に横浜で開催された第4回アフリカ開発会議(TICAD)で、当時総理夫人として主催したワーキングランチでのスピーチがきっかけでした。私自身、2男1女を育てた経験がありますから、母子健康手帳の素晴らしさを世界に何としても伝えたいと思ったのです。その後、母子手帳の勉強会をするようになりました。勉強会活動はもう3年になりますが、当初から汪婉・中国駐日大使夫人が一緒に勉強会に参加してくださっています。『ぜひ母子手帳を中国にも拡めたい』と、とても熱心でいらっしゃるのです。中国全体に母子手帳を普及させるのはすぐには無理だとしても、まず上海や北京であれば拡めていけると大変意欲的です」
中国では子ども1人に4つの健康記録
「中国では一人っ子政策で子育てに熱心ですからね。有力な婦人連合組織である、中華全国婦女連合会(=婦女連)に働きかけて会員を招集してくださり、去年の4月には中国でも勉強会をしました。各国にも母子手帳があるにはあるのですが、それは単なるメモ書きのようなものです。妊娠中の母親の経過を記したものと、出生後の子の記録を別に記入した母と子、別々の記録です。そうではなくて、母子の記録が1冊にまとまった日本式の母子手帳を外国の方に拡めたいと思って、活動を続けているのです」
「婦女連の孟暁駟副主席とご一緒したときに伺ったのですが、北京や上海などの大都市ではお子さん1人に対して4つの健康記録があるそうです。もし、子どもが複数だったらどうするのでしょうね(笑)。副主席にも日本の母子手帳の良さをお話ししたら、『一冊にまとめるのは良いですね』とおっしゃいました。これからも中国を含め各国に母子手帳の良さを拡めていければと思っています」
「民間交流に尽くしたい」—汪夫人
「今年4月、中国海南島・ボアオで女性プログラムの会議がありました。こちらに出席した際、母子手帳をインドネシアをはじめ世界にどうやって拡めてきたのか、その経緯をお話ししました。そして、中国でも1冊にまとまった母子手帳を拡めるメリットを説明したのです。中国では女性が働くのは一般的ですから、その中国で母子手帳が拡まって、母子健康の増進に役立てていただけるように願っています。中国で母子手帳のお話をすると、皆さんの反応はさまざまです。まだ実践の段階には至っていません。汪婉夫人が活動に非常に熱心なのが心強いですね。婦女連には中国全土の各地域に組織・団体があって、そうした各組織を通じて拡めていければいいと思っています」
「程永華・駐日中国大使と汪婉夫人はともに、学生時代には日本に留学され、日本語は私たちよりも美しいくらいですよ。夫人は、『私が留学した当時はまだ中国人留学生は日本に数少なかった。その当時、私が東大の先生、学生、日本の一般市民に大変お世話になりました。今、民間交流に尽くして、両国関係の改善にお役に立ちたい』とおっしゃっていました。私は汪婉夫人とはメールのやり取りもさせていただいているほどですし、それぞれの立場もありますので、両国関係が微妙な局面にあることも互いに理解しています」
親子健康手帳普及協会の顧問就任で、活動拡大を
——―これまでJICAを通じて母子手帳の普及活動が盛んになされてきました。今回、親子健康手帳普及協会の顧問に就任されて普及活動が活発化していくと思いますが、その意気込みはどうですか。
「2008年のTICADでは40カ国以上のアフリカの大統領夫人が集まってくださって、母子手帳に関するスピーチを熱心に聞いてくださいました。でも『母子手帳が素晴らしいのは分かった。ただ、私たちにはお金がない』というのが彼らの反応でした。すると、世界銀行の事務局長が『アフリカはこれまで、頼めば何でももらえると思ってきた。そうではなく、これからは自国でもスケジュールや予算管理をしてくれれば私たちが応援する』と自立を促したのです」
「ケニアを除いて、アフリカではまだ母子手帳が普及してはいません。アフリカ各国を回ってみて実感したのは、国土が広大すぎて、自分たちだけの力で母子手帳を拡げるのは難しいということです。また、その当時は、まずエイズを何とかしなければ母子手帳どころではない、というのが正直な思いでした。帰国後、日本人である私たち自身がまず母子手帳そのものについて知らなければということで、勉強会を始めたというのが経緯です」
海外の日本人妊産婦にも手帳を無償配布へ
——―在外公館を通じて海外にいる日本人の妊産婦にも母子手帳が配布されることになりましたね(※1)。周囲からの反応はいかがですか。
「2014年3月に、社団法人親子健康手帳普及協会顧問に就任しまして、同じく顧問の高村治子(自民党副総裁)夫人のお力を借りながら母子手帳普及活動に努めております。実はボストン在住の妊産婦さんから当協会へ問い合わせがあり『どうしても海外で母子手帳を入手したい』という要望をいただきました。そのことがきっかけで、海外在住の日本人の妊産婦さんに無償で母子手帳を配ることになったのです」
「日本では母子手帳は当たり前ですが、海外でも母子手帳が母親の手元にあるようになったのは非常に心強いですね。今までは妊娠・出産の経過を、病院では把握していても個人では把握のしようがなかったわけですから。これからは病院と母親個人とで経過を共有できるのですから、海外にいる母親たちは安心できると思います」
——―安倍内閣では、女性パワーの活用を政策目標の重点に置いています。少子高齢化が加速する中で、育児をどのように捉えていらっしゃいますか。
「妊産婦と新生児が安心して過ごせるようになってほしい、ということだけを願っています。日本でも1940年代は乳幼児の死亡率が非常に高かったのですが、その比率が64年ごろ急激に低下した背景には、母子手帳が果たした大きな役割があります。今、アフリカやアジアでは妊産婦や乳幼児死亡率が非常に高いため、そこに母子手帳を活用できないかと考えています。そもそもアフリカには戸籍がありません。もし大統領が母子手帳を各家庭に配れば、戸籍代わりにも使えるのではないでしょうか」
普及活動、典型的な成功例はインドネシア
——―アジア諸国で母子手帳が非常にうまく普及していますが、アジアでの普及活動の展開をお聞かせ願えますか。
「一番うまくいった典型的な例はインドネシアです。20年ほど前に、インドネシアのドクターが日本で研修しているときに母子手帳を見て、その素晴らしさを自国で広めたことがきっかけになりました。インドネシアでは部族も多いので、各部族に合わせたものを作っているようです。今では、インドネシアは近隣の国々に母子手帳の指導に行っています。やはり、お医者様を味方につけると強いなというのは実感していますね。今回、15,000冊の母子手帳が海外の日本人に配布されますが、それを利用した母親が、今度は母子手帳を海外で普及する役目を担ってほしいですね」
——―各国でも母子手帳は普及していますか。
「ええ、例えばパレスチナでは、以前は印刷設備がなかったため皆さんが手作業で母子手帳を作ったそうですよ。それほど苦労しながらもJICAの援助で母子手帳を作ったということです。一カ国だけに長い間援助をすることが出来ず、今JICAではその援助を打ち切る話があって、母子手帳の普及が止まってしまうのではないかと心配しています」
各国大使夫人との連携と友好の輪
「いま私が行っている試みとして、大使夫人を集めて裏千家のお茶のお稽古をしています。そこにはヨルダン、カナダ、スペインをはじめ13人の大使夫人がメンバーとして登録されています。その方々を母子手帳の勉強会にお呼びしようと思っています。そうすれば、少しずつ各国大使夫人の間で母子手帳の認識が拡まるのではないかと思うのです」
「お茶もそうですが、日本の文化は中国から由来したものが多いですね。日本と中国の文化ということでいうと、先ほどのお茶のお稽古のときに裏千家の先生がいらっしゃるまでの間、かけ軸を汪婉夫人が流暢な日本語で読んでくださるのです。それぐらい夫人は日本文化に精通されていて、とても勉強家ですね」
「日中関係で言えば、群馬県で日中友好協会を作って中国と交流活動をしているのですが、汪婉夫人の外交上の役職である、中国大使館友好交流部担当参事官という立場で夫人が演説されたことがあります。いったん演説が始まると、彼女は非常に論理明晰で素晴らしいですね。演説された夫人に魅力を感じた各県の方々から、中国大使館に行きたいという問い合わせがくるほどだそうです。それだけ、夫人自身の魅力が日中友好にプラスになっていると思います。人を通じた顔の見える交流というレベルでは、日中間に密接な友好関係は築かれつつあると思います。国民同士は実は仲がいいんですよ」
厳しい日中関係だからこそ、必要な“礼”
——―日中国交正常化から時間が経ちましたが、日中関係の現状についてはいかがですか。
「国民同士は互いに尊敬しあっていると思います。国民の間で心のつながりがあれば、いざというときになってもすぐに元に戻ると思います。私の主人(注:福田康夫元首相)も去年だけで何度も中国に行っていますし、こうした人的交流を通じて両国の関係を構築していければいいのではないでしょうか」
「裏千家前家元の千玄室氏の言葉を引用しますと、『国家間は礼に始まり礼に終わる。よって、礼を尽くせば安らぎがもたらされる』とあります。陽明学にも『致良知』という言葉があって、人間は己の良心を知り、また他のこともよく知ったうえで他者を思いやり正しい行動を取るべきだ、という考え方があります。こうした知恵を両国関係にもあてはめて、互いを思いやった関係性を築いていけば、日中関係はもっとうまくいくのではないでしょうか」
(2014年5月21日のインタビューに基づいて構成。インタビュアーはニッポンドットコム代表理事・原野城治、および白石隆編集主幹。インタビュー写真撮影=コデラケイ)
(※1) ^ 2014年5月14日、社団法人親子健康手帳普及協会と外務省によって、各国の全在外公館で「親子健康手帳」を海外在住の日本人妊産婦に無償配布する取り組みが発表された。協会側が15,000冊を無償で提供し、国外228カ所の日本大使館や総領事館を通じて配布する。博報堂デザインによる同手帳は、予防接種記録欄が英語になっており海外医療機関でも使いやすい仕様である。