東日本大震災2周年を迎えて

呼びかける死者と見えざる悲しみ

社会 文化

「死者」と対話し、ともに生きるという視点こそが真の「復興」への道を開く。気鋭の批評家が、「3.11」後の世界を生きるうえでなおざりにすべきではない「死者」の存在を語る。

著者としては、証言の場所となる主体をつきとめる試みをとおして、新しい倫理の土地に取り組む未来の地図制作者にとって目印となるかもしれない杭をあちこちに打ち込むことさえできたなら、労は報われたと喜びたい。いいかえるなら、今世紀最大のこの教訓をつづってきたいくつかの用語を改め、ある言葉は捨て去り、ある言葉はこれまでとはちがった仕方で理解することさえできたなら、労は報われたと喜びたいのである。

ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの—アルシーヴと証人』

東日本大震災から2年が経過したが、復興は今も火急の問題であり続けている。復興は実現されなくてはならない。だが、それと共に私たちは、何が壊され、奪われ、そして何を喪(うしな)ったのかを、もう一度確かめるときにきているのではないだろうか。それは、何が失われずにあるのかを、私たちに知らしめることになるはずである。何を手にしていたかを思い出せない者が、どうやって見失ったものを探し出すことができるだろう。

悲しみのかなたでの死者との対話

2013年3月3日、朝日新聞の朝刊にこんな記事があった。記者は、津波で壊滅的な被害をこうむった陸前高田に赴き、老年の男性に話を聞く。記者は1年前にもこの人物のもとを訪れている。老人はこう言った。「夢さでてくれると、うれしいんだな。会話できんだもん。『なに、じいやん』って」。

小学校入学を直前に控えたとき、孫は、津波にさらわれた。1年後、夢で出会ったとき、孫の姿は、成長していて、他の小学生と同じようにユニフォームを着て少年野球のチームに入っていた。「みんなと一緒にやってんだな」と祖父は声を掛ける。孫の名前は祐太という。「祐太も、妻も、姉もいない。『どうすればいい』って、思った。でも、写真に話しかけることで祐太と一緒に生きられる」との言葉が、記事の最後に引かれている。

この記事に、私たちはどう向き合うことができるだろう。老人の悲しみは想像に余りある。だが、こうした声は、今も被災地にあふれているに違いない。彼の嘆きは二人称の死をめぐる感情的な表出であり、死者の姿を夢みることも、深層心理学的には、彼の無意識の願望であるとでもいうのだろうか。言葉にしないまでも、そう理解するのだろうか。

おそらく、老人の願いはまったく違う。彼は、語ったことをそのまま信じて欲しいと願っている。彼は自分の悲しみの内実を理解してほしいのではない。悲しみの意味は、疑いえないばかりか充足している。問題は、悲しみの彼方(かなた)で起こっている孫との対話である。彼は、自分の悲しみが受けとめられることよりも、死んで二度と会えないと思っていた孫からの呼びかけを現実の出来事として受容する他者の出現を求めている。

伴侶と孫、姉までも喪い、生きる意味を見失ったかと思われた老夫は、ある日写真に向かって話しかける。写真から声がするのではない。写真に向き合っているとき、時空に未知の扉が開く。そこからは、孫が呼びかける無音の「声」がする。その声は、空気を振動させることはないが、老夫の魂をふるわせる。毎日の、写真を媒介とした孫との間の会話がなければ、彼は生き続けることはできなかっただろう。ここに一切の誇張はない。そうでなければどうして他人にこんな話をするだろう。このときの話は数時間に及んだ、と記者は書いている。

「歴史」を見失った現代

行き場のない思いは、それぞれの人間の内心に奥深く潜んでゆく。受け手がいない言葉は、なかなか現れない。言葉が受容されるとき、出来事は真実味をいっそう輝かせる。老夫は「生ける」孫の存在を疑わない。しかし、彼と会話することの事実をいっそう確かなものにしたいと願っている。その役割を担うのは他者である。言葉を受け、それに応えること、そうした営みはときに、絶望の淵から人間を救い出す。

「歴史」とは、子供を喪った母親の悲しみである、と批評家小林秀雄は言う。この言葉も、これまでさまざまに解釈されてきた。感情的な表現で、歴史を一個人の出来事に置き換えているとの批判もあった。だが、個人の感情に照らし出されることを拒絶する歴史とはいったい何だろう。それは時代的価値という、うつろな視座から語られた出来事の断面に過ぎないように思われる。

小林が言う「歴史」は、先の老夫の日常である。それはいわゆる「歴史認識」というときのそれとはまったく違う。「歴史」は権利を主張する起源にはならない。しかし、人と人との関係を日々新たに切り結ぶ根拠であり続ける。

母親にとって悲しみほど確かなものはなく、悲しみほど、亡き子供と深くつながる契機はない。歴史はいつも悲しみを伴っている。悲しみを拒む者に、歴史はその真相を語らない。自分の生活を振り返ってみればわかるように、悲しみは人生の原点である。悲しみを真に経験したとき、「人生」というのっぴきならない出来事がはじまる。悲しみからわきあがる想像力が失われたところに、現代は歴史を見失ったのである。悲しみは理性の働きを阻害しない。むしろ、それを補い、支えている。

アウシュヴィッツの生還者に託された「言葉」

次に引くのは現代イタリアを代表する思想家のひとり、ジョルジョ・アガンベン著『アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人』の序文にある一節である。文中での「生き残って証言する者たち」とは、題名にもあるように、ナチス・ドイツによるユダヤ人の強制収容でアウシュヴィッツに送られながら、生還した者を指している。作者はアウシュヴィッツでの出来事を語り尽くす不可能性、すなわち歴史の不可能性を示しながら、そこには、いかなる理論や概説にも収まらない固有性と普遍性があることを浮き彫りにする。

生き残って証言する者たちにとってはかけがえのない真実であり、そうであるからには、けっして忘れることのできないものである。が、他方では、この真実は、まさにそれ自体としては想像もできないものである。つまりは、その真実を構成する現実的諸要素には還元できないのだ。(上村忠男・廣石正和訳)

生き抜いた者にとって、収容所での経験はけっして忘れえない。一人一人にとって、かけがえのない、また、不可侵な出来事であるだけでなく、いかなる原理にも還元しえない経験であり続ける。そこには「アウシュヴィッツとはつまり……」というような言説をいっさい拒絶する何かが存在する。先の一節のあとに、アガンベンは自著の性質にふれ、生き残った者たちの証言に関して、新しいものが書かれていないことに、読者は失望するかもしれない、と述べ、こう続けた。

形としては、この本はいわば証言にたいする終わりのない注釈である。これ以外のやり方はありえないようにおもわれたのである。もっとも、証言にはその本質的な部分として欠落がともなっているということ、すなわち、生き残って証言する者たちは証言しえないものについて証言しているのだということがある時点で明らかになったので、かれらの証言について注釈することは、必然的に、その欠落について問うことを意味するようになった。あるいはむしろ、その欠落に耳を傾けようとすることを意味するようになった。

証言者の言葉に向き合い、言葉の奥に潜む意味を見極めること、そうすることのほかに、アウシュヴィッツでの出来事に近づく方法はない、それは「終わりのない注釈」である。このとき彼は自らの思想を記す著述者であるよりも、残された言葉の厳粛なる守護者となろうとしている。その態度は、作者の生還者に対する最大限の敬意の表明でもある。

生還者は証言する。だが、その証言には、討議しつくしたとしても、どうしても埋めることのできない欠落がある。「生き残って証言する者たちは証言しえないものについて証言している」とアガンベンはいう。その場には彼らだけではなく、還(かえ)ることのなかった、死者たちもいた。死者は語らないゆえに「欠落」を生む。だが、「欠落」において、無音の「声」で「語る」のもまた、死者である。アガンベンは生者の言葉を読み、そこに注釈を試みながら、生者に託された死者の言葉をよみがえらせようとする。「欠落に耳を傾けようとする」。出来事の真実を静かに「語る」のは死者たちである。それはこの本を書く彼にとって、信念に似た確信だったと思われる。

精神の間で呼応する言葉がもたらす救済

見えないこと、ふれえないこと、あるいは数値に換算できないものでも存在し得る。そればかりが、そうしたものの前で人間の生は深みへと進んでゆく。信頼はいつも行為のなかに顕(あら)われ、悲しみは、指さすことはできない。だが、それらの経験はいつも私たちの人生を決定する出来事になり得る。さらにいえば、生きることの根源を問うような事象は、しばしば不可視なものとして出現する。

言葉は道具ではない。事物があって、それを呼ぶ道具などではけっしてない。意味という不可視なるものが、存在の深みから立ち現れるとき、言葉が生まれる。言葉は世界を分節する。「分節」とは、あたかも何もないかに見える渾沌(こんとん)とした場所から、忽然(こつぜん)と、意味が浮かび上る現象のことである。

希望を失い、暗夜のなかを生きるような日々、ある言葉をきっかけに、もう一度立ち上がろうと思ったことはないだろうか。その言葉は、書物や他者からもたらされるとは限らない。内面からの促しであることも少なくない。このとき言葉は、私たちに生きる意味を分節している。言葉がなければ人は生きていくことはできない。言葉本来の役割は、人間に寄り添うことである。誤解を恐れずにいえば、心にふれることである。だからこそ、私たちは言葉によって傷つきもすれば、励まされ、生きる力を得たりもする。

それはちょうど、食べ物に似ている。食物は、単に空腹を満たすものではない。それは私たちの心身を深く支えている。食に対する考え方はその人の生命観も規定する。新約聖書で描かれる食の場面は、享楽のときではなく、真実の意味における和解の光景である。食は、肉体だけでなく、精神をも養う。

人と人を結びつけるとき、食物が「食」という営みに変貌するように、言葉も、精神の間で呼応するとき、その本来の働きを示す。私たちの体は、食べたものでできているように、私たちの魂は言葉によって培われている。人間を根柢から支える言葉が消えるとき、私たちの魂は、飢え、乾く。

沈黙も「言葉」になる

現代は、語り得ないものに「かたち」を与えることを諦めるだけでなく、それが存在することをも拒もうとする。語り得ないものは、けっして存在し得ないものではない。むしろ、それは、存在の深みにあって容易にふれえないものでありながら、私たちに何事かを強く呼びかけている。

悲しみは、しばしば恐れに似て、人を脅かす。だが、深まるとき悲しみは、いつも喪ったものへの尽きることのない愛しみとなる。喪ったことが、涙が涸(か)れるほどに悲しい。その悲しみの深度は、そのまま情愛の深みを示している。

沈黙もまた、言葉の働きであることを忘れた者は、先の老人にむかって、悲しまないでくださいといい、彼を励まそうとするかもしれない。老夫にとって、悲しみとは、身を滅ぼす何かではなく、亡き愛する者とふれ合っている確かな証しである。どうしてそれを彼が手放さなくてはならないのだろう。先にみた新聞の記事は次の一文で終わっている。老年の男は村上という。「思いの深さに触れて涙がこぼれた。そんな私に、村上さんはそっと、ティッシュペーパーを渡してくれた」。このとき「涙」は、どんな発言よりも力強く同意する「言葉」になる。

夢でもよいから孫に会いたいと老人は言う。愛する者を喪った者なら、誰もが願うことだろう。彼らにとって死者は再会を熱望する相手であって、とうてい忌むべき存在などではない。ただ、死者との再会を切望すると口にしても、それを真摯(しんし)に受け止める人が少ないのである。そうした状況で、死者との経験を、また自身にとっての死者を語ることにためらいを感じるのはむしろ当然である。

生ける死者と生者との協同

死者が正当に語られることがなければ、震災をめぐる問題は、どこまでも照らされない一角を残すだろう。遺族はその片隅で嘆き、苦しんでいる。冒頭に引いた一節でアガンベンがいうように、死者を論じる目的は、後世に顕(あら)われる「新しい倫理の土地に取り組む未来の地図制作者」への道しるべとなり、また、死者という言葉を「これまでとはちがった仕方で理解すること」の基点になることである。

真の復興が実現されるとき、そこには死者の協同を欠くことはできない。死者は、常に生者と協同する。生者を守護し、助け、そして共に歩くことは、死者に定められた神聖なる義務である。

死者は、形而上的な概念ではない。むしろ、実在である。それは論証以前に、私たちが日常で経験していることではないだろうか。生者は誰も死を知らない。だが、死者は多くの者に経験されているのではないだろうか。もし、死が存在を滅ぼし去り、何も残らないとしたら、私たちは誰にむかって悼むのだろう。「悼む」とは、けっして亡き人々を葬ることではない。「悼む」とは、もともと不可視なものに心がふるえることを意味した。むしろ、「生ける死者」の呼びかけに応じ、今において言葉を交わすことにほかならない。

 

参考文献

ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人』(上村忠男・廣石正和訳/月曜社/2001年)[本文中の引用は同書序文から]

朝日新聞 2013年3月3日付朝刊 「夢でもいい また会いたい」(伊豆丸展代)

 

(タイトル写真=東日本大震災から2年、3月11日の発生時刻には各地で黙とうがささげられた。[2013年3月11日、宮城県南三陸町、写真提供=AP/アフロ])

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