【流浪の司祭と殿様】山上大神宮 例大祭 ライカ北紀行 —函館— 第11回
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真剣をかまえ、天井に張られた注連(しめ)を次々と斬り落としながら舞い、天下泰平を祈る松前神楽。函館山のふもと、幸坂の坂上にある山上大神宮の例大祭である。
坂本龍馬の親戚筋で、剣術の腕が立つ土佐藩士の澤辺琢磨は、江戸でひと騒動起こし、流れ流れて箱館にたどり着いた。山上大神宮の宮司に見込まれて婿養子に入り、8代目の宮司となる。だが、彼の運命は、ハリストス正教の司祭ニコライと出会ったことで思わぬ展開となる。
「邪教をひろめ、やがては日本をロシアの属国とする気か!」と殺める覚悟で、「頼もう」と声をはりあげた琢磨。顔をだしたニコライに、大刀を腰に語気するどくせまった。「邪教か否か、ハリストス正教を知らずして論ずることなかれ。吾(われ)を一刀両断にするならハリストスの教えを知ってから切れ」と、司祭は微笑みさえ浮かべる。「それも一理ある」と、琢磨はニコライのもとに通い、師の品格と教えに魅せられて改宗。“神主の発狂”といわれたが、のちに日本人初のハリストス正教の司祭になるという数奇な道をたどった。
桑名藩主で京都所司代の松平定敬(さだあき)は、将軍慶喜の命にしたがい、心ならずも鳥羽伏見の戦いのさなかに江戸へ脱出した。その後に柏崎、会津で薩長と砲火をまじえ、会津落城の寸前、今度は兄の松平容保に「お前はここで死ぬことはない」と諭される。仙台で榎本艦隊に合流し、箱館へ向かった。こちらも、まさに流れ流れて……。
五稜郭に入った殿様は、ここ山上大神宮をご座所とし、一隊をひきいて戦った。が、またもや箱館決戦寸前、今度は自ら五稜郭を抜け出した。後に罪を許され、日光東照宮の宮司となっている。
例大祭で宮司が振り上げた真剣は、腕に覚えがあった琢磨の刀だと伝わっている。流浪する桑名の殿様は、この真剣の舞を眺めながら、己の来し方行く末に思いを馳せたかもしれない。
●道案内
山上大神宮 市電「函館どっく前」下車 徒歩15分(地図)