『深川洲崎十万坪』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第32回
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海に浮かぶ棺おけを狙うトビ
木場の南に鎮座する洲崎弁天社(現:洲崎神社)付近は、春の潮干狩りや、初日の出が美しく拝める景勝地として知られていたという。通常の名所絵であれば、それら春の光景を描くのだろうが、広重は洲崎沖からの鳥瞰(ちょうかん)で、筑波山方面に延々と広がる「十万坪」と呼ばれた地(現在の江東区千田、千石付近)の荒涼たる雪景を描いている。有名な洲崎弁天を絵の左下に描き入れても良さそうなものだが、あえて画面から外したのだろう。
十万坪から南の海岸線までは、江戸市中から出たごみで埋め立てられたそうだ。日頃は寂しい場所だったようで、海には棺おけが浮いており、それを狙うかのような猛禽(もうきん)類の大きな鳥が空に描かれている非常にシュールな絵である。
さて、この鳥だが、多くの研究家が「イヌワシ」と書いている。しかし、筆者はこの鳥を「トビ(トンビ)」と断言したい。イヌワシは山の鳥で、海にはいない上に生き餌しか狙わない。しかし、トビは海岸にも多く見られ、屍肉(しにく)を食らう鳥なので、海に浮かぶ棺おけを狙うという絵のストーリーが成り立つからだ。また、トビをよく観察した上で、広重の秀逸な鳥の描写をみると、イヌワシではなくトビの顔や羽の特徴をよく表現していることが分かる。
写真は雪の降る日に、東陽町駅付近のビルの上から北北東を見下ろした景色である。そこに江ノ島で撮影したトビとスカイツリーから写した筑波山の画像を合成して作品とした。
●関連情報
洲崎神社と東陽町
東京メトロ東西線の木場駅から南へ向かい、運河を渡ると洲崎神社がある。1700(元禄13)年、江戸城中の紅葉山にあった弘法大師作と伝わる弁財天を、この地の浮島に遷座して創建したという。江戸時代中期頃までは、「海に浮かぶ弁天さま」と親しまれ、その絶景が詩人や画家に好まれたそうだ。
その後、地域の埋め立てが進み、幕末頃の海岸線は現在の東西線・東陽町駅がある永代通り辺りだったという。洲崎弁天は海に突き出した地形になっていて、境内からは海が一望でき、初日の出もまだまだ見応えがあったことだろう。
現在の海岸線は約3キロ南の江東区辰巳となり、洲崎神社から海は見えない。初日の出も、東陽1丁目のビル越しに眺めることとなった。この東陽という地名だが、江東区公式ホームページなどでは「由来は定かではない」とされる。しかし、かつて洲崎神社が初日の出の名所だったため、東側にある地域が「東から昇る太陽」を意識して命名されたのではと想像してしまう。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。
浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」作品一覧はこちら