日本の自然:破壊と再生の半世紀

千羽鶴となったタンチョウ(下)

環境・自然 社会

北海道は世界最多のタンチョウが暮らす生息地となったが、その一方でさまざまな問題が生じつつある。絶滅の危機は回避されたが、農業被害の苦情も寄せられるようになった。人と鶴は果たして共生できるのだろうか。

気品ある態

ツルの仲間はタンチョウ以外にも、山口県周南市や鹿児島県出水市などに冬鳥として渡来するナベヅル、マナヅルが知られ、この他にもクロヅル、アネハヅル、ソデグロヅル、カナダヅルなどが少数飛来する。

このなかでタンチョウはスターだ。体長は125〜152センチ、翼を広げると240センチもある。体は白いが、眼先から喉と首にかけて黒い。頭頂には羽毛がなく赤い皮膚が裸出する。鶏のトサカと同じものだ。漢字の丹頂の「丹」は「赤い」という意味だ。この白と黒と赤の配色が、何ともいえない気品を漂わせている。

タンチョウ。シベリア南東部、中国東北部、北海道の釧路・根室地方で繁殖。大陸のものは冬期に朝鮮半島、中国東部に渡るが、北海道では留鳥として周年生息する。特別天然記念物(イラスト=井塚 剛)

雑食性で昆虫やその幼虫、エビやカニなどの甲殻類、カタツムリ、タニシなどの貝類、ドジョウ、コイ、ウグイなどの魚類、カエル、鳥類のヒナ、野ネズミなどの哺乳類、セリ、ハコベ、ミズナラなど植物の葉や芽や実などを食べる。

湿地の浅瀬に枯れたヨシなど草や木の枝などを積み上げて、直径150センチほどの皿状の巣をつくり、3月から5月にかけて1~2個の卵を産む。雌雄が交代で卵を抱き、31~36日で孵化(ふか)し、約100日で飛べるようになる。

東アジアの分布

日本以外に、ロシア南東部、中国、韓国北部、北朝鮮に分布する。夏季には中国北東部、アムール川やウスリー川中流域で繁殖し、冬季になると朝鮮半島、長江下流域に南下して越冬する。中国、韓国、ロシア3ヵ国にモンゴル、北朝鮮を加えた大陸全体のタンチョウの生息数は約1700羽。これと比べても、日本の生息数は世界最多だ。

大陸産タンチョウの保護は、日本に比べ遅れている。生息数がはっきりしない保護区も多い。アムール川流域では野火による植生の変化や巣材の減少によって、中国では農地開発による繁殖地の破壊によって、生息数が減っている。これ以外にも湿原の干拓、野火、密猟、餌不足など、国ごとにそれぞれ問題を抱えている。

ロシアから中国へ足輪をつけて放したツル類が、ほとんどロシアに戻ってこないと研究者の間で懸念する声がでている。おめでたい瑞鳥とされるタンチョウは中国では人気がある。捕獲されて富裕層のペットにされているという目撃談もある。

タンチョウが集団で登場するショーを、自然保護区内で見世物にしているところもある。2008年の北京オリンピックの開会式では、実際には行われなかったがハトの代わりにタンチョウを飛ばすという計画も一時検討された。

近年、秋田、石川、宮城の各県で、それぞれ1羽のタンチョウが見つかった。遺伝子を調べると、大陸産と判明した。最近の遺伝子レベルの研究では、日本産と大陸産ではかなりの違いがあることがわかってきた。

タンチョウ保護の連携を図るために、「NPO法人タンチョウ保護研究グループ」は、日韓中露米の保護研究に携わる活動家を集め、直面している課題や対策を話し合う「国際ワークショップ」を2007年から3年連続で開催した。2009年には「国際タンチョウネットワーク(IRCN)」を設立、研究者の交流も盛んに行われている。

軍事境界線が楽園に

朝鮮半島で越冬する群れは、朝鮮戦争の混乱で一時は150羽ほどに減少して絶滅が心配された。だが、思いもよらぬ場所にタンチョウのサンクチュアリー(聖域)が出現した。軍事境界線(DMZ)である。

朝鮮戦争後、半島は南北に分断され、幅4キロ、陸上部分だけで長さ約248キロにわたってDMZで隔てられた。907平方キロにおよぶDMZには6本の川が流れ、西側は平野と湿地帯、東側は山岳地帯という豊かな自然環境を有する。

60年余、鉄条網や地雷で守られてきた軍事境界線では、人の影響から解放され、自然が回復するのにつれて動物たちが戻ってきた。韓国の自然保護団体の努力も実って、タンチョウは1970年代には200~250羽、2006年には850羽、そして最近では1000羽を超えるまでに増えた。

タンチョウだけでなく、絶滅の危機にあるジャコウジカが発見され、ヒョウの亜種のアムールヒョウも目撃された。絶滅した思われたカワウソも繁殖をはじめた。

わずかな期間、人間の干渉がなくなっただけで、これほどまでに自然が回復するのだ。ウクライナのチェルノブイリ原発事故後の立ち入り禁止区域でも、オオカミやクマなど多様な野生生物が戻ってきた。原発事故後の福島でも、イノシシやネズミが急増して、こちらは農作物などを荒らすなど深刻な問題になっている。

増えすぎた悩み

釧路湿原では、生息数が増加する一方で問題も顕在化してきた。繁殖地の不足、生息環境の悪化、過密化による感染症流行のおそれ、そして人間との距離が狭まったことで、農作物の食害、電線に衝突する感電死、交通事故の増加などが増えている。

道路や線路を平気で渡るタンチョウも珍しくなくなった。1964、65、72、73年には生息数の約10%が事故死した。牛舎に餌をとりにきて、スラリー(家畜の汚物溜め) への転落事故などが増えている。

2010〜11年の冬につづいて、16~17年にはふたたび各地で強毒性の鳥インフルエンザが発生し、野鳥にも被害が広がっている。餌を目当てに集まってきたオジロワシなどから感染する可能性があるとして、一部で行われていた魚の給餌を中止した。

タンチョウの餌場にやってきたオジロワシ

掃きだめに鶴

餌づけによって人を怖れなくなり、牛小屋に居候して家畜の餌をちゃっかり失敬する輩(やから)も現れた。タンチョウの生息地の畜産農家は、どこも「食客」を抱えている。ずらりと並んだ牛が柵越しに首を突き出して外側に置かれた箱から餌を食べていると、反対側からはタンチョウが並んで牛の餌を食べている。つまり向かい合って「同じ箱のメシ」というわけだ。

畜産農家のゴミためや堆肥の山で餌をついばむタンチョウも出てきた。まさに「掃きだめに鶴」とはこのことだ。

畜産農家のゴミためで餌をついばむタンチョウ(撮影=ニッポンドットコム編集部)

農家によっては、餌を奪われるのを覚悟でタンチョウの保護のために「お目こぼし」をしている。当然、厄介者扱いする農家もいる。畑に播(ま)いたトウモロコシをついばみ、収穫前の麦畑に入って踏み荒らす。

牧場では刈り取った干し草を覆っている保存用のビニールに穴を開ける。神経質な若い牛を驚かしてけがをさせる。農家からは「これだけ増えたのに、もっと増やそうというのか」という不満の声も上がる。

給餌の廃止へ

タンチョウにとって好適な営巣環境である湿原は、明治時代以後の開拓や開発により大幅に失われ、北海道東部に残された湿地は1950年代以後約40%も減少した。生息数の増加と生息地の減少の挟み撃ちにあって、タンチョウの住宅難は深刻化している。

タンチョウは北海道東部の湿原を中心に約450つがい以上が営巣し、夏場は各地に広がって暮らす。だが、冬場は生息数の9割余りが釧路地域に集中し、そのうちの半数は3ヵ所の給餌場の餌に頼っている。そこで毎年33トンもの餌が与えられ、冬を生き延びるのだ。

釧路の農家も時代の波にさらされ、後継者難のために離農する人が増えている。畜産家が集まって会社組織にして、畜舎に「通勤」する人も多い。畜舎もきれいに管理されて入り込めなくなり、食客の地位は安泰ではない。

環境省は2013年度に「タンチョウ生息地分散行動計画」を策定して将来的に給餌を全廃し、今後20年間かけて本州で越冬する群れをつくる長期プランを作成した。その第一歩として15年度から5年かけて給餌場にまく量を半減させる計画を開始した。

皮肉なことに、その初年度は台風の直撃で畑のデントコーンがなぎ倒された。これが好物のタンチョウにとっては、思いもかけないごちそうになった。畑に直行するものが続出して、給餌場はがらがらになった。

ジレンマに直面する保護活動

「NPO法人タンチョウ保護研究グループ」の理事長、百瀬邦和もタンチョウに魅せられたひとりだ。もともと野鳥の研究者でトキやアホウドリの保護にも関わっていた。1980年に米国ウィスコンシン州にある研究機関の「国際ツル財団」(ICF)で働いてから、タンチョウの研究や保護にのめり込んだ。

現在大きなジレンマに直面している。タンチョウは過密状態にあり、病気の流行などが心配されている。しかし、これは人間側の餌やりが招いた結果だ。確かに、絶滅の危機は回避され、新たな観光資源も生まれた。一方で、農業被害の苦情も持ち込まれるようになった。

百瀬は心配する。「分散をうながすために給餌を減らしても、安全な湿地が各地にあるわけでもなく、自活できる環境はほとんど整っていない。かえって作物を荒らして、被害を大きくするかもしれない。どう、人と鶴が共生できるのか。科学的データに基づいて30〜50年先でも通用する保護の方法を探っていきたい」

そのためのNPO法人の設立でもあった。基礎研究は地味で、結果が出るまでに時間を要する。絶滅の危機を脱したということで、近年は助成金や補助金も付きづらくなっている。

(文中敬称略)

撮影=西岡 秀観

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