20年の歴史を経た新大久保コリアンタウン
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増殖し、変容するエスニックタウン
グローバル化の中で、日本各地にさまざまな国、民族の出身者が集うエスニックタウンが形成されている。新宿区新大久保駅周辺に広がる日本最大の「コリアンタウン」(最近はアジアタウンとも呼ばれる)、北池袋の「新チャイナタウン」、足立区竹ノ塚の「リトルマニラ」、墨田区錦糸町駅周辺の「リトル・タイランド」、江戸川区西葛西のインド人街などが代表例といえる。
このほかに、ベトナム人(大田区蒲田)、ミャンマー人(新宿区高田馬場)、インドネシア人(目黒区目黒)、バングラデッシュ人(板橋区大山)、ネパール人(新宿区大久保・百人町)出身者のエスニックタウンもある。アジア域外ではトルコとアラブ諸国の出身者が渋谷区代々木上原周辺に集まり、葛飾区にはエチオピア人難民が集まるコミュニティーが存在し、本国を離れても民主化運動を進めている。
こうした大都市の「周縁部」を中心に存在するエスニックタウンは、少子高齢化が進む中で、外国人の流入規制を乗り越えて、増殖し、変容を続けている。その実態はどうなっているのか。そこには多文化共存が本当に芽生えているのだろうか。
「多様性」の魅力の裏にさまざまな課題
東京のエスニックタウンは約500軒の店舗が集まる新大久保のコリアンタウンを除くと、池袋の新チャイナタウンのように日本の既存の街並みの中にポツン、ポツンとエスニックのレストランや八百屋、みやげ物屋が混在しているケースが多い。それらは明らかにエキゾチックな「異文化」の雰囲気を醸し出している。
しかし、日本人は近くに住む外国人のことを意外に知らないし、知ろうとしない。何のために来日したのか、どんな暮らしをしているのか。隣の外国人と仲良く暮らすことは簡単ではない。
エスニックタウンといえば、多文化主義の国カナダのトロントが有名だ。100以上の国の文化を持つ人が暮しているといわれ、永年の移民コミュニティーを中心に、それぞれの文化をしっかり維持している。日本の場合、トロントのようには多様ではないし、歴史も浅い。パッチワークのように点在する東京のエスニックタウンは、日々変化し、その実態も把握しにくい。
しかし、近年のエスニックタウンの増加は2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控えて、国際都市東京の多様性を際立たせ、その魅力を高めつつある。一方で、近隣住民とのトラブルや治安・環境の悪化など新たな課題を突き付けている。エスニックタウンの顕在化は、日本の将来の一面を映す鏡でもあると言える。
新大久保コリアンタウンに「20年の歴史」
エスニックタウンの形成は様々だが、その形成過程が“いばらの道”であったことはほぼ共通している。ミャンマー人やエチオピア人などのように本国で政治的に迫害され、日本に逃れてきた人たち。留学生がそのまま居残り、“新華僑”企業家としてタウンを形成している池袋駅北口周辺。2000人超のインド人コミュニティーの中核はIT技術者たちだ。
JR大久保駅や同新大久保駅を利用する人には、両駅を結ぶ大久保通りを歩いていて聞こえる言葉は日本語よりも外国語が多いことに気づく。移民の多い街は活気にあふれている。歩き方やすれ違う際の身のこなし方で日本人かそうでないかほぼ見当がつくが、一方で、中国、韓国系の若い人たちの服装は日本人と変わらず、見た目では分らなくなっている。大久保地区のコンビニ店員は過半が外国人で、特に若い中国人女性が多い。飲食店の従業員も然り。移民労働力なしには立ち行かない状況のようにみえる。
新大久保のコリアンタウンは約20年の歴史があり、従来は新宿税務署からJR総武・中央線および同山手線のガード下をくぐりしばらく歩くと左側の歩道辺りから広がっている。2002年のサッカー・ワールドカップ(W杯)日韓大会当時、韓国チームの在京応援団が集まった韓国レストラン「大使館」は今は閉店しており、コリアンタウンの中心は、職安通りに直角に交差し、大久保通りに向かって伸びる通称「イケメン通り」に移ったようだ。
日韓関係悪化に顔を曇らせるコリアンタウン住人
その通りでレストランを経営し、「コリアンタウンMAP」を発行している「O」さんが匿名を条件に話を聞かせてくれた。韓国の大学で政治学を専攻した後、5年前に都内の私立大学の大学院に留学、その後、新大久保で働くようになったという。新大久保では反韓国人市民団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のデモがこれまで頻繁に行われてきたことに神経を尖らせている様子で、名前を出すことを承諾しなかった。
「O」さんはヘイトスピーチのデモには「なすすべもなかった」と無力感を訴え、「最近は静かになって喜んでいる」と語った。また、日韓関係が悪化していることについては、「商売に直接の影響はない」としたものの、表情を曇らせた。そうした中で、日本に「異なる文化」を持ち込むことで、日本社会の多様性の幅を広げることに微力ながらも貢献していると思った」と強調した。
新大久保のコリアンタウンでは2002年の日韓共催のサッカーW杯前後から、韓流ブームに乗り、韓国系の店が増加した。韓国のTVドラマ「冬のソナタ」が2004年に日本で放映されると、韓流ブームに火が付いた形となり、コリアンタウン発展の追い風となった。
しかし、こうしたブームに冷や水をかけたのが、2012年夏に李明博大統領(当時)の島根県竹島(韓国名独島)上陸であり、その結果としてヘイトスピーチ・デモが目立つようになった。新宿韓国商人連合会によると、韓国系の店の大半は最盛期に比べて売り上げが半減し、数十の飲食店、雑貨販売店などが閉店に追い込まれたという。さらに、中国系など他のアジア系の店舗の新大久保周辺への進出も活発化してきており、韓国系は追いやられているという。
コンセンサスない「日本の移民問題」
移民をはじめとする長期滞在の外国人の数を把握することは、不法滞在者の存在などもあり難しく、公式的な統計もない。それでも日本には現在、200万人超の外国人が住んでおり、そのうち東京在住者は40万人超と推計されている。2008年のリーマン・ショック後、減少したものの、最近は再び増加に転じたとみられる。
日本に住む外国人を国別にみると、中国人、韓国人、フィリピン人、ブラジル人の順に多く、これら4カ国の出身者で約7割を占める。日本に住む中国人と韓国人の中には両親が戦前から日本に住んでおり、日本で生まれ、育った人も少なくない。ブラジル人は日系移民の子孫で同国から日本に優遇措置で来日し、日本の企業で働く人がほとんどだ。群馬県大泉町のブラジル人コミュニティーは代表例だ。
日本は一部の例外を除き、外国からの移民を厳しく制限してきた。しかし、少子高齢化が猛スピードで進む中で、生産年齢人口(15歳以上65歳未満)も減少しており、こうした中で労働力を確保するには、女性や高齢者の活用では限界があり、移民規制の緩和の動きが活発化するのは時間の問題だろう。
ただ、移民の日本社会における位置付けは、同社会への同化を求めるのか、多文化(尊重)主義的な考え方に基づき「パラレル社会」の形成を容認するのか、それとも季節労働者として扱うのか。コンセンサスは出来ていないようだ。それでも、今後、東京にエスニックタウンが増え続けるのは間違いなさそうだ。
執筆=nippon.com編集部・村上 直久カバー写真=東京都新宿区新大久保駅周辺のコリアンタウン(Natsuki Sakai/アフロ)