日本映画の未来を検証

佐渡で見つけた日本のDNA〜『飛べ! ダコタ』インタビュー

文化 Cinema

佐渡島の小さな村に不時着した英国空軍輸送機「ダコタ」を、村人たちが協力し再び大空へと飛び立たせた。佐渡島でひっそりと語り継がれてきたストーリーが映画になった。ダコタにかけた思いを制作スタッフが熱く語った。

油谷 誠至 ABURATANI Seiji

1954年広島県出身。五社英雄、松尾昭典、実相寺明雄監督などの下で活躍し、89年山田太一脚本の連続ドラマ『夢に見た日々』で監督を務める。主な作品に『牡丹と薔薇』『救急救命センター』シリーズなどがある。映画監督としては本作でデビュー。

比嘉 愛未 HIGA Manami

1986年沖縄県出身。05年映画『ニライカナイからの手紙』で女優デビュー。07年NHK連続テレビ小説『どんど晴れ』にて、ヒロインに抜擢される。その後も『コードブルー〜ドクターヘリ緊急救命〜』や『マルモのおきて』などに多数出演。本作が初主演映画となる。

宇崎 竜童 UZAKI Ryudo

1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成しデビュー。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」など数々のヒット曲を生み出しながら、阿木燿子と共に山口百恵に多数の楽曲を提供。映画音楽も数多く手がけ、日本アカデミー賞最優秀音楽賞など数々の賞を受賞。

©『飛べ! ダコタ』製作委員会

1945年8月15日、昭和天皇はポツダム宣言を受諾し降伏したことを国民に告げた。第2次世界大戦が終わったことを、日本が負けたことを当時の日本人はどのように受け止めたのだろうか。

佐渡島の小さな村に不時着した英国空軍輸送機「ダコタ」を、村人たちが協力し再び大空へと飛び立たせたというエピソードを映画化するという話が舞い込んだとき、監督である油谷誠至(あぶらたに・せいじ)さんの脳裏に浮かんだのはそんな問いかけだった。

佐渡島で感じたのは日本人のDNA

『飛べ! ダコタ』が初監督作品となった油谷誠至さん。

「ダコタが不時着したのは終戦からわずか5カ月後です。戦争で大切な人を失った人もいただろうし、戦地からまだ戻らない人もいたでしょう。そんな時期に、敵国だった英国の飛行機が突然やってきた。当時の村人はどのように受け止めたのか、そもそも日本人にとって終戦、敗戦とは何だったのか。このエピソードをただの美談に終わらせないためにも、彼らの思いを描くことだと思いました」

油谷監督は佐渡島を訪ね、当時を知る人への聞き取り調査を重ねた。主人公・森本千代子のモデルになった梶井千代子さんもそのひとり。梶井さんの父親は、ダコタが不時着した高千村の村長を務めていた服部確太郎(はっとり・かくたろう)さん。経営していた「服部旅館」に英国兵を迎え入れた。当時20歳だった梶井さんも、ダコタが飛び立つまでの40日間、苦労して英語を学びながら彼らの身の周りの世話をした。「困っている人がいたら助けるのが当たり前でしょ」と梶井さんは笑って振り返ったそうだ。

千代子が不時着した英国兵に「OK?」と話しかける。©『飛べ! ダコタ』製作委員会

「80を超えた方も多かったですが、何度も会っているうちにすごく懐かしい気持ちがしてきたんですね。みなさん、本当に人が良くて、思いやりがあって、そして謙虚で。私たち外から来たスタッフを受け入れて、一生懸命、昔のことを思い出そうとしてくれる。私も瀬戸内の小さな町で育ちましたが、自分の周りにいたおじいちゃんやおばあちゃん、親戚のおじさんが持っていた文化がそのまま残っていました。日本人はみんなこうだったのではないかと思いました。戦後、アメリカからいろいろな文化が入ってきて変わってしまったけど、本来、日本人が持っていた人間性とかDNAを佐渡の人たちに感じたんです。この人たちなら、敵国だった人たちを受け入れて、助けようとしたのも分かる気がしました」

軍国少年の切なさも佐渡の空気が癒やした

佐渡に今も残る日本人のDNAが映画のひとつの軸になったとすれば、もうひとつの軸は油谷監督自身の戦争への思いだった。

「僕は広島県・江田島の海軍兵学校のそばで育ったんですが、戦前、海軍兵学校は軍国少年たちにとって憧れの存在でした。旧日本海軍で一番のエリートだった彼らが日本の敗戦をどのように受け止めたのか。それは私自身がずっと考えてきたことだったんです。佐渡というのは昔から教育が進んでいましたし、旧制の佐渡中学、現在の佐渡高校も進学校として有名です。海軍兵学校を目指した少年がいてもおかしくない。周囲も村の誇りとして送り出したと思う。そこで、『日本のために』と頑張ってきた軍国少年が、傷を負って国のために尽くせないまま終戦を迎えたという設定を考えたんです。実話ではありませんが、私の中ではノンフィクションです」

新潟で行われた試写会の様子(写真左)。主題歌「ホームシック・ララバイ」を歌った石井里佳さんも壇上に立った(写真右)。

戦争で息子をなくしたおかげで、敵国の兵を受け止められない男がいたかもしれない。戦地から戻らぬ息子を待つ母として、不時着した兵の母を思った人もいただろう。油谷監督の中の湧き上がったいくつもの“ノンフィクション”が紡がれ、『飛べ! ダコタ』のストーリーとなっていった。

「人を描くにはその人がどういうところに住んで、どんなものを食べて、どういう経験をしたのかが大事になる。映画に出てくる何十という人がすべて異なる経験をしていますから、それぞれきちんと描けるかが問われる。今回、佐渡に常駐して撮影して、俳優さんもぶらぶら散歩して佐渡の空気を感じながら役づくりができたというのは大きかったと思います。それぞれの役を背負いながらしっかりと生きてくれました」

初主演のプレッシャーを消したのは映画製作の“和”

「日本の素晴らしいところを凝縮した作品に出会えて幸せです」と話す比嘉愛未さん。

『飛べ! ダコタ』で映画初主演をはたし、森本千代子を演じきったのが比嘉愛未(ひが・まなみ)さん。

「佐渡の方たちにずっと話し継がれてきた宝のようなストーリーを作品にするというのは、本当に責任のあること。主役として良い作品を作れるのか、演じられるのかという不安はありました。ただ、終わってみて思うのは、主役は周りの人たちを引っ張る力も大事ですけれど、それがひとりよがりになってはだめなんですよね。佐渡の方々がひとつになってダコタを飛ばしたように、みんなで前を向いて一致団結すれば良いものが作れる。今回、そういう経験ができたことは素晴らしかったですし、この作品に出会えて良かったなと思います」

沖縄県出身の比嘉さんがこだわったのが佐渡の方言だった。

「島の人間は、下手でも頑張って島の方言をしゃべろうとしてくれる姿勢が嬉しかったりします。もし自分の島の映画が作られるということになって、標準語だったら悲しいですよね。その気持ちが分かるからこそ、佐渡の方言を話してリアリティを出さないと失礼だなと思ったんです。でも、方言のテープをいただいたとき、難しすぎて後悔しました(笑)。佐渡ではボランティアで参加してくださった方に方言を教えていただきました。100%ではないですが、そんな努力が伝わってくれればと思います」

モデルとなった梶井千代子さんに会ったとき、柔らかい佇(たたず)まいの中にも女性としての強さを感じたそうだ。

「敵か味方かも分からない方が目の前に現れたとき、私だったらどうしただろうなと考えました。千代子さんたちの勇気には本当に驚かされます。もちろんイギリスの人たちも怖かったと思います。お互いに怖いながらも歩み寄ったのでしょう。困っている人を助けるという精神を日本人は昔から持っていたんだとあらためて思いました。日本人の素晴らしさ、絆の深さというのを、この作品でもっと感じてもらえたらと思います」

日本人としてまっとうに生きていた時代

佐渡のコーラスグループが参加したレコーディングで、宇崎竜童さんは「声から佐渡の匂いを感じた。これで主題歌が完成したと確信しました」と話す。

音楽を担当した宇崎竜童さんが台本を読んで思い浮かべたのがアイルランドの子守唄だった。

「島の人たちの気持ちや不時着した英国軍の人たちの気持ちを、どういうメロディにのせたら包みこめるのか。親の気持ちや子供の気持ち、そうしたすべての想いを包みこみたいと考えたとき、思い浮かんだのがピング・クロスビーというジャズシンガーが歌ったアイルランドの子守唄でした。小学生の頃によく聞いていたんですが、トゥラトゥラトゥラー♪っていうハミングがこの映画に向いているなと思いました。それで、もともとの英詞を僕が訳してレコーディングしてみたら、妻の阿木燿子が『この詞じゃだめだ』って(笑)。『この詞ではあまりに直接的だし、国境を越えた人間愛や、親子の情みたいなものを言い表してない』。『じゃあ悪いけれど、書いてもらえないか』と言ったら、『じゃあ書く』ということでお願いした。出来上がったらやっぱり良かったですね」

宇崎さんは「長岡人の心意気」と名づけられた新潟県長岡市のイベントのプロデュースを手がけるなど、日本の地域活性化に力を入れている。『飛べ! ダコタ』も多くの日本人、外国人に見てもらい、佐渡島の魅力を知ってもらえたらと語る。

「日本人としてまっとうに生きていた時代です。外国の人をきちんと受け入れる、日本人同士でも差別や区別などしない。映画の中では“佐渡もん”の心意気と語られていますが、今でも通じる日本人の心意気だと思います。韓国側とか、中国側から見た戦時中の日本という国の在り方がすべて正確だとは思えない。日本の狭いエリアですが、こういう受け止め方をしていた佐渡の人たちもいるということを、この映画を通じて知ってもらえたら、日本に対する印象も少しは変わるかもしれませんね」

撮影=コデラ ケイ(比嘉愛未)

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