突進力で図抜ける中国の若者たち
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クロスカルチュラルな視点で日中の違いを考える
竹中上海・復旦大学の新聞学院で教えられているそうですが。どんなことがきっかけでしたか?
加藤キーワードは「ご縁」(笑)。2012年3月から7月まで、復旦大学新聞学院の講座学者として、火曜日の午前中Cross-cultural communicationという授業を担当しました。また、Tuesday Afternoonというサロンを学生と一緒に立ち上げました。学生がベンチャーで運営する喫茶店を貸し切り、著名な学者やジャーナリスト、文化人を連れてきて、復旦大の学生たちと徹底的に議論を繰り広げました。毎回僕が司会を担当しました。
竹中復旦大学ではどんな授業をされましたか?
加藤例えば、最近北京で外国人がたたかれている。北京(政府)が、不法滞在、不法就労、などを理由に外国人を締め上げる運動を起こしている。これをどう見るか、というケーススタディを行いました。クロスカルチュラルな視点から見て、なぜ今なのか、なぜ北京なのか、という問題提起をし、学生たちにレポートも書かせました。
そもそも改革開放(※1)当初、中国は外資に入ってもらいたかったから、外国人や外国資本を優遇したわけです。中国企業と外国企業では税制も違いました。中国経済はいまだに外需型なのに、何で今になって外国人を締め上げるようなことをするのか。
原因の一つは、国内ナショナリズムの高まりです。外国人を優遇して中国人を優遇しないことに対する中国人民の不満の高まりが背景にあります。薄熙来事件(※2)が起きて政治的に不安定な時期だから、「民族の団結心」を強化しようという当局の政治的な思惑があるかもしれない、という考えを提示します。
こういうケースを挙げながら、中国人が外の世界に中国の国家・社会について説明していくために必要なことを、僕自身の中国での経験も踏まえながら議論しました。異なるバックグラウンド、システム、価値観、体制をもった人に向かって自国を伝える、紹介するのはそんなに簡単なことではありません。相互理解を推し進めるために考慮すべき政治的、経済的、文化的要因に関して授業で議論しました。
竹中学生は何人ぐらい参加しているのですか?
加藤大学4年生向けの選択科目なので30人以内のゼミ形式ですが、授業を取っている学生のほかに毎回100人ぐらい、大学内外からいろんな人が聴講に来ました。授業を聞くために、300キロ以上離れた都市から電車に乗って上海まで来てくれた社会人や学生もいました。上海近郊の安徽省や江蘇省から来るオブザーバーが多かったですね。
カフェで中国の若者と徹底トーク
竹中Tuesday Afternoonというカフェでは、上海に近い人たちを呼んでくるのですか?
加藤基本的には復旦大学の学生が中心でした。毎回、ふつう学生がコンタクトできない、上海をベースにする著名人2人にゲスト出演してもらって、2時間以上議論しました。僕的にはテレビのトークショーの司会をするような乗りでしたね。告知場所は僕のウェイボー(※3)。例えば、結婚、就職、成長、言論の自由などのテーマを決め、これについて100文字以内の見解を付けてメールで応募してもらい、参加学生を選抜しました。主催者サイドには僕のほかに学生もいましたから、大いに手伝ってもらいました。議論に参加するのは50人くらいをメドに選抜しました。人数が多すぎると徹底的に議論できませんからね。
竹中どんなゲストを招いたのですか?
加藤例えば、上海テレビの美人キャスターとか、有名な心理カウンセラー、著名なジャーナリストなどです。私と一緒にFinancial Times中国語版でコラムを担当している友人を呼んだこともあります。いずれにせよ、僕の人脈をフル活用しました。ゲストのなかの半数以上は復旦大学OBなので、みんな「母校に貢献したい」という思いから喜んで来てくれました。ジャーナリストや学者も含め、いったん大学の外に出ると、学生と積極的にコミュニケーションを取る機会はどんどん少なくなるから、彼らも喜んでいました。僕自身、復旦大学に来たからには、ここの学生に何かを提供したいと思っていたので、微力ながら、知的貢献ができてよかったです。また、復旦大学ランニング部の名誉顧問にも就任し、学生たちと走りながら汗を流せたこともいい思い出となりました。
社会の不安定化に困惑する中国の若者たち
竹中中国の大学の講演では、大学ごとにテーマを変えているのですか?
加藤各大学の関係者と相談して決めます。最近『困惑する若者たちへ 』という本を中国語で出したこともあり、若者が直面する社会問題を中心に講演で取り上げ、学生たちと議論してきました。大学生が社会に出て成長していく中で「お国」とどう付き合っていくのか、将来的に中国はどうなるのか、外の世界とどう付き合いながら自らの成長につなげるのか、などの問題を一緒に考えてきました。「みんなでこれからの中国の話をしよう」という雰囲気の中で、知的な格闘技を繰り広げたという感じです。
竹中『困惑する若者たちへ』にはどんなことを書かれたのですか?
加藤中国はいま景気減速ということもあり、公務員に人気があります。僕はあえて、「公務員になるのは簡単ではなくなる。政府機関に入れば一生安泰という時代はとうに過ぎ去った。学生たちも覚悟して公務員試験を受けるべきだ」と書きました。従来、公務員たちが権力を使って私腹を肥やすこともできたけれど、情報化時代になり、公務員でも一生保身に走ることなどできなくなっている。また、大学での講義ですから、中国政府は大学をいかに成長させるべきか、いかにして市場の力を利用するか、学生はどう大学機関と付き合うべきかなども。僕から見た中国の男性論・女性論、成功・失敗とは何か、北京大学とはどういうところか、若者がマイホームを購入する必要があるかなど、とにかく若者が関心を持つテーマを取り上げました。また、これまで僕が中国の著名ジャーナリストと対談した語録の詳細も掲載しました。
最近、「成功学」という学問が中国で流行しています。成功することが一つの価値になっていて、成功するにはどうしたらよいか、を研究することが流れになっています。サクセスストーリーのシンボリックな人物が数名いて、「誰々の成功はコピーできる」などと言われる。拝金主義、個人主義、成功主義などがその背景にあると僕は思っています。社会が非常に不安定になっていて、国民はそういうところにしか価値を見出せないのだと思います。よくない流れです。
僕は「成功学」反対派なので、本の前書きに「僕はどれだけ失敗してきたか」と書きました。何をもってサクセスとするかは一人ひとり違うわけですから。若者に向かって、外国人の視点で世の中を見てみようという観点から議論を引っ張ってきました。そうしたら、僕をよく思わない知識人や文化人が出てきて「加藤嘉一が中国の若者の指導教官みたいになっている」と批判されました。
日本と中国の若者はここが違う
竹中日本と中国の若者の比較論は?
加藤中国の若者の向上心、爆発力、突進力は図抜けています。すごいプレッシャーの下、競争社会の中で闘っています。国情の違いです。一方で、日本の学生の独立心や自己再生能力は中国の学生より長けているように見えます。日本の大学生は社会人の仲間入りをして、みんなガソリンスタンドやパン屋さんなどでアルバイトしている。中国の学生も家庭教師ぐらいやりますが、一人っ子政策の影響もあり、親が子供にバイトなんかしなくていいと言う。中国で大学生がマックなどでバイトしたら、農民工はどこで働くのかという社会問題にもなってしまう。
日本の学生は中国の学生の向上心から刺激を受けてほしい。逆に中国の若者は日本の若者からチームワーク精神を学んでほしい。例えば、中国の若者は自分のことをやり終えたら帰って寝てしまう。日本の若者はほかの人がまだ終わっていないと、深夜まで一緒にやる。お互い学ぶところが大いにありますよ。
アジアで最も報道の自由が確保されている台湾
竹中4月末から5月初め、テレビ番組の取材で台湾に行かれていますね。
加藤BSテレビ朝日の「いま世界は」という番組で、「加藤嘉一が世界を見に行く」をリポーターとして担当してきました。僕は現地リポートが大好きなので、台湾の報道の自由から中国人観光客、台湾人のアイデンティティなどについて取材しました。台湾で『愛国奴』という本を出版したこともあり、台湾人にとって愛国心とは何か、日本企業の中国進出に台湾はクッションになるか、などを取材しました。
竹中台湾は報道の自由が確保されているそうですね。
加藤アメリカのギャラップ調査によると、台湾は世界17位で、アジアでトップ(※4)。日本(64位)より上位です。確かに報道は自由で、何でもありの感じです。日本の週刊誌みたいなメディアもあるし、テレビ局が多すぎるのも問題になっています。中国とは全然違う。一方で、中国関連のニュースは増えています。国際ニュースも、日本のニュースも多い。台湾は日本人にとって非常に暮らしやすい社会ですね。
多様性の中の統一、潜在力に富むインドネシア
竹中5月末はインドネシアでしたね。どんな取材をされましたか?
加藤まずは宗教問題です。インドネシアの人口2億3千万人のうち2億1千万人余りがイスラム教徒なのに、イスラム教国家とは言わない。イスラム教、カトリック、プロテスタント、ヒンズー教、儒教、仏教、すべて国教で、国是が「多様性の中の統一」。社会の繁栄、経済の成長、政治の安定と宗教の関係を考察しました。
ジャカルタ市内に、東南アジアで最大のモスクがある。その向かい側200メートルほどのところに巨大なカトリック教会がある。なぜ、モスクとカトリック教会が並んでいるのか、僕には理解できなかった。まさに多様性の中の統一です。異なる宗教が相互に尊重しながら共存している。
インドネシアは、日本企業にとっても大いに可能性があります。インドネシアは非常に親日的。日本と韓国の企業が、ほぼフィフティ・フィフティで拮抗していますが、そのインパクトと日本企業の可能性を見てきました。
もう1つ注目したテーマは、民主化の後、インドネシアがどうなったかです。2004年、初めての直接選挙でユドヨノ(※5)が大統領に選ばれました。その民主化を人々がどう見ているか。実は、スハルト(※6)政権時代の方がよかったと言う人が非常に多い。今の重慶などで、毛沢東時代がよかったというのと同じ感じです。開発独裁時代の方が成長の変化が目に見えたのでしょう。
ジャカルタ市民に話を聞くと、「渋滞と腐敗が一番大きな問題」とのことでした。以前、「腐敗は文化」といわれましたが、今では、腐敗は罪という認識に変わってきた。スハルト時代の社会は閉ざされていたから、腐敗も一部の人間に限られたわけです。今はいい意味でも悪い意味でも民主化し、全国的に腐敗が広がっている。2004年に民主化して8年ほど経っていますが、政治の民主化と経済の成長はまだ過渡期にあります。
インドネシアの武器は人口と資源。天然ガス、石炭、石油を含め、資源が豊富です。それらをどう調整していくか。インドネシアの政治と経済、宗教と社会が、うまくミックスするにはまだ時間がかかる。2020年くらいまで過渡期ではないでしょうか。
2030年くらいまでは人口ボーナスが続く。人口構造が健全で、経済成長に不可欠な「若さ」を市内で思いっきり感じました。ゴールドマン・サックスがBRICsと言った前後に、モルガン・スタンレーは、I(インドネシア)も加えるべきだと言った。ブラジル、インド、中国、ロシア以外にインドネシアも潜在力に富んだ新興国として認識されていたわけです。
国際コラムニストとして中国から北米へ
竹中加藤さんは中国をメインフィールドにしつつ、他の国でもジャーナリストとして活躍しています。活躍の対象と場は世界中ということですね。
加藤僕は、日本語と中国語と英語でコラムを書いていますから、今の段階での自己認識は「国際コラムニスト」です。ジャーナリズムとアカデミズムの間を突き抜ける、ランニングしながら、研究しながら、発信しながら、というのが僕のスタイル。
国際コラムニストとして自分の見聞・思考を外の人たちに伝えていくのが僕の仕事。自分にしかできないことではないんですが、一種の差別化として、僕は日本・中国・欧米など異なる社会で、異なる言語で発信することに価値を見出している。
これからは、これまで中国でやって来たことを世界に広げていきたい。育った伊豆が僕の人生の原点であるなら、成長の原点は北京です。中国とどう距離を保っていくか。中国をコアにしつつ、そこから脱却するのが、僕にとってすごく大事になってくる。日本人として中国を世界、特に西側社会に伝えていくことを、明確にミッションとして自覚しています。
竹中アメリカにはいつ行かれますか?連載は続ける予定ですか?
加藤8月中旬です。連載も量は一気に落としますよ。2012年7月31日時点で、中国語はFinancial Timesの中国語版、日本語はダイヤモンド・オンラインと週刊プレイボーイ、英語はThe Nikkei Asian Review、合計4つに減らしました。一時期は10個以上持っていましたから。
竹中中国のTV取材は?
加藤実は、今年に入ってから中国のテレビはほとんどやっていません。渡米後も、2ヵ月に1回ぐらいは中国に来るでしょうから、時々取材を受けることはあるでしょう。いずれにせよ、「量より質」という転換をきっちりやりたい。中国での影響力をどう保っていくかですが、長いスパンで考えて、一度中国を離れ、頭を空にすることも大事だと思います。
竹中中国の指導部が変わるのはいつでしたか?
加藤2012年秋です。
竹中じゃあ、それを見ずに行ってしまうということですか?
加藤胡錦濤政権から習近平政権に変われば、僕をめぐる政治環境も変わるでしょうね。それはそれでよいことだと思う。今の僕は変化を求めていますから。人生にとっては、ストーリー性が大事だと思う。順風満帆な人生など望んでいない。山あり谷ありで、谷があれば必ず山がある。山に登れば必ず谷に落ちる。僕の人生がマンガになるとしたら、起伏に富んでいたほうが間違いなく面白いでしょうから。晩年になって、起伏に富んだ、面白い自分のストーリーを読んでみたい。今から楽しみにしています。
撮影=川本 聖哉
(※1) ^ 1978年12月に採択された中国の市場経済改革及び対外開放政策
(※2) ^ 2012年3月の全人代の閉幕式後の記者会見で温家宝首相が薄熙来重慶市書記(当時)を批判。書記職を解任され、続いて中国共産党中央政治局員など全職務を停止させられた。
(※3) ^ 微博、中国版ツイッター。
(※4) ^ http://www.roc-taiwan.org/ct.asp?xItem=266361&ctNode=2825&mp=202
(※5) ^ 2004年、インドネシア史上初の大統領直接選挙で大統領に選出され、09年の大統領選挙で再選された。
(※6) ^ 1921-2008、インドネシア第2代大統領として30年以上在任(1968-98)。