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【産業技術総合研究所】医薬品の“原料”を育てる世界初の植物工場

科学 技術

産業技術総合研究所(産総研)の北海道センターが開発した植物工場は、医薬品に使用する遺伝子組換え植物を育て、製剤まで行う世界初の施設だ。

栽培収穫量は通常の4倍以上

植物工場内部の栽培風景。明るい照明の下、イチゴの苗が規則正しく並ぶ。

産総研の北海道センターが開発した植物工場では、イヌの歯周病(※1)治療薬の原材料となるイチゴが栽培されている。イチゴが治療薬の原材料となるのは、特別なタンパク質を作る遺伝子が組み込まれているからだ。医薬品などを生産する遺伝子組換え作物の栽培には、組換え遺伝子が他の遺伝子と交雑して生態系へ影響を与えないための閉鎖設備が必要だが、そうした設備を持つ植物工場はこれまで存在しなかった。しかしこの工場では、医薬品に使用する遺伝子組換え植物を栽培し、製剤に至るまでをすべて密閉した空間で行うことを世界で初めて可能にした。

工場は、一般の植物工場にはない組換え遺伝子の拡散を防止するための設備を備えている。設備は陰圧制御されており、施設内の空気は外に流れない。設備内の空気はすべてろ過してから排気し、排水もすべて滅菌したのち処理する。工場へ出入りするには必ずエアーシャワーを浴びなければならず、人や物の出入りや動線を厳しく制限することで、組換え遺伝子の拡散リスクを管理している。

作業する研究員。

植物工場へ入る前の組織から培養したイチゴ苗。

工場の中央に約30m2の栽培室が二つあり、完全に人工的な環境で、土を使わない水耕栽培を行っている。LED、蛍光灯、高圧ナトリウムなどを使った高度人工照明システムが採用され、光の波長や強度の調整によって植物の種類に最適な光環境を実現。夏の日差しも再現できるので、従来の植物工場では難しかった強い光の必要なイネやトウモロコシも栽培できる。

栽培室内には、約300個ものセンサーが取り付けられ、室温や照明、風向きなどが厳密にコントロールされている。そのため、どの場所の植物も同じ条件で栽培できる。

「食料用ではなく、医薬品の原材料とする品質の高い植物を安定して生産するために、環境条件のばらつきがあってはなりません。ここは栽培条件が一定で、植物に最適な栽培条件を再現できるため、一般の植物工場よりも生産性が高く、収穫量は通常の4~5倍となる作物もあります」と同研究所生物プロセス研究部門の松村健(たけし)植物分子工学研究グループ長は言う。

遺伝子組換えイチゴが愛犬を救う

遺伝子組換えとは、遺伝子そのものを操作することで生物に新しい性質をもたらし、有用なタンパク質などを作る技術である。従来、植物の遺伝子組換えと言うと、害虫や病気に強い食料用の植物を作るといったイメージが強かったが、この技術を使えば望んだ性質を持つ品種を早く確実に得られるため、新薬の開発や遺伝病の治療にも応用できると期待されている。

この植物工場では、イヌインターフェロンの遺伝子を導入したイチゴを栽培し、イヌ歯周病治療薬を製造している。インターフェロンとは、細菌やウィルスに感染したときに細胞から分泌されるタンパク質のこと。イチゴを使うのは、組織培養や栽培のノウハウがあることや、種子からではなく、根・茎・葉などの栄養器官から植物を繁殖させる栄養繁殖が可能なためだ。工場では、1年間に300kgのイチゴを生産し、100万匹以上のイヌに与えるインターフェロンを製造できる。

イヌインターフェロンを含むイチゴと製剤イメージ。(写真提供・産総研植物分子工学研究グループ)

イチゴの栽培期間は約5カ月。遺伝子組換えをしたイチゴの株を増殖させ、苗を作る。その後、植物工場の栽培室に移され、それから4カ月ほどでイチゴが実る。おいしそうに実った果実には、インターフェロンが含まれている。果肉を粉砕し凍結乾燥して粉末にし、それを錠剤などにしてイヌに与える。

通常、インターフェロンやワクチンの投与は、注射で行われる。しかし、食べるのなら手軽だし、動物へのストレスも少ない。注射針などの医療器具も必要ないのでコストも大幅に軽減できる。さらに、「インターフェロンやワクチンの成分は植物の細胞の中に含まれており、いわばカプセルに入っている状態。体内に入っても壊れにくいので、インターフェロンやワクチンそのものを経口投与するよりも効果が高く、投与する量も少なくて済みます」と松村グループ長は説明する。

イチゴ以外の遺伝子組換え植物も

2005年から始まった植物工場の開発は、照明や空調などを担当する設備メーカーに加え、医薬品メーカーや農業団体などとの産学官の共同プロジェクトで行われた。2007年1月に完成し、植物の栽培がスタート。それ以来、松村グループ長をはじめとしたメンバーは、植物の生育状態から施設の稼働状況まで常に把握してきた。植物工場からは1分おきに室内のデータが送られてくる。その膨大なデータをもとに改善を積み重ね、遺伝子組換えイチゴの栽培を軌道にのせていった。

環境データ(300個近い温度や湿度などのセンサーでモニタリングしたもの)をもとにしたシミュレーション画面。

モニターの画面を操作する松村健グループ長。

「工場では、高品質の組換え植物を完全に閉じ込めた状態で安定生産できます。このシステムが確立すれば、世界に先駆け遺伝子組換え植物による医薬品の実用化が期待できます。成果を世界中で開発されている遺伝子組換え植物の実用化に活用すれば、植物バイオ産業の振興に大きく貢献できると考えています」

イチゴの他にも、鳥インフルエンザワクチンを発現するジャガイモや、コレラワクチンを発現するイネやタバコなど付加価値の高い遺伝子組換え作物の栽培に成功。このノウハウをもとに二つ目の工場が今年の10月に完成する予定だ。

取材・文=佐藤 成美
撮影=ハンス・サウテル

(※1) ^ イヌのかかりやすい病気の一つで、2歳以上のイヌの8割がかかっていると言われている。

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