佳子さま人気から考える日本のプリンセス
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「ミッチーブーム」を想起させる熱狂ぶり
現在の秋篠宮佳子内親王への国民の熱狂ぶりは、1958年に現在の天皇陛下と皇后美智子さまの結婚が決まったころの「ミッチーブーム」に重なるものがある。正田美智子さんは史上初の民間出身で、天皇家に新たな風を運んでくれた。当時のメディアは総力を挙げて美智子さまの特集を組み、多くの女性たちは彼女の美と聡明さに未来への希望を感じていた。
そして今、平成のこの時代に、佳子さまの言動もまた伝統を守りつつ新しい風を運ぶことにつながっていると思う。彼女の「文化財級」の気品に国民は大きな希望を見いだしている。
2015年1月佳子内親王一般参賀デビュー
2015年1月2日、皇居で行われた新年一般参賀に、20歳の誕生日を迎えたばかりの佳子内親王が初めて参加された。すでに昨年「下見」もお済ませになっていた佳子さまの登場は多くの国民の関心を集めており、この日は8万人を超える人出であった。これは平成になってからは3番目に多い数である。
成年皇族としてのご公務デビューの内親王は、薄化粧で気品あふれる印象であった。姉君の眞子内親王も留学中一時帰国され、お二人はおそろいのお長服で長和殿バルコニーにお出ましになった。そのお姿は、未来の陛下のお姉さま方として天皇家を背負って立つにふさわしく、訪れた人々へ未来への希望をアピールするかのようであった。
「天皇家は日本一の旧家であり、みんなで守る文化財」だと私は思う。年の初めに皇居宮殿松の間で行われる「宮中歌会始の儀」。皇室メンバーが集まって国民とともに詩を詠むという文化の薫り高い行事が存在する国は、世界中どこを見ても日本のほかにはない。
さて、今、美しさと聡明さで人気の秋篠宮佳子内親王。晴れの歌会始の儀には、黄味がかったクリーム色のお長服と、おそろいの髪飾りでご出席なさった。
お題は「本」。
弟に本読み聞かせゐたる夜は旅する母を思ひてねむる
この御歌には、弟や母が詠み込まれ、温かなライフスタイルが浮かんでくる。幸福な家族の肖像を国民に向けて発信するのが天皇家の大切な仕事である。
「頂いた仕事、大切に」
2014年12月29日に20歳の誕生日をお迎えになった秋篠宮佳子内親王。ご成年を迎えるにあたっての記者会見では、「頂いた仕事を一つ一つ大切にしながら取り組んでいくべきだと考えております」とコメントされた。これまでの女性皇族で、公務を「頂いた仕事」と表現されたのは、佳子さまが初めてだと思う。
利発で控えめで人をお立てになる佳子さまは内親王(未来の天皇の姉君)というご自身の立場を自覚していらっしゃるとお見受けした。ご自分の性格について、「短所は、父と同じように導火線が短いところがありまして、家の中ではささいなことで口論になってしまうことも…」という佳子さま。
記者団からの結婚についての質問には「将来的にはしたい」、理想の男性像については「一緒にいて落ち着ける方」とお答えになった。ここからも、ご家族との結びつきの強さや家族というものに対するお考えがうかがえる。
美しい姿勢、フィギュアスケートの賜物
今後佳子内親王は、天皇家の一員として多くの公務にお力を尽くさなければならない。それは一般市民の想像よりもはるかに難しい。しかし、佳子さまはお小さい時から、天皇皇后両陛下の皇居で行う稲作や、歴代の皇后がお仕事として手掛けてこられた御親蚕もお手伝いしてこられた。
また、趣味のフィギュアスケートやダンスを通じて集中力も養われ、特にフィギュアスケートについては、2007年に「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」ノービスB女子小学6年以上の部で優勝している。
今日の佳子さまの美しい姿勢はフィギュアスケートの賜物であろう。伝統を守りながらも新たな風を吹き込む存在の佳子さまは活発なプリンセスとして知られ、稀有な行動力の持ち主だ。昨年はご自身で学習院大学の中退をお決めになり、国際基督教大学にご入学。理由は幼稚園から大学まで学習院という変化のない環境を変えたかったからだという。
2015年4月2日、入学式の前に行われた会見では、濃紺のブレザースーツに白いブラウス。「新しい学生生活を始められることに感謝しつつ、有意義に過ごしていきたい」と語った。
身近な女性をお手本に気品を身につける
気品とは、ただ良家に生まれたからといって備わるものではなく、身近なお手本と厳しい教育のもとに醸成されるものだと思う。今年は秋篠宮ご成婚25年。6月末には銀婚式をお迎えになる。振り返ってみると、婚約発表は昭和天皇の喪中であった1989年9月。
川嶋紀子さんのご両親の記者会見を思い出す。そのとき、父の川嶋辰彦・学習院大学教授は「オールウェイズスマイルで自由闊達に育てた」と語り、母である和代夫人は「あまり自由すぎるのはどうかと存じます。私はある程度の規制をもって育ててまいりました」とおっしゃった。母上のこのお言葉こそが今日の紀子さまの控え目の美につながっている。
佳子さまは母である紀子さまを大変尊敬なさっており、佳子さまの「お仕事を頂く」という発言も、おそらくご自分一人で考えたものではなく、ご両親の意見を発言に取り入れられたのだろう。
影響を与える二人の「プリンセス」・叔母と姉
よく「娘は母の作品である」というが、佳子さまは、母である紀子さまはもとより、祖母の皇后美智子さま、叔母さまの黒田清子夫人、姉である眞子さまなど身近な女性をお手本にすることで自ら気品が備わってきたと思う。
姉である眞子さまは、国際基督教大学在学中に博物館学芸員の資格を取得し、現在は英国レスター大学の修士課程で博物館学を学んでいらっしゃる。意志が強く、佳子さまにとっては頼りになるお姉さまである。姉上のひたすら前進する姿は佳子さまの身近なお手本といえよう。
叔母さまの黒田清子さん(元紀宮さま)は、初めて公務に取り組まれた内親王だ。紀宮さまの成年以降の15年間で、宮殿や御所での行事ご出席は国内740回、海外8回に及ぶ。阪神・淡路大震災6周年の「ひょうごメモリアル・ウォーク」に参加の際、「スタート地点まで車で」と促すスタッフに、「それでは意味がない。歩くために来たのです」と、被災者と共に暗い夜道を歩き通し、誠実な姿勢を貫いた。眞子さまも佳子さまも叔母さまを「ねえね」と呼んでお慕いになり、公務に積極的な姿勢をお手本として成長された。
皇后美智子さまの精神を受け継いで
皇后美智子さまは、1955年、聖心女子大学2年生の時、読売新聞の成人の日の記念論文「はたちのねがい」に応募して、4185人中2位入賞を果たした。しかも美智子さまは、その賞金2000円のうち半分を読売新聞に、残りの半分を母校聖心女子大のマザー・ブリット学長に奨学資金として寄付なさった。
この事実は史上初の民間出身の皇太子妃としてメディアに登場する2年も前のこと。その精神はあまりにも高貴で、今の皇后の原点といえる。おばあさまのお気遣いは孫たちにも伝えられている。東日本大震災の折には、学生であった眞子さま佳子さまも、夏休み中現地に泊まり込み、ボランティア活動に励まれたのである。
5年後の東京オリンピックでは、語学堪能なプリンセスの御活躍が期待される。佳子さまは、姉上とともに国民に一層元気を与える存在になるであろう。日本一の旧家として伝統を守りながらも、国際社会に向けて新しい風を発信する存在になるのが楽しみだ。
(2015年4月17日 記 / タイトル写真=時事)