電力事業制度改革―東電の公的管理をめぐって
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東京電力福島第一原子力発電所のシビアアクシデントを受けて、日本ではエネルギー政策の見直しが進んでいる。
エネルギー政策の見直しについては国民的関心が高く、活発な議論が行われているところであり、今後の方向性はまだ見通せないところがある。しかし、電力事業制度改革が政策見直しの中心的課題であることは確かであろう。それは、原発事故およびその後の電力・エネルギーをめぐる事態のなかで、電力事業に関する3つの問題点が浮き彫りになったからである。
電力事業の3つの問題:地域独占、垂直統合、総括原価方式
1つ目は、電力事業が地域独占で行われているという問題である。震災後、東京電力管内で電力不足が心配された時に、供給力に余裕のある他の電力会社から電力の融通がなぜできないのか、多くの人々が疑問を抱いたところである。また、独占であるため、消費者・ユーザーの電源選択権はなく、よりクリーンな電気、より安価な電気を購入したいという欲求は満たされない。火力発電や原子力発電などの大規模集中型の電源に加えて、風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーによる発電をはじめ、分散型電源が技術的にも進歩し、発電事業にもっと競争があってもよいのではないかと思われる。
2つ目は、上記の地域独占問題とも関連するが、電力事業の垂直統合という産業組織の問題である。すでにその一端を述べたように、発電方式において実に多くの技術的可能性が出てきている。そうした可能性のある発電技術が有効に活かされるためには、その技術によって発電された電気が送電線を通じて消費者に届けられなければならない。ところが、現在の送電網は電力会社の所有物であり、自らに都合の悪い、すなわち他の会社が生産した電気には送電網を利用させない、ないしは利用させるとしても非常に安い値段でしか電気を買い取らない(結果として発電する会社――電力会社の競争相手である――は利益がないので事業を継続できない)といったことが続いてきた。
こうしたことは、発電だけでなく、送配電網を電力会社が垂直統合的に所有・利用していることから生じており、発電の効率化や発電コストの低減を進める観点からも障害になっている。送電網はそのインフラ的性質から言っても「コモンキャリア(どの発電事業者に対しても開放された設備)の原則」に基づいて運営されるべきである。
さらに3つ目は、総括原価方式という電気料金の決定方式に関する問題である。電力会社は、発電事業に要した費用に一定率の事業報酬率を加味して料金を設定するといういわゆる総括原価方式による料金設定が認められてきた。そのため、発電コストを引き下げようというインセンティブが働かずにきた。市場で取引される他の財には見られない現象であり、電力事業にもっと市場的メカニズムが組み入れられるべきであろう。
以上のような電力事業制度改革をめぐる論点は、現在まさに議論されているところであるが、大きな方向性としては、上記のような改革を進めるべきとする声が、一般市民だけでなく産業界からも強く出されている。問題はこうした改革を如何に進めるかである。こうした方向での改革は電力会社の自発的取り組みによって達成されるものではないであろう。なぜなら、こうした改革は電力会社にとっては既得権益を大幅に失うことになるからである。
ここに、東電の公的管理という議論が出てくる背景がある。
政治主導による電力事業改革を
東京電力は福島原発事故を引き起こし、その損害賠償だけでも負担が巨額に上り、会社の存続が危ぶまれていた。結局、原子力損害賠償支援機構法のスキームの下で会社は存続したが、損害賠償に加えて原子力を代替する化石燃料の購入費用の急増などで、経営的には極めて厳しい状況にある。電気料金を値上げし、自前の経営権を維持したい東電に対して、上記のような電力事業改革を政治主導で進めたい国との間でせめぎ合いが続いていた。
先頃、政府の原子力損害賠償支援機構と東京電力が2012年3月内の策定を目指している総合特別事業計画(損害賠償の方策や支払い計画、経営の合理化を盛り込むもの)の全容が明らかになったが、最大の焦点だった政府が掌握する議決権比率は、一定の条件で3分の2以上を確保できることが明記されている。東電の議決権をめぐっては、改革には実質国有化が不可欠と主張してきた支援機構や経産省に対して、経営権を実質的に失うことになる東電や財政負担増を懸念する財務省が過半数取得に懸念を示していた。
電力事業改革に向けた組織再編など大胆な改革を政治主導で進める体制は整いつつあると言えるだろう。今後、東電の組織再編をはじめ、電力事業制度改革の内容が問われることになろう。
(2012年3月26日記)