覆面レスラーがつなぐ日本・メキシコ、プロレス事情

文化

日本で最も有名なメキシコ人「ミル・マスカラス」

私は日本に住んで約13年になる。この間、私の「悩み」のひとつは私自身の苗字であった。「ロメロ」という名前は、どういうわけかよく間違えられる。時にはアメリカのゾンビ映画の有名監督ジョージ・ロメロ(1940)との関連を口にされたこともある。

中でもメキシコで「タパティア」と呼ばれるプロレスの関節技である「ロメロ・スペシャル」と何か関係あるかと聞かれることがあった。この技はメキシコのレスラー、リト・ロメロ(1927-2001)が考案したものだ、しかし、彼はミル・マスカラス(千のマスク)の名で知られているアーロン・ロドリゲス・アレジャーノ(1942〜)のトレーナーでもあった。ミル・マスカラスは間違いなく日本で最も有名なメキシコ人だ。もちろん、現サッカー日本代表監督のハビエル・アギーレ(1958〜)よりも有名人である。

メキシカンハットを被っているプロレスラー大鷲透。(撮影=ロドリゴ・レジェス・マリン)

個人的にはプロレスも含めた格闘技は好きではないが、このスポーツ(?)がメキシコの大衆文化に与えた影響には大いに興味がある。プロレスは世界的に人気のあるスポーツだが、特にメキシコではルーチャ・リブレと呼ぶこの興行は高収益をもたらすものとなった。

スーパーヒーローになった「エル・サント」(聖人)

昔から中南米のメキシコは日本、アメリカと並ぶプロレスの3大メッカだ。一説によればメキシコにプロレスが入ったのは、フランスによるメキシコ干渉戦争(1861-1867)の時だというが、この情報は裏付けがない。確かなのは、プロレスが米国から輸入されたものであるということである。

20世紀初め、ボクシングのリングが作られ始めたことからプロレスもスポーツ興行としてのスペースを確保した。1950年代にはアレーナ・コリセオ(円形闘技場)、アレーナ・メヒコ(メキシコ闘技場)の建設により独自の発展を遂げて人気スポーツの道を歩む条件が整った。

この成功はもちろん、レスラーたちの絶大な人気に負うところも多い。中でもエル・サント(聖人、1917-1984)、ブラック・シャドー(1921-2007)、ブルー・デーモン(1922-2000)、ウラカン(ハリケーン)・ラミレス(1926-2006)らが挙げられ、彼らの多くはマンガの登場人物やアクション映画の主人公となった。特にエル・サントは、映画で国民的なスーパーヒーローとなり、国家権力が汚職と愚かさの象徴として描かれている。彼のあまりの人気に、多くのひとは生身のレスラーと役柄との区別がつかなくなった。

メキシコで活躍した2人の日本人プロレスラー

メキシコのプロレスの主な特徴は、見栄えのする技、多くのアクロバット、善玉と悪玉との明確化、覆面の使用などだ。多くのレスラーが常に覆面を着けており、いろいろなイベントにもそのまま参加する。毎年活躍したスポーツ選手を招く大統領主催のパーティーにももちろん覆面姿で登場する。

現在、プロレス団体としては2団体があり、それぞれが所属するレスラーを抱えている。ひとつがCMLLで1933年設立の世界で最も古いプロレス団体で、もう一方は1992年設立のAAA。いずれの団体にもメキシコ人のみならず外国レスラーがいる。これまで日本人で活躍したのは、グラン・ハマダ(1950)とウルティモ・ドラゴン(最後のドラゴン、1966)。

ウルティモ・ドラゴン対ドラゴン・ネグロ。『LUCHA FIESTA 2010』、後楽園ホール。 (撮影=ロドリゴ・レジェス・マリン)

来日外国人レスラーの最多はメキシコ人、しかも帰国せず

日本のプロレスの歴史は、1920年代に米国から入り、占領期(1945-1952)に人気が出た。1950年代に「日本プロレス」が設立されそのスターである力道山(生まれは現北朝鮮、1924-1963)のおかげでこのリング上のスポーツが戦後の人気スポーツのひとつとなり、一時は相撲、野球とも人気を争った。この人気のおかげで、米国、中南米、その他の地域から多くのレスラーが名声と富を求めて来日した。

来日した中南米のレスラーの中でもメキシコが飛び抜けている。100%の確証があるわけではないが、どうも日本での最初のメキシコ人レスラーはセルヒオ・ロメロだったようで、彼の決め技は前述の「タパティア」であった。(昭和プロレス研究室

その後も多くのメキシコレスラーが来日したが、そのほとんどはメキシコに帰国しなかった。最も成功したのはミル・マスカラスだが、他にも彼の弟でもあるドス・カラス(二つの顔、1951~)やカネック(1952~)、ペロ(犬)・アグアーヨ(1946~)等が活躍。

他にも挙げておくとウラカン・ラミレス、ライ・メンドーサ(1929-2003)、ビジャーノ・テルセロ(1952~)、ビジャーノ・クアルト(1965〜)、ビジャーノ・キント(1962~)、アンヘル・ブランコ(1936-1986)、ウルトラマン(1950)、エル・シコデリコ(1950~)、エル・ソリタリオ(1945-1986)、ティニエブラス(1939~)、ジェリー・エストラーダ(1958~)、シエン・カラス(1949~)、ソラール(1955~)、ドクトル・ワグナー(1936-2004)、ピラタ・モルガン(1962~)、フィッシュマン(1951~)、ブラソ・デ・オロ(1959~)、ブラソ・デ・プラタ(1963~)らがいる。

大衆文化として根付いた日本のプロレス

しかし、世界プロレス3大メッカの一つである日本での人気は最近、劇的に落ちてしまった。テレビ放映がなくなったこともひとつの要因だが、「新しい」スポーツとしてのサッカーの台頭や、他の格闘技系に人気を奪われていることにもよる。また、大物レスラーが亡くなり、高齢化してしまったことも否めない。現状、多くの日本人の心をつかむことができる力道山やジャイアント馬場 (1938-1999)のようなスター選手の不在もある。さらには、政界に進出したようなアントニオ猪木(1943〜)や馳浩(1961〜)のように他の道に転身してしまったレスラーの例も挙げられる。

こうした衰退にもかかわらず、プロレスは日本の大衆文化にしっかり根付いている。テレビではアントニオ猪木、長州力(1951)、武藤敬司(1962)を模したコントを放送している。一方、テレビタレントがプロレスに進出して、それを放送しているようなケースもある。

覆面レスラー「タイガー・マスク」の大人気

また、メキシコの覆面レスラーを真似た存在も目立つ。日本人が、スペイン語で覆面を意味するマスカラと言っているのをテレビで見たこともあるし、お店でも覆面レスラーにまつわる、ノート、鉛筆、バッグ、小銭入れ等々関連グッズが数知れず置いてある。

マンガの世界でもプロレスは重要なテーマでその代表は、『週刊少年マガジン』に連載された「タイガー・マスク」だ。1960年代の終わりから1970年代初めにかけ大好評を博した。主人公の伊達直人は孤児院で育ち、稼ぐために虎のマスクをかぶりリング上で戦わざるを得ない。このストーリーで最も興味深いのは決め技でもパンチでも蹴りでもなく、主人公の人柄だ。報酬を稼ぐたびに、人生の大半を過ごした孤児院にお金を送るのだ。

なぜこのキャラクターがこれほどの人気を得たのか?60年代から70年代には、日本はまだ今のような経済大国ではなかった。その中で貧しい子供たちのために戦うレスラーが、多くの日本人にヒーローとして大いに受け入れられたのだと思う。あまりにも大きな印象を受けたので、いまだに伊達直人の名前を借りて施設にお金やランドセルを寄付するひとたちがいるのである。

メキシコにもいた「タイガー・マスク」、神父トルメンタ

ところでメキシコにも伊達直人に似た実在のレスラーがいる。自ら運営する孤児院の子供たちを維持するためにマスクをかぶってリング上で戦ったひとりの神父フライ・トルメンタ(暴雨神父)である。彼の本名はセルヒオ・グティエレス・ベニテス(1945)であるが、彼が発想を得たのは「タイガー・マスク」ではなくフリオ・アルダマ(1931-1989)とエリック・デル・カスティーリョ(1930)出演のメキシコ映画「エル・セニョール・トルメンタ」(1962)であった。そこには実際のレスラーであるリト・ロメロ、ブラック・シャドー、ライ・メンドーサなども出演している。この映画の主人公が孤児院の子供たちを救うために戦う神父であった。

フライ・トルメンタのリングへのデビューは1974年であり、複数のカトリック団体からの反対をよそに2011年に引退するまで戦い続けた。同じ時期に、遠く離れてこうも異なるふたつの国で、フライ・トルメンタと伊達直人という同様なストーリーがあったことは非常に興味深いことである。なお、1990年代半ば『週刊少年マガジン』はこの神父のマンガを掲載(聖なる戦い―レスラー神父と145人のいたずらっ子たち、1994)、また、最近メキシコで明らかにこの神父レスラーに発想を得た映画「ナチョ・リブレ」(2006)も作られた。ただ、個人的には映画としては駄作と言わざるを得ない。

エル・イホ・デ・フィッシュマン(緑と黄色)対ハリケーン・キッド(銀と赤)。覆面MANIA20、新宿FACE。(撮影=ロドリゴ・レジェス・マリン)

フライ・トルメンタは引退したが、彼の孤児院で育った子供のひとりがその後を継ぐことを決意し、フライ・トルメンタ・ジュニアとなった。メキシコのプロレス界では、エル・サントの息子の例のようにレスラーの子供が父の後を継ぎ、そのマスクを引き継ぐことがよくあるが、このケースのように弟子が師の後を継ぐ名誉に浴することもしばしば見受けられる。残念ながらこの若いレスラーは輝かしい活躍をしているとは言えないが、セルヒオ神父の意思を継続している。

今、日本のプロレスに欠けているもの

そういえば、最近新聞のマンガ「ミスティコ、金と銀の王子様」に主人公のコーチとしてフライ・トルメンタが登場していた。ミスティコはこの10年エル・サントとも並び称されるほど大活躍のレスラーで、慈善活動に取り組む姿勢が非常に人気を呼んだ。だが、彼が2011年に米国WWEに移籍してしまったため、CMLLとフライ・トルメンタがその名前の継続を働きかけた結果、現在ミスティコIIというレスラーがいる。

多分、日本のプロレスに欠けているのはこれではなかろうか、つまり、フライ・トルメンタのような存在が必要なのではないか。日本のプロレスの行く末はどうなるのか。人気がこのまま凋落すればその存在は消滅してしまうのかもしれないが、大衆文化の象徴という意味では決して消えることはないであろう。そして、何年か後に新たな伊達直人が日本のどこかで恵まれない人たちのために戦う姿を見ることができるかも知れないのである。

参考文献

Loudes Grobet著 Espectacular de lucha libre (プロレスの壮観;Trilce, 2005)

Raúl Criollo, José Xavier Návar, Rafel Aviña著 ¡Quiero ver sangre! Historia ilustada del cine de luchadores (俺は血を見たい!レスラー映画図鑑;UNAM, 2011)

Heather Levi著 The World of Lucha Libre: Secrets, Revelations and Mexican National Identity (Durham: Duke University Press, 2008)

昭和プロレス研究室 http://showapuroresu.com

 

バナー写真: IWGPジュニアヘビー級王座を優勝した覆面レスラー「ミスティコ」。(撮影=ロドリゴ・レジェス・マリン)

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