拉致再調査を踏み潰しながら、まだまだ揉める北朝鮮権力抗争絵図
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日朝協議は事実上、潰(つい)えた
年初から着手され、5月末には安倍晋三首相が制裁の一部解除を発表するなど、急速に進展しているかに見えた日朝協議は、早くもというか予想通りというか、9月下旬に挫折した。制裁解除の条件となっていた、拉致問題再調査の第1次報告について、北朝鮮が難航を理由に延期を申し出たからである。これに対し「いつもの北朝鮮の焦らし、小出し戦術だ」「さらなる制裁緩和を引き出そうとしている」という観測が日本国内のメディアでは強いが、これは全く外れている。拉致再調査は事実上、潰れたとみていい。
日本は拉致問題で進展がない限り、政治的に北朝鮮との修交は困難であるが、今回の日朝協議再開に対し、安倍首相をはじめ日本政府はかなりの自信を示していた。その理由のひとつに、拉致そのものに関与し、拉致被害者の管理・監督を行っているとみられる北朝鮮の秘密警察、国家安全保衛部そのものが交渉の直接の窓口になっていたことが挙げられる。その国家安全保衛部が、現在、北朝鮮国内の権力抗争の中で敗者となろうとしているのである。
抗争の相手は、共に最高権力者である金正恩・朝鮮労働党第一書記の直轄組織で、軍、党の人事権を持ち、各組織の業務と思想を監督する朝鮮労働党組織指導部である。もっと具体的に言えば、金元弘・国家安全保衛部長と組織指導部の出身でこれを権力母体とする黄炳瑞・朝鮮人民軍総政治局長との戦いである。
拉致問題窓口の「国家安全保衛部」の失墜
直接のきっかけとなったのは、今年(2014年)6月に北京で起きた平壌音楽舞踏大学教授の失踪事件と、同月、ウラジオストクで起きた朝鮮大聖銀行首席代表の400万ドル持ち逃げ事件である。
北朝鮮の在外公館には、内部監督のため国家安全保衛部の要員がくまなく配置されている。当然、これらの不祥事は国家安全保衛部の責任となる。このことを理由に、7月から組織指導部が国家安全保衛部の業務検閲を始めている。そこで矢面に立たされているのが徐大河副部長と姜成男局長であるが、徐副部長は国防委員会の「日本人問題全般」の特別調査委員会委員長、姜局長は同委員会の拉致被害者分科会の代表である。
現在、業務検閲から思想検閲にまで進んでいる。つまり、金正恩・第一書記への忠誠心を問われる事態に発展している。ここまで来ると単なる規律問題ではない。国家安全保衛部が抑えている対外利権を「金正恩・第一書記の手に戻す」という名目のもとに組織指導部が切り崩しにかかっていることが、この抗争の背景にある。日朝交渉の先にある日本との利権もその対象である。それゆえ、組織指導部の最終標的は、金・国家安全保衛部長とみていい。
この抗争は、現在、組織指導部が優勢である。黄・軍総政治局長は、9月に北朝鮮の中核組織である国防委員会の副委員長就任が決まり、10月4日には、韓国・仁川で行われていたアジア大会の閉会式に合わせ、急きょ訪韓し、韓国首脳と会談、南北対話再開について言及した。いうまでもなく、金正恩・第一書記の側近として北朝鮮No.2の地位を確立したとみられる。つまり、この抗争の背後には金正恩・第一書記の意思が垣間見られるのである。
もはや、拉致再調査の窓口であり、実行者であり、日本政府から「かつてない強力な布陣」と評された、国家安全保衛部の金部長、徐副部長、姜局長は、生命すら危ぶまれる状態となっている。
張成沢粛清の意味するところ
金正日時代の北朝鮮の内部抗争は、基本的に後継問題が背景にあった。しかし、金正恩・第一書記が後継者になってからの抗争は、全く異なる構造を持っている。いうまでもなく、金正恩・第一書記の権力掌握がその目標ではあるが、具体的には対外利権などの資金源の奪い合いとなっている。国内が経済破綻して久しいが、それでも体制が維持されているのは、軍、党などの権力層に金品の配分が行われているからと考えてよい。当然、アングラビジネスや、日本などからの送金を含む対外利権は、権力の所在そのものを左右することになる。経済制裁が厳しくなってからは、特にアングラビジネスによる秘密資金への依存度が高くなっている。
金正恩・第一書記が権力の座に就いた時、対外利権を掌握していたのは伯父(父、金正日氏の妹婿)で後見人筆頭の張成沢・国防委員会副委員長だった。張氏は、特に中国との太いパイプを持っており、中国から見れば、政治面でもビジネス面でも窓口になっていた。当然、張氏は北朝鮮内で圧倒的な権力を保持することになる。それゆえ、金正恩・第一書記とその周辺によって標的とされ、2013年12月、粛清される。
このとき金正恩・第一書記を動かし張氏粛清の中心となったのが国家安全保衛部であった。そして張氏亡き後、利権を独占し資金力をつけ、権力を強めて行った。張氏に対抗するとみられていた、崔龍海・前軍総政治局長まで抑え込んでいったのである。
カネづるとしての日本
しかし、自らとのパイプを潰された中国との関係は全く冷え込んでしまい、北朝鮮自体は新たな資金源を探さなければならなくなった。その対象が日本だった。張成沢粛清の直後、2014年の年初から国家安全保衛部が窓口となり、日朝協議再開に向けた水面下の交渉が始まった。
関係改善がなされ、経済制裁が解除されるとなると、日本との間の諸々の利権獲得は国家安全保衛部の手柄ということになる。そこで黄・軍総政治局長が「国家安全保衛部が日朝利権を独占しようとしている」と金正恩・第一書記に注進したといわれている。いずれにしても国家安全保衛部の独走に対する警戒感が、北朝鮮指導部内に高まっていたのである。
米中はあくまで無視、追い詰められた北朝鮮
もちろん、日本は「当て馬」に過ぎない。これは、5月に当サイトで説明した通りであるが、北朝鮮にとって本命は、あくまでも中国の支援復活であり、さらに言えばアメリカとの関係改善である。ただし、アメリカは核放棄がない限り、一切取り合おうとはしていない。そして、中国も張成沢粛清後は、国際的な制裁の側に回っている。
実は、金正恩・第一書記は以前から訪中の希望を伝えていたという。中国は、受け入れの可能性を示しており、一つだけ条件をのめば、要望には何でも応えるとまで言っているという。しかし、その条件とは核放棄である。金正恩・第一書記はそれには一切、首を縦に振っていない。
中国は、表向きは石油パイプラインを閉じ、支援を断っているが、それでも水面下で人民解放軍の車両を使い石油を送っていた。精油後の製品の支援で、貿易統計には載らない形のものだった。しかし、今年7月上旬の習近平・国家主席訪韓後、改めて金正恩・第一書記に訪中を促したところ、応じてこなかったことから、その水面下の石油支援も取りやめになった。これで、北朝鮮は本格的に追い詰められることになった。
事態を振り回した日成・正日と、事態に振り回される正恩の差
中国に対して北朝鮮側が出している要望の筆頭は、北京に北朝鮮の銀行を開設させることであるという。国際社会の経済制裁の結果、外貨の送金が出来なくなってきている。特に秘密資金の管理を行ってきた張成沢氏の粛清の結果、資金の運用どころか、預金などの保管すらままならなくなっている。しかし、中国は国際金融システムに加わっている以上、表だって制裁対象国の口座を開設させるわけにはいかない。
そこで、北朝鮮は日本との関係改善に走り、これが自己都合でうまくいかなくなると、10月上旬、いきなり韓国との修交を模索し始めた。中国、日本とはこのままだと関係改善は難しい。筆者が得た情報だと、最近開かれた労働党の中堅幹部研修会ではっきり反中反日のスローガンが唱えられたという。全くもって、行き当たりばったりである。
筆者は、中国の習近平政権の金正恩体制に対する評価を知ることができた。それは、「中国から見て北朝鮮は、いうことを聞かない厄介な存在だったが、支援を取りやめても、金日成、金正日は体制を維持することができた。それならば、支援して少しでも恩を売っておいた方が得であった、という判断があった。しかし金正恩は、中国が支援しても長期に体制を維持できるとは思えない。ならば無駄だから、無理して支援することはない」というものであった。このことは、金正恩体制下の北朝鮮の今後を示唆していると考えていいだろう。
カバー写真=金正恩・第一書記。最近、公式の場に表れずさまざまな憶測が飛び交っているが、かって李英浩・総参謀長の失脚、張成沢・国防委員会副委員長の粛清の際にも、一時、姿を消したことがあった。(写真提供・KCNA/新華社/アフロ)