忘れられた「日中国交正常化の原点」

政治・外交

「軍国主義者」と「日中両国民」を区別した過去の知恵

日中国交正常化40周年を記念するための式典が、中国側の意向で、急きょ取りやめになったことは、今や、40年前の国交正常化の原点の精神が無視または軽視されていることを暗示している。

国交正常化の原点には、日中戦争(1937年~1945年)をひきおこした「軍国主義者」は糾弾されねばならないが、日本国民と中国人民はともに戦争の被害者であり、そうした立場に立って日中友好関係の構築に努力せねばならない、という考え方があった。毛沢東、周恩来が主張し、日本側も、100%ではないが、一応それを原則とし認める姿勢を示した。それは、一種の便宜的「区分論」であり、現実にそうした区分論をどこまで適用できるかは、微妙な問題であった。

例えば、だれが軍国主義者なのかは、議論をはじめれば難しい問題だ。しかし、中国から見れば、国際的に主要な戦犯とされた人々(例えばA級戦犯)は、日本人の国民感情はともかく、対外的にはきちんと「軍国主義者」として扱ってもらわねば困るということになる。だからこそ、こうした「区分」を曖昧にするかのような、日本の一部の政治家の言動には、中国として極めて敏感になる。

つまり中国の政治は、いつも歴史上の「悪者」を作りだし、そうすることによって未来を開こうとしてきたのだ。

「悪者」の存在の意味

ところが、そうした中国の「原則的考え方」は、毛沢東、周恩来の時代から時間が経つにつれて、いつのまにか、中国自身によって曖昧とされてきた。その明白な証拠こそ、日中関係が緊張すると、「罪なき」在中国の日本人や日本企業が嫌がらせを受けることにある。そこでは、普通の日本人と「日本軍国主義者」が混同され、同時に、日本国民と中国人民との連帯意識はどこかへ吹き飛んでしまっている。

領土問題にせよ、過去の歴史の問題にせよ、そうした微妙な問題を日中関係に悪影響を及ぼさないように処理するために、中国の政治と外交は「悪者」の糾弾を必要としている。その「悪者」が、日本の「一部の政治家」ではなく、責任ある最高指導者自身であったり、政府そのものであるかのような状況が作り出されれば、中国当局としても、日中関係を「守る」砦(とりで)を失うことになる。領土問題や歴史問題に対して、「日本の真意はこれこれであり、理解してほしい」というアプローチは、中国相手にはあまり通用しないことは、かつて日中戦争に至る過程における中国との交渉で、日本側が嫌というほど味わったことではないか。

他方、中国人が日本人や日本企業へ暴力行為を行い、しかもそれを、政府当局が十分コントロールできないとなると、そうした中国当局や中国社会・体制に対する不信感が日本側に広がるのは当然であろう。そうした対中不信感こそ、1920年代から30年代にかけて日本の軍部に軍事力使用についての政治的口実を与える要因の一つであったことを、両国国民は深くかみしめておかねばなるまい。

国交正常化のもう一つの「原則」

また、国交正常化の原点にはもう一つの「原則」があった。それは「求同存異」の精神であった。この言葉は、通常、「小異を捨てて、大同につく」と訳されているようだが、実は、この言葉の真の意味は、「違いは(大きかろうが小さかろうが)違いとして残したまま、むしろ、共通の利益、共通の課題や目的を追求しよう」という、きわめて「戦略的」原則であった。

ところがその共通利益が、昨今の日中関係においては、あたかも商業的利益の追求であるかのごとき扱いが知らず知らずのうちになされていないか。

今、日中関係においては、領土問題にせよ、歴史問題にせよ、お互いの立場を理解しあうこともさることながら、真に重要なことは、違いは違いとして大騒ぎせず、同じ戦略的目標や世界的課題を追求する政治的意志と実行力を発揮することではあるまいか。(2012年9月25日 記)

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