東アジア漢字文化圏の再考【Part 1】
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世界約200カ国の中で、現在も漢字を使う国は中国と日本しかない。
日本列島に漢字が体系だって伝えられたのは応神天皇(在位270―310年)の代であったという。記紀による漢字伝来は5世紀初頭とされる。それ以来、列島の人々の漢字との格闘が始まった。なぜなら、漢字は元来中国大陸の人々の表現に合う言葉として創造されたものであったからだ。その意味で、日本人はすべての難問を乗り越えて漢字を日本語表記の道具として揺るぎないものにしたといえるだろう。
漢字の一次加工から「国字」創出まで
中国では、漢字の数は時代が下がるにつれ増えている。現在利用される漢字の大部分は、後漢時代の1世紀ごろに完成したとされる。日本の弥生時代後期に相当し、漢字が日本に伝来したとされる5世紀初頭には、より多くの漢字が揃っていたと考えられる。
実際、宋代の11世紀初頭、漢字の読音に取り組んだ『広韻(こういん)』は2万6194字を収録している。当時の日本人はこれだけの数の漢字と向かい合って、音や訓を整理していったのであろう。平安前期の891年ごろまとめられた『日本国見在書(けんざいしょ)目録』によると、このころ宮中の所蔵漢籍は1万6790巻もあったという。古代日本人はこれだけの知識を咀嚼(そしゃく)したと想像できる。
ここまでの漢字、漢文の受容と吸収の初期段階を一次加工とするなら、国字創作は進化した二次加工に当たるだろう。
「国字」は和字、倭字、皇朝造字、和製漢字ともいわれ、日本人の独創である。日本書紀に、天武天皇(在位673―686年)が境部連石積(きょうぶのむらじいわつみ)に命じて「新字」を作らせたとある。室町時代の記録書『貞永式目抄(じょうえいしきもくしょう)』に「畠の字は日本にて一千余字の作り字の内なり」とある。ここから、国字の誕生は漢字の恩恵を受けながらの再生産であるということができる。
幕末維新に生きた「和魂漢才」の精神
日本は幕末維新期、西洋という新しい異質の文化に遭遇したときも言葉の創作力を発揮した。これは漢字の三次加工といってもおかしくない。西洋化・近代化が必須の環境の中で、日本語の本質を失わず、翻訳によって新しい学問や科学、思想を理解していく方法を確立した。平安期に発揮された「和魂漢才」の精神が、幕末維新期に「和魂洋才」として結露したといえよう。
幕末維新期の賢人は漢字創作能力をベースに西洋の書物を翻訳した。「幹部」「政策」「経済」「投資」「社会」「経営」「自由」など、日本製中国語が1000個を超すという(山室信一『思想課題としてのアジア』岩波書店、2001年)。
漢字の本質を知り抜いた的確な訳語という印象である。漢籍に精通した「漢才」が生かされた結果である。日本文化に広くいきわたった漢才の素養を前提にしないと生まれなかった訳語ばかりである。漢字の一字ごとの意味はたいてい中国と共通であり、これらの訳語の多くが中国でも採用されて、日中文化交流の実績となったことは強調されてもよいだろう。(【Part 2】に続く)
(2012年3月1日 記)